1949年のノーベル物理学賞受賞者は湯川秀樹である。受賞理由は「陽子と中性子との間に作用する核力を媒介するものとして中間子の存在を予想」である。もちろん、日本人初のノーベル賞受賞者として有名だ。
戦後まもない日本人の受賞は、下向きがちだった日本人にどれほどの勇気を与えたかわからない。日本はやっぱり凄い国だ、終戦後わずか4年でノーベル賞の受賞となった。
湯川氏の中間子論が出たのは、1935年のこと。すでに日中戦争中であった日本人学者は、海外からはなかなか評価されなかったがソルベー会議に招かれ、以後、アインシュタインやオッペンハイマーらと親交を持つ。しかし、当時は、簡単に新しい粒子を持ち出すことについては、中間子論に対する批判が多かった。というのは、すでにさまざまな粒子が発見されていたからだ。