やしきたかじんが亡くなったニュースをネットで知った時に、にわか信じられなかった。東京嫌いの歌手は本業の歌手より、自身の冠番組の司会が本業のように思えるような活躍ぶりだった。関東では知名度が低くても、関西での影響力は大きく、橋下徹氏を大阪府知事に押し出した原動力であったし、橋下氏も「そこまで言って委員会」のレギュラーとして名を売った。
最初の総理大臣の任務を終えた後の安倍さんとテレビの取材も込みだが地元山口県の温泉に一緒に入ったり、宴会をしたり… また、総理大臣に再チャレンジする際に、安倍さんを相当応援していた。安倍総理が首相に返り咲くミラクルをなし得たのもたかじんの力は大きかった。
亡き人へのメッセージを著名人は求められるが、たかじんと係わりのあった橋下大阪市長が会見中に涙を流したり、元読売テレビのアナウンサーの辛坊治郎氏は生放送中にたかじんのことを話していてやはり涙してしまった。
ちょっと任侠道につながるものがあるように見える。
たかじんは親分肌だ。金の使い方も豪快だし、義理・人情を重んじる。そして何より強がる。そして見栄坊である。
ニュースで知るたかじんへの哀悼のメッセージは賞賛しかない。それは当たり前のことだろう、故人に、あの世に向かうたかじんにはなむけの言葉以外は考えられない。
しかし、その中でたかじんのライバルと言われた上沼恵美子はちょっと違った。自身の「上沼・高田のクギズケ!」でたかじん死去のニュースに触れて、正直すぎると言えば正直すぎたが「死ぬわけないやろ、あの男が」と切り出した。たかじんの番組の視聴率が高いとイラっとしたことを話す時には、積年の恨み節のようなわずかの言葉から判別できた。公開番組であろうが、その時の周りの声の反応は大いに引いていたのが十分わかる音声であった。どちらかと言うと凍り付いた感じに思えた。上沼恵美子はたかじんは強がっているけれど気の小さい男であると…. 確かにそうだろう。だいたい強がる男ほど弱いものはない。
ニュース記事では上沼のメッセージは概ね前向きにとらえられていたけど、もし、表情や言葉から内面を読み取る専門家に分析させれば、上沼恵美子の本心は結構冷たいものだったのではないかと推測される。それはそれでいいと思うし、その本音勝負が上沼恵美子の持ち味だからだ。でも、その直球は決して上沼の評価を上げるものではなかったと思う。視聴者である私はとても嫌な気分になった。
賛辞とちょっと皮肉な哀悼の言葉が交差する。
たかじんの生き方は浪花節的であったと思う。東京嫌いでありながら、常に東京を意識していた。親分でありたがった、その割に腰が低い面を持ち合わせ、一度失敗をしたものに対して愛情が注げる真の優しさがあった。きっと、このような人は今の時代に少ないのではないだろうか。企業人でも昔のような偉大な影響力のある経営者は少なくなっているが、たかじんは影響力のある芸能人で、その幅が芸能界に限らず政界にまで広がり、人の心を掴んだ。リーダーとしての資質を備えた人物だった。
ニュースでは実母にたかじんの死が伝えられておらず、当然葬儀にも参列できなかったことが報じられているが、勘当された現実をずっと引きずって生きてきたのだろう。世間的に見れば信じられない話だが、たかじんにはこの勘当こそが自分を高める起爆剤になったのではないだろうか。勘当されてグレて破目に陥る人生もあれば、たかじんの場合は勘当が良き人生に結びついたのかもしれない。
惜しまれて死ぬことは美しいことだ。
関西の昔の漫才師が「人間は病気で死ぬんやない、寿命で死ぬんや」と言ったという。人気稼業はいずれ下火になる。たかじんですら、いつか冠番組が消滅することもありえただろう、芸能界だもの…. そう思うと綺麗に大きな大輪の花火を冬に打ち上げて、正月開けに死去の知らせを公開して、人々にたかじんの生き方を知らしめたのは天晴れの快挙だったと思う。
幕切れは鮮やかだった。
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