「3Dプリンタ」「スマートフォン」「IPS細胞」などなど、今世界はテクノロジーが急激に発達してきている。そのおかげで、私たちの生活はより便利に、より豊かになったと思う。が、しかし本当の意味で豊かになったかといえば、少々引っかかる部分がある。私の体験から色々と述べていきたいと思う。
例えば、ガラパゴス携帯やスマートフォンを含めた携帯電話だ。携帯電話はこの十年の間で一人につき一台は持つという時代となり、より身近な存在となっている。そのおかげでいつでも誰とでも連絡を取り合えるようになったり、ネットが使えるようになった。
だが、皆さんこんなことを思ったことはないだろうか?一人になりたい時や集中したいとき、携帯に誰からもかかってほしくない、誘われたくない、返事をしたくないと。自分はしょっちゅうこんなことを思うことがある。携帯電話なんてなくなってしまえばいいのにと。理由は、連絡を受けたら返事を返さなくちゃいけないという義務感だ。正直言って面倒くさいと思ってしまう自分がいるのだ。返さなかったら返さないなりに後日、なんで返事しなかった?電話に出なかった?と聞かれ、理由を問われる。それも面倒くさいと思うのだ。こうしたことがあると、生活に豊かさが感じられない自分がいる。
しかし誰でもそうだと思うが、こうしたコミュニケーションを直接相手と接しながら口で話したり、聞いたりするのは面倒くさいと思わないのだ。むしろ、楽しいし嬉しいと思うことが多い。そして、自分は思う。携帯電話がない時代に戻りたいと。
他にも、携帯電話を持っているとなぜか緊張してしまう時もある。なんだかいつも監視されてるような感じで、気持ち悪いと思うときもある。この間、携帯電話をたまたま忘れて一日を過ごした時があったが、あの時はとてもすがすがしい一日を送れた。まるで心が開放されたように。
今は携帯電話を例に自分が思ったことを書いたが、他のことにも当てはまることは多いのではないだろうか?
大型スーパーが出来てなんでも買えるようにはなったが、お店の人たちや近所同士の交流は少なくなり、地域間の濃い交流は出来なくなった。
スーパーも数が少なくなって、遠くまで行かなければ何も買えないし、地域との交流も出来なくなった。
PCで文字を打つことが多くなり、いざ文字を書こうとした時、漢字が書けなくなっていた。
PCや携帯電話で調べものをする癖がつき、何かわからないことがあると、❝何も考えず❞に調べることが多くなった。
ものが大量生産され、安く手に入るようになったが、その分ものを大事に扱うことが少なくなった。
ものを交換するよりも、新品交換するほうが安上がりなため、メーカーがものを修理する際、修理ではなく新品による交換が増えた。
などなどたくさん、私達が利用しているテクノロジーが必ずしも豊かにしているかどうか疑問に思うことがたくさんあるのだ。
こうしたことを言うと、使い手側がしっかりしていれば問題ないんじゃないの?という人もいるだろうが、果たしてそんな簡単な言葉で片付けられる問題だろうか。
これからもテクノロジーはたくさん出続け、私たちの生活に密着し続けるだろう。だが、今一度技術を生み出す人たちにも、大衆の皆さんにも考えてほしい。
「その技術、本当に必要なものですか?その技術が出回った際、私たちの生活にどんな影響を与えているか、考えていますか?」