川崎中1殺害容疑に思うこと

  by あおぞら  Tags :  

「言葉が出ない」と言う表現があるけれど、まさにそれでこの残虐で卑劣で猟奇的な事件について語りたいけど、いつもはスイスイと文字が加算されていく投稿入力のフォームが牛歩状態と言うか文章の歩みが遅い。

『18歳の少年』とメディアは報道するが、少年と呼ぶことに腹立たしさを覚える。でも、18歳の割には頭脳も精神も平均的な18歳に大いに遅れをとっていたのは事実だと思う。

だって、思い出しても欲しい自分たちが13歳の頃、高校野球の中継などを見ると、3、4歳年上の高校生はもう十分におっさんに見えた。自分たちが成人してしまえば高校球児はいがぐり頭の子供子供した年代の若者だが、13歳当時では別世界の大人たちであった。

その18歳の大人が13歳の中学生と遊ぶか?卑怯者の典型である。弱い者いじめしかできない愚か者である。ネットでは既に犯人とされる18歳や、一緒に逮捕された17歳の2人の写真が流出され、18歳の容疑者の父親の顔や、住まいの写真、住所までご丁寧に出回っている。

メディアは未成年の容疑者のため写真にモザイクを入れているが、ネット社会では容赦なく画像鮮明な容疑者たちの写真がしっかり見られる。本来は画像をアップする人も責められるべきだけど、今回に関しては『このくらいしてやって構わないよ』と口汚く心の声が呟いている。悪のニュースに対しては心の声すらも口汚くなるものだと、悪のマイナス影響を知る。

運命を今さら持ち出しても上村君の命は戻らないけど、写真は一昨年まで上村君が暮らしていた島根県隠岐の島の海である。もし、上村君の両親が離婚することなく、ずっと隠岐の島で生活をしていたらこんな事件には巻き込まれなかったはずだ。

上村君がゲームセンターなどに行かず、図書館に行く少年であれば、あの18歳の鬼畜容疑者に出会うことはなかった。

18歳容疑者も、一緒にいた17歳の二人も実はかわいそうな人たちでもあると思う。殺人鬼を責めることは簡単だが、実際、私も責めているわけなのだが、これらの人間が仕上がるために、良い環境で育てられたら、例え幼い頃いじめを受けていても、その悪い体験をプラスに転化することも可能なのだ。苛め続けられていたからボクシングに目覚めたボクシング元世界チャンピオンの内藤大助さんや、過去のマイナス体験からプラスに転じさせたヒーローがいくらでもいる。

両親はどうしていたんだ?社会はどうしていたんだ?

上村君の家族に矛先を向けるのは申し訳ないけど、13歳の少年が学校も行かずに、夜中呼び出しを受けてのこのこ出かけていくことをどうして阻止しなかったのか?また10代の容疑者の飲酒を受け入れた居酒屋はどうしたことか?

心の教育がされていないから、人に対しての優しさも、思慮も何もない冷血人間が出来上がってしまうのだ。イスラム国の斬首のニュースも残念ながら頭の弱い18歳容疑者には悪の興味がそそられたことだろう。

こういう病んだ社会に必要なのは、精神を鍛えなおすこと、心をまっすぐに生きることを教えるべきだ。

ふと『国家の品格』で紹介された什(じゅう)の掟(おきて)が思い出された。

一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬものはならぬものです

良いことが起きた時は個人の手柄でも構わないけど、社会を揺るがす凶悪事件が起きた時には、本人を責めてしまうけど、実は社会全体の責任であることも痛感すべきである。

卑怯を憎む、卑怯を恥ず、卑怯な振る舞いをしないことを徹底することで、どれだけのいじめがなくなるかだ。先人たちの教えをこんな時代だからこそ活かすべきなのだ。

画像: from flickr YAHOO!
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