facebookの利用者が世界で8億人を超え、世界で3番目の人口を誇る“国家”となったことは記憶に新しい。
海外では「孫と会う為にfacebookが必要」と言われるほど、生活ツールの一部として根付いている同SNSは、日本での登録者数も1000万人を超えさらなる増加が確実視されている。
しかしながらfacebookが日本ナンバー1のSNSとして今後君臨するのか否かについては否定的な意見も多い。
なぜなら日本には、インターネット黎明期より長く続く“匿名文化”が根付いているからだ。
その象徴として外すことの出来ない存在が『2ちゃんねる』である。
前身を含めると1995年頃から存在するこの“巨大掲示板”は、ネットの成長期と共に巨大化していった。
“匿名”というサイト自体の特性が、日頃ストレスを抱える日本人のストレスの捌け口として、
また“匿名”という名のもとに平等である仮想世界は、上下関係を重んじる実世界とは違う快適さを与えたのだろう。
しかし『2ちゃんねる』はその性質故に、過激な発言であったり犯罪の温床ととなる事がしばしばあった。
それが報道されることによっていつしか「2ちゃんねる=危ない場所」という世論が出来上がり、そこに出入りすることがあたかも犯罪者予備軍であるかのように語られるようになった。
「2ちゃんねるを利用している」と公言することは自分の人間性を危機にさらすことと同義であり、本当の意味での“匿名掲示板”となった同サイトはその後しばらくインターネットの表舞台から遠ざかる。
その後しばらくして、日本のインターネット社会において主役となるサイトが出現する。それがmixiだ。
mixiというサイトの持つSNSであるという特性が、携帯電話の普及によって疎遠となってしまった昔の友人や共通の知り合いと“友達”となれる事から、爆発的に利用者を獲得した。
当時個人の『ブログ』を持つ者も少なくなかったが、mixiは“繋がるブログ”という表現でも間違ってはいないと思う。
そんなmixiが成功した理由の一つとして“半匿名性”がある。
本名登録を推奨してはいたもののハンドルネームでの登録も問題はなく、利用者の中には完全な匿名性を保持したままサイトの利用を続けるものもいた。
しかしmixiで友達を増やすには当然ながら相手の承認が必要なので、匿名性を保持したまま続けようとする利用者には、話を聞いてくれる“友達”があまり出来にくいといったこともまた事実であった。
そのような中、2008年~2009年頃から急激に利用者を伸ばすインターネットサービスが現れた。
それがtwitterである。
twitterは匿名性が高く、一方で有名人が多数実名で活用していたこと、相手の承認を得ずともそのつぶやきを購読できることなどの特徴があった。
一個人が複数のアカウントを持つことも少なくなく、匿名か実名か用途によって選べる利便性が日本での利用を加速させた。
その一方で『2ちゃんねる』は、『電車男』などの影響と乱立するインターネットサービスにより、かつてほど世論の当たりも厳しくなくなっていた。
正確には『痛いニュース』や『ハムスター速報』などの『2ちゃんねる』内で話題になったスレッドを抜粋しまとめる「まとめサイト」が『電車男』や『ブラック会社に勤めているが、もう俺は限界かもしれない』などのヒットにより市民権を得たことにある。
前置きが長くなったが、ここで起こり始めたことが今後日本のネット社会において実名化が定着するのか否かの重要な事象となる。
「『2ちゃんねる』を見ているというのには抵抗があるが『まとめサイト』を見ていると言っても問題はないだろう」
そう思った一部のユーザーたちは、まとめサイトで掲載された面白い記事をピックアップして自分のtwitterにポストする。
それらは小さくない反響を呼び、影響されたユーザーがまた『まとめサイト』をポストする。
匿名、実名が入り混じるtwitterという世界の中で“匿名サイトを見ていることの可視化”が行われだしたのである。
こうして徐々に、“匿名サイトを見ている事の実名化”は進んでいった。
完全実名性のfacebookとて例外ではない。
facebookのウォールに、まとめサイトをシェアすることも珍しいことではなくなり、“匿名サイトを見ていること”が、今や自分に対するディスアドバンテージではなくなったのだ。
だが『まとめサイト』の記事の面白さは認め、時としてその筆者の面白さや文章の巧みさも認めるものの
自分が見ているのはあくまで『まとめサイト』であり、『2ちゃんねる』を見ていると公言する者は少ない。
『まとめサイト』はその性質上、ブログ管理人の手により時として意図的なまとめ方をする場合がある。
しかしその意図的なまとめに対して批判的な意見を述べたい場合、たいていの場合は匿名で行おうとするのだ。
自分のfacebook上で「まとめられる前のスレッドを見ていた」とは公言するのには抵抗があるからである。
それは『2ちゃんねる』という唯一無二の存在に今なお暗いイメージがあり、そこに日常的に出入りしていることはやはり社会的に認められるものではないという風潮があるからなのだ。
しかし、一度覚えた“匿名”の心地よさは忘れられない。それが今なお日本のネット文化にしっかりと『2ちゃんねる』はが根付いている理由である。
日本のネット社会は実名化するのか、その答えは「Yes」である。
日本の“右にならえ”文化が、自分だけ実名化していない事に対する後ろめたさに繋げるからである。
しかし、日本の“匿名ネット文化”も決して廃れることはないだろう。
これから先、日本人は今まで以上に器用に“実名”と“匿名”を使い分け、ネット社会において見事な“二重人格”を演じるのだ。
表の自分を“リア充”などと批判し、裏の自分を“オタク”“根暗”などと批判しながら。
自己否定を繰り返しながら訪れる私たちの未来は、果たして明るいのか暗いのか。