ポリオ(小児麻痺)という病気
ポリオウイルスが引き起こす感染症に急性灰白髄炎がある。この疾病そのものをポリオ(小児麻痺)という。 ポリオウイルスが感染すると、脊髄神経がおかされる。
多くの場合は、風邪と似たような症状を起こした後に治癒するが、まれに手足が麻痺、重症の場合は横隔膜や胸など、呼吸に関する部分にまで麻痺が及び、死亡することもある。ここまで悪化するケースは全体の1割程度であるが恐ろしい病気であることには間違いない。
発症例の9割以上が5歳未満であることから小児麻痺と呼ばれるが、成人でもこの病気になることがある。 例えば、第32代アメリカ合衆国大統領であったフランクリン・ルーズベルトがポリオを発症したのは、40歳目前のこと。まだ大統領になる前であった。
彼は国民には病気を隠したまま、ニューヨーク州知事を経て、大統領への階段を上がっていく。メデイアも巻き込んだ病気隠しは成功を収め、多くの国民はルーズベルト大統領の病を知ることはなかった。
余談だが、歴史に「もし…だったら…」というのは意味がないかもしれない。だが、もし日本嫌いで有名だったフランクリン・ルーズベルトの病気が知られていれば、大統領になれなかったかもしれない。そうすればハル・ノートは提出されず、太平洋戦争もなかったかもしれない。何より、彼が提案した、原爆をつくる「マンハッタン計画」も実行されなかったかもしれない。
先の大戦では、あまりにも我が国の犠牲が大きすぎた。戦場で兵士として死ぬのは覚悟の上だからしょうがない。しかし、原爆による大量破壊と無差別殺戮は、度が過ぎていると思う。「原爆死没者名簿」による死者数は、平成26年8月現在、広島は242437人、長崎は137339人。あわせて約38万人もの尊い命が犠牲になったのである。
ポリオウイルスを培養せよ
ポリオウイルスは腸内と喉に生息するウイルスで、主に便として出たものが汚水に混じり、経口感染する。ポリオウイルスに直接作用する薬はなく、ワクチンなどで免疫をつくることが唯一の対処法だ。
日本ではWHOが2008年にポリオの根絶を宣言している。世界でも数千人台にまで減少しており、WHOは今世紀前半にポリオウイルスの撲滅を目指している。
1954年ノーベル生理学・医学賞は、アメリカの、フレデリック・チャップマン・ロビンスと、ジョン・フランクリン・エンダース、トーマス・ハックル・ウェーラーの3人に贈られた。受賞理由は「小児麻痺の病原ウイルスの試験管内での組織培養の研究とその完成」である。
受賞者の3人は、ともに小児科医で、ハーバード大学で一緒に研究していた期間がある。エンダースはポリオウイルスが体外で培養できることを見出した。ウェーラーはエンダースのもとで研究に従事していたことがあり、ポリオウイルスの組織培養の実験を行った。
ロビンスはポリオウイルスの単離に成功した。ポリオウイルスの組織培養と単離の手法は、エンダース・ウェーラー・ロビンス法と呼ばれ後のポリオワクチンの開発に大きく道を開いた。
共同研究の内容は、主なウイルスに関するものであった。当時のウイルス研究の難しさは、ウイルスを生物体外で培養できないことであった。
まもなくニワトリの胚の中で培養を行う方法が考案されるが、これも簡単ではなかった。3人はニワトリの卵を血液が混ざった状態ですりつぶし、耳下腺炎ウイルスの培養に成功。1948年のことであった。
ペニシリン発見が貢献
この成功にはH.フローリー、E.B.チェーン、A.フレミングのペニシリンの発見が大きく貢献した。1948年以前に行われた実験では抗生物質が発見されていなかったため、雑菌が繁殖して失敗していた。
このウイルス培養法の確立により、ポリオウイルスの培養に成功。1950年代に、J.E.ソークやA.B.セービンがポリオ・ワクチンを生むきっかけを生むきっかけをつくった。この50年代には同じ研究グループで、はしかウイルスに対するワクチン製造の研究を行い、63年には改良されたワクチン商業生産が開始された。
1954年一連の功績に対し、ノーベル生理学・医学賞が贈られた。ノーベル賞の受賞対象とはならなかったが、ポリオウイルスワクチンの開発に大きな貢献をした、ジョナス・ソークは1950年代にポリオウイルスワクチンのテストに初めて成功した。しかし彼は、特許を取らず個人的な利益を求めなかった。
アイルランド系ユダヤ人としてニューヨークの貧しい家庭に育った彼は、十分な初等教育を受けられなかったにもかかわらず、努力の末に研究者となった。1995年に亡くなるまで、エイズの研究など幅広い研究に携わり、「タイム紙が選ぶ20世紀の100人」に選ばれている。
フレデリック・チャップマン・ロビンス
フレデリック・チャップマン・ロビンス(Frederick Chapman Robbins、1916年8月25日~2003年8月4日)はアメリカ人の小児科医でウイルス学者。オハイオ州クリーブランド生まれ。 1952年にケース・ウェスタン・リザーブ大学医学部の小児科学教授に就任。
ロビンスは第二次世界大戦中、イタリア、北アフリカなどで調査を行い、伝染性肝炎、発疹チフス、Q熱、オタフクカゼの免疫の研究等を行った。
1948年からボストンの小児科医学センターでエンダースやウェーラーと共同研究を行い、ウイルス培養法を改良した。ウイルス培養は完全な生物、胚、器官でなくても生きた一部の細胞であれば可能なことを解明。ウイルス大量生産の道をつくった。
それまで、ポリオウイルスは人間やサルの脳や脊髄でしか培養できなかったが、死産胎児の皮膚などの組織で培養することに成功。
フレデリックはポリオウイルスの単離と培養を行い、ジョナス・ソーク、フローレンス・サビンらによるワクチンの開発に道を開いた。 1954年度のノーベル生理学・医学賞を、ジョン・フランクリン・エンダース、トーマス・ハックル・ウェーラーとともに受賞した。
ジョン・フランクリン・エンダース
ジョン・フランクリン・エンダース(John Franklin Enders、1897年2月10日~1985年9月8日)はアメリカ人の医学者ノーベル生理学・医学賞受賞者。
エンダースはコネティカット州ウェストハートフォードで生まれ、ハーバードのノア・ウェブスター・スクール、ニューハンプシャー州コンコードのセント・ポール・スクールで教育を受けた。その後イェール大学に入学し、1918年にすぐにアメリカ空軍に入隊した。
戦後はイェール大学に戻って卒業し、1922年に不動産の販売員になった。感染症の研究者になる前にいくつかの職を渡り歩き、1930年にハーバード大学で博士号を取得した。
ボストンの小児病院で働いていた時に、ポリオウイルスが様々な組織中で生育することを発見。それまで神経細胞でしか培養出来なかったポリオウイルスの大量培養を可能にし、ポリオワクチン開発に大きく貢献したとして、トーマス・ハックル・ウェーラー、フレデリック・チャップマン・ロビンスとともに1954年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。
1985年、生誕の地コネティカット州ウォーターフォードで、88歳で亡くなった。
トーマス・ハックル・ウェーラー
トーマス・ハックル・ウェーラー(Thomas Huckle Weller、1915年6月15日~2008年8月23日)はアメリカ合衆国のウイルス学者で、ポリオウイルスの試験管内での培養法を考案し、ジョン・フランクリン・エンダース、フレデリック・チャップマン・ロビンスとともに1954年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。
ウェーラーはミシガン州アナーバーで生まれ育ち、父のカール・バーノン・ウェーラーが病理学の教授として働いていたミシガン大学に入学した。ミシガン大学では獣医学を専攻し、学士号と修士号を取得した。修士時代には魚類の寄生虫の研究を行った。
1936年からはハーバード・メディカルスクールに通い、後にノーベル賞を共同受賞することになるエンダースの下で研究を行った。ウェーラーにウイルスや組織培養の実験を行わせたのはエンダースである。ウェーラーは1940年に医学博士号を取得し、ボストンの小児病院で働いた。第二次世界大戦中の1942年に、彼は少佐の階級を得て、プエルトリコにある軍の医学研究所で微生物学、ウイルス学、病理学の責任者として働いた。戦後はボストンの小児病院に戻り、1947年からは再びエンダースとともに働いた。1954年にハーバード大学公衆衛生学部の教授に就任した。
ノーベル賞を受賞した小児麻痺の研究以外にも、ウェーラーは住血吸虫症やコクサッキーウイルスの研究でも大きな業績を残した。彼はまた、ヘルペスや水痘の原因ウイルスを初めて単離した人物でもある。ウェーラーは1945年にキャスリーン・ファーヘイと結婚し、2人の息子と2人の娘がいる。
画像:フレデリック・チャップマン・ロビンスhttp://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1954/robbins-facts.html
ジョン・フランクリン・エンダースhttp://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1954/enders-facts.html
トーマス・ハックル・ウェーラーhttp://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1954/weller-facts.html
ポリオの発生状況http://www.polioeradication.org/Aboutus/Progress/Progresstowardspolioeradication.aspx