
我が住まいは築約100年近いレンガ外壁のアパートで、約800世帯以上ある大きな建物であり、この辺りはHistoric Districtと呼ばれる歴史地区に指定されている。映画撮影には持って来いの場所で、古くは『タクシードライバー』、『スカーフェイス』、『ゴッドファーザー PART III』等のロケ地でもあり、今も映画やドラマ撮影で使われている。
アパートの外観や辺り一帯はとても絵になる風景だが、決して我が住まいは高級アパートではなく中流の中流である。アパートの全体はスタジオを呼ばれるワンルームが多く、慎ましやかなニューヨーカーが暮らす小市民の集合住宅と思っていただいていいだろう。
ただ、20数階建てのこのアパートの最上階は勝手が違いゴージャスである、かなりゴージャスである。『スパイダーマン』に登場する緑の悪役グリーン・ゴブリンが人間ノーマン・オズボーンとして生活する住居のペントハウスがこのアパートの最上階のペントハウスなのである。
このアパートは裏口があり、裏口から入る時は黒い重厚な両面開きのドアがあり、その横にあるボタンを押すとロビーに繋がり監視カメラでボタンを押している人が確認出来、アパートの住人がインターホンでアパート名を告げると遠隔操作でドアは自動で開けられるという仕組みだ。
長い廊下を歩きエレベーターホールに到着すると、エレベーター呼び出しのボタンの下に指紋認証の機械があり、登録している指紋と認証すればエレベーターボタンが点灯するというかなり強固なセキュリティーである。
この裏口利用者には自転車やキックボードを使う人もいて、自転車やキックボードと一緒ではロビーの通過が出来ないようになっている。先日、キックボードを持った男性とエレベーターに乗り合わせたので、エレベーターの階数ボタンパネルに近かった私は「どちらの階ですか?」とお聞きした。そうすると感じの良い男性は黒づくめの洋服にキックボードを持ちながら、ポケットからカードを取り出しこう言った「コレが必要なんですよ」と。
何かご説明いたしますと、このアパートの最上階はペンハウスと呼ばれ、我がスタジオと呼ばれる一間と違い複数の寝室がある特別な階数で、実際、最上階の廊下を探索に行くと我が階数の密集したドアの並びと違い、まばらにポツンポツンとドアの空間がありいい意味でチョット異様な光景。こういう場所だからこそセキュリティーを鉄壁にしたいらしく、エレベーターボタンも我々のような庶民の階数ボタンを普通に押せるものではなく、ペントハウス専門カードをパネルにかざすと『PH』ペントハウスの特別ボタンが稼働し、ペントハウス専用のカードがなければその『PH』を押しても空振りに終わるのである。
何度かペントハウスの住人にエレベーターで出くわした。そして、私はエレベーターボタンパネルに近い位置に立つことが多いので同乗者の階数を訊くこともあるのだが、ペントハウスの住人は決まって感じがいい。先ず、さわやかで落ち着いた笑顔で優しい印象。慈愛があるというのだろうか、その笑顔にとても暖かみがあるのだ。
エレベーターで『PH』のペントハウスのボタンを押す住人たちの所作から多くの学びがあった。女性はエレガントな所作に姿勢がいい。これは男性にも言えること。たった数秒、もしくは十数秒同じ狭い空間に乗り合わせるだけだが、空気がよくなるのである。それは彼らが内面から良い空気を醸し出しているからである。付け焼刃ではないのである。
ニューヨークなんて世界中から一旗揚げようとやってくる”クセの強い人”が多い街である。自分勝手で、人を押しのけて、それらの中には見栄っ張りも多い。あるモノがないモノをあざけ笑うような軽い軽い人たちが多い残念な大都会でもある。
でも、たまに感心する人たちに出会う。それが我がアパート内で袖振り合う近さでたまに出会う『PH』のペントハウスの住人たちの人間的ゆとりであり、優雅な所作をみるにつけ、そこに生まれるキラキラのオーラを感じ良い気分になれるのである。人を数秒にして良い気分のさせる人たちってなかなかいないと思うけど、彼等と同乗するエレベーターで数秒なれどゆるやかな温かい余韻に浸れるのは事実なのである。