大富豪たちは、幾度と繰り返される戦争で暴利を得て、巨大な城塞を築き上げ、鉄壁の堅固な守りを敷いた。それは、もう不可侵の揺るぎようもないものになった。
マルクス主義で説いた、階級闘争を通じて社会主義・資本家からの労働者解放の実現は、冷戦が終わり、旧ソ連が解体されたことで、世は急速に資本主義へと傾倒していった。
日本の富豪はどうだったのだろうか。
いわゆる旧財閥だ。
この小さな島国にも、富豪は存在していた。彼らは財閥と呼ばれた。
やはり、どこにでも、誰よりも一歩先んじた、進取の気性の者はいるもので、三井・住友・三菱など、両手の指を数えるくらいの有力な財閥が存在していた。
確かに、日本という小さなパイの土俵なので、世界の大富豪と比すれば、見劣りがするが、それでも巨大資本家たちであった。
ところが、日本が大東亜戦争で敗れ、アメリカのGHQが真っ先に日本に乗り込んで、やったことのひとつとして、財閥の解体があった。
もう二度と戦争を起こさないように。軍国主義に傾倒することを恐れた結果だった。
その後、朝鮮戦争の特需で、息を吹き返した日本は、その後財閥という言葉は使われることはなかったが、旧財閥の家名は現代まで残っていくのである。
と、まぁ、あいも変わらず、この世のなかは、いつまで経っても、労働者は資本家による搾取を受け続けるわけである。
小林多喜二の蟹工船は、まさにその縮図である。
だが、現代は労働環境も改善され、昔のような劣悪な環境というのは少なくなっている。
労働組合の力もあるのだろう。日本では、サボタージュが起こりようもないように思う。
それでは、大富豪相手に、一矢報いることはできるのかというと、それは否である。
もう彼らは手の届かないところにいる。
はなから、諦めるべきだ。到底敵わないのに挑戦するのは愚の骨頂である。
一方、資本主義にはアメリカンドリームではないが、世に出ることに少なからず可能性がある。起業のチャンスがあるからだ。そういう意味では、ビルゲイツによる間接的だがPC普及に貢献したことは意味があったのかもしれない。
今まで大富豪にマスコミ、マスメディアは抑えられてきたが、インターネットのネットワークが構築され、個人レベルでの発言が実現できるようになった。その分、個人情報の流出のリスクは格段に増えたが。いずれにしても、これは既成概念を打破するものとなった。小さな声も集まれば世論に化ける。
それでも、世の中の構造を変えるまでには至らないだろう。彼らは戦争さえもコントロールできる。
世の中に悪の不良因子が必ず存在するように、貧富の差は埋まらず、形が変わっても戦争はなくならない。
声高に平和を唱え、倫理を尊重し、コンプライアンスに目を光らせる時代になった。一昔前の勢力図が一夜で一変するような戦争が起きるとは思えない。軍事兵器の破壊力があまりにも激甚なので、報復を恐れ、迂闊には開戦には至らない。
故に大富豪の体制は不変であり、
それこそ、天変地異でひっくり返らない限り、残念ながら見えない影の大きな力はこのままなのだ。
ウォルポールの言葉
「世界は考えるものにとっては喜劇であるが、感じるものにとっては悲劇である」
続けて、
「いつの時代もそうかも知れない。そして、感じることのできる人の数が圧倒的に少ない」
開高 健