世には悩み相談があふれている。
ネットでも『発言小町』や『Yahoo!知恵袋』『教えて!goo』といった質問コミュニティの投稿がさかんだ。『発言小町』は一ヶ月に約13万本のトピが立ち、知恵袋の利用者は約1,555万人、質問総数は約1億3千万本(2014年6月末時点)にものぼる。日常のささいな質問からシャレにならないほど深刻な人生相談まで投稿内容はさまざま。
悩み相談を“ある角度”から見ると、すべて同じものに見えることはご存知だろうか?
ひとつひとつの悩み相談は違うように見えて実は同じひとつの構造を持っているのだ。
厄介者、困り者―非常識で迷惑な“誰か”
まず、相談者を悩ませている“誰か”が登場する。それは家族だったり、恋人だったり、ご近所さんだったりとさまざま。相談者はまず「ちょっと困っていて……」と切り出し、「実は○○にこんなことされて……」と続ける。○○には「迷惑な誰か」が入るわけだ。そんな、相談者を困らせている“誰か”を仮にPさんと呼ぼう。
次に相談者はPがいかに異常で、非常識で、迷惑であるかを並べたてる。冷静に聞くと、Pの行為が逮捕モノの犯罪や違法行為であることはまず少ない。Pは礼儀知らずだ、Pはこんなに気味悪いことをした、Pにヒドイことを言われた等々、相談者の気分を害したことは間違いないが罪に問えるレベルではない。
普通で常識的でまともな相談者
次に相談者は「いかに自分がまともであるか」を主張しはじめる。「Pにこんなヒドイことされたけど私は我慢した」「私はこれだけPに尽くしたのにアダで返された」等々。回答者は投稿を読みながら、おかしいのは相談者かPか、見極めようと(?)している。悪い印象を与えたら逆に相談者がたたかれかねないから、自己弁護に必死になるのも当然だろう。
変な話、“女子高のノリ”に似ている。仲良し集団を作り「アタシまともだよね? アタシ悪くないよね?」と上目使いで周りの顔色を伺いつつ、裏で気に入らないPの悪口を言う……そんなありがちな構図が思い浮かぶ。
NO!と言えない日本人?
ここに驚くべきひとつの事実が。
実はこういった悩み相談、相談者がPに直接「嫌だ」と伝えていないケースが多い。相談者はPに迷惑を掛けられたときは黙ってやり過ごし、後で「これってNOって言ってもいいよね? あっちが非常識だよね?」とネットに伺っているのだ。最近ちまたを騒がせている塩村議員もヤジられた瞬間は笑っていた。とっさに「止めて!」とその場で怒れない。「私悪くないよね?」と後で誰かに確認してしまう。誰でも思い当たる節があるだろう。何故、反射的にその場で嫌だと言えないのか? 何故、嫌だと表明する前に多数に確認するのか? 何がそうさせるんだろう?
考えられる原因は“恐怖”だ。嫌なことを嫌だと言って「わがまま」「非常識」と指さされるのが怖い。他人の目や評価を恐れる心がストレートな感情をぶつける機会を奪っているのかもしれない。
さらにもうひとつの“恐怖”は「嫌われるのが怖い」こと。ホンネはPにムカついているが、建前はそのイラ立ちをPに知られたくない。穏便に済ませたい心理が垣間見える。Pに嫌われずにPをどうにかしたいとは、なんとも都合の良い話である。相談者が守ろうとするホンネと建前の世界はどこか幼稚だ。
感情をストレートにぶつける人はわがままで幼稚と思われがちだが、本当にそうだろうか。自分の価値観をしっかり持ち、多数の顔色を伺ったりせず、はっきり拒絶できる。このほうがよほど成熟して自立した大人の対応ではないだろうか。行為にNOと言えばよく、人格まで否定する必要は無いのだから。
まるっと、するっと解決!
「客観的に見て、どちらが正しいか」を決めても解決しない。家庭や組織という閉鎖的な空間では客観的な意見など通用しないからだ。 ズバリ、以下の三つを逃げない勇気と強い意志でやるしかない。
1.「嫌だ」「NO」と自分の意志をハッキリ言う
2.Pをこちらの思い通りにするのを、スッパリあきらめる
3.楽しいことをやって思いっきり人生をエンジョイする
全身全霊で「絶対にNO」を強烈にハッキリくっきりきっぱり伝えるしかない。それが正しいかどうかは気にしなくていい。“正しさ”は時間や場所や人によってころころ変わるからだ。いじめにも同じことが言える。嫌だと感じた自分に素直になること。そうして初めて周りを恐れる幼稚な自我から、自立の第一歩を踏み出せるのではないか。
2についてカウンセリングや心理学では「執着を手放す」という表現が使われるそうだ。確かに“他人が自分の思い通りにはならない”のは厳然たる事実。こちらがどんなに正しくても、どんなに説得しても、どんなに駄々をこねても、相手の感情や考えを変えることは無理である。物理的に不可能なことに挑むのはあきらめ、自分自身を変えていくしかない。
人はむちゃくちゃ幸せな状態だと何をされても許せる生き物である(笑) 逆にひとつ何かを我慢すると、ひとつ誰かを許せなくなる。そんなにPを許せないのは相談者が疲労しストレスを抱えている証でもある。少しPから離れ、美味しいものを食べたり、ちょっとぜいたくしてみたり、温泉でリラックスしたり、意識してストレス解消してみるといいかもしれない。
ストレス社会を生きるために
ちょっと温泉に行ったぐらいじゃ目の前に山積みの問題がすぐ消えるわけはない。Pという存在はどこへ行っても姿を変えまた現れるかもしれない。やっぱり誰かにムカついてしまったときは……
はっきり「嫌だ」と伝えただろうか。怒っただろうか。
言えないなら、何故言えないんだろう。何が怖いんだろう。
「こうなって欲しい」と他人を変えようとしていないか。
うわっ…私のストレス、たまりすぎ…?
“悩み”を生き方を顧みるきっかけにしてみてはどうだろう。Pは非常識かもしれないが、自分に正直である点は見習うべきだ。我慢して「人に迷惑を掛けるな」と怒って回るより、もう少しわがままに生きてみて、自然とわがままな他人を許せるようになるほうがいい。もちろん、それでもモヤモヤが消えないときはネットに書き込むのもいい。そこで思う存分鬱憤をぶちまけて少しでもスッキリできればそれに越したことはない。
ストレスフルな現代社会を生き抜くためにも、うまく質問コミュニティを活用したい。
【出典】
画像1枚目:『photo AC』 (無料写真素材サイト)
http://www.photo-ac.com/main/detail/88094
画像2枚目:『Yahoo!知恵袋』(サイトのスクリーンショットを筆者が加工したもの)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1130319221
画像3枚目:『塩村あやかオフィシャルWEBサイト』
http://shiomura-ayaka.com/