音楽ドキュメンタリー映画『リバイバル69 ~伝説のロックフェス~』ジョン・ブラウワー(フェス主宰)インタビュー 「マジカルなアドベンチャーだった。あの体験をこの映画を通して出来ると思っています」

  by ときたたかし  Tags :  

新旧のロック・レジェンドが勢ぞろい、今や「ウッドストック」とも並び称されるという奇跡の音楽フェスティバルの「真実」を描くドキュメンタリー映画、『リバイバル69 ~伝説のロックフェス~』が公開中です。

ロックンロールの復活を謳った1969年の音楽フェス。新旧のロック・スターが集まり、圧巻のパフォーマンスが繰り広げられた。ところが、その成立の影には情熱と偶然、危機と奇跡が織りなす笑いと涙の舞台裏が。

関係者の口から明かされるウソのような本当の話も見逃せない本作について、フェス主宰者だったジョン・ブラウワーさんにお話を聞きました。

■公式サイト:https://revival69-movie.com/ [リンク]

●本作で描かれる音楽フェスの企画なのですが、最初のきっけは何だったのでしょうか?

最初は1969年のことでした。相棒のケン・ウォーカーと一緒に「トロント・ポップ・フェスティバル」という音楽イベントを企画・運営を行ない、大学のキャンパスで開催しました。実際ザ・バンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ステッペンウルフなどいろいろなバンドが出ましたが、チャック・ベリーが全部持って行ってしまったんです。終わった後もみんな彼の話題で持ちきりで、彼のダックウォークを真似したりしていました。ある時、1日だけその時代のバンド全部を呼ぼうということになり、それが「トロント・ロックンロール・リバイバル」なんです。

●今回の映画でも描かれていますが、ライヴの本番まで1週間、その段階でチケットが2,000枚しか売れていなかったということになります。

とても焦りました。そんな時にこのイベントでMCをすることになっていたキム・フォーリーに「ジョン・レノンを呼べ」と突拍子もないアドバイスをされました。わたしを含め周囲もみな「出てくれるはずがない」と言いました。最初は「何を言っているんだ!?」と思いました。

でも驚くことに、キム・フォーリーのアドバイスは正しかったんです。ジョンの当時の状況を考慮して、彼はジョンを提案したんです。結果的にこの提案は正しかったことになり、同じステージにジェリー・リー・ルイス、チャック・ベリーやリトル・リチャード、ジーン・ヴィンセントなど、ジョンが10代の頃に影響を受けたスターばかりが立つことになりました。だから、共演したいはずだと。それをキムは知っていたから、アドバイスをしてくれたわけです。そして結果的にこのフェスがプラスティック・オノ・バンドのデビューにもなりました。

●ちなみに当初チケットが売れないことはご自身としては意外でしたか?

まさに驚きでした。絶対にとてつもないサクセスになると思っていたところで、自分のアイデアでしたし、絶対にアピールできるとわかってたのに、そうじゃなかったことに対してびっくりしました。

●最終的にジョン・レノンまで出ることになるわけですが、その時はどういう心境になりましたか?

ただ、この目で実際に見るまでは信じられなかったです。来るという話が出て、来ないという話になり、また来ると言い出してみたいな、右往左往としている状況だったので、トロントに彼が入るまでは信じられない状況ではありました。リムジンに一緒に乗りましたが、街中に移動しているタイミングになった時、ジョン・レノンが来ると信じられるようになりました。

実際にスタジアムがフルの状態の時に到着してくれたのですが、ロンドンを発つ際、ヒースローでジョンは記者会見をしていたんです。その映像をラジオ局が音声として使ったことで、ようやく人々も反応しました。トロントでは朝の9時に発表され、15分おきに「今飛行機に乗っている」などとリリースが入るようになり、それにつられてチケットのセールズも上がっていきました。とてもクレイジーな状況だったと思います。

ラジオ局の人たちは自分たちのおかげだと言っていましたが(笑)、最初は2,000人のチケットしか売れていなかったのが、1万人のチケットが売れ、最終的にはスタジアムは25,000人に膨れ上がっていきました。

●このフェスの成功でいろいろな人たちの人生や想いが好転したと思われますが、ご自身にとってはどうだったのでしょうか?

本当にそのとおりで、失敗の灰の中から成功が生まれたことは、象徴的なことでした。自分の人生にとっても素晴らしい影響を与えていて、それ以降、音楽フェスティバルをたくさんやるようになるのだが、いろいろなアーティストたちといろいろなイベントをやるようになりました。ウッドストックのようなフェスをやりたいという気持ちも結果生まれたわけですし、1980年にはファンクのフェスティバル「The Heatwave Festival」も出来ました。それが自分のプロモーターとしては最後のフェスになったわけですが、自分のキャリアの中で素晴らしい人たちと関わることが出来て、自分のキャリアが膨らんだことも本当に素晴らしいことでした。

●今、日本でこうして公開されることについてはいかがでしょうか?

本当に意味はあると自分は感じていて。ザ・ビートルズは日本でものすごく支持されて、大成功を収めましたよね。オノ・ヨーコも日本の出身でありながら、世界的なアーティストになっていったと思います。その人物たちと関わることができて、観客のみなさんがその模様を観ることが出来ることは、おそらく誇りに感じてくれるものもあるだろうと思っています。

また、誰でもこういうプロセスをたどることで成功に導かれる、それは自分たちも観客も含めて、マジカルなアドベンチャーだと思うんです。みんなの人生が好転していくという興味深い例でもあります。そういう体験をこの映画、このイベントを通して出来たのではないかと思っています。

■ストーリー

1969年。弱冠22歳の若き音楽プロモーター、ジョン・ブラウワーは、相棒のケン・ウォーカーとともに6月開催の「トロント・ポップ・フェスティバル」を成功させてノッていた。「チャック・ベリーで盛り上がったのだから」と、次回企画としてベリーとともに同時代に活躍した50年代ロック・レジェンドを一堂に集めた公演を思いつく。名付けて「トロント・ロックンロール・リバイバル」。また盛り上がること間違いなしと自信満々のブラウワーだったが、いざフタを開けてみると、チケットがまるで売れない。初期ロックの重鎮だけならべてもダメだと気づいたブラウ ワ ーは、当代人気のスーパースターの獲得に乗り出すが……。

『リバイバル69 ~伝説のロックフェス~』
© ROCK N’ ROLL DOCUMENTARY PRODUCTIONS INC., TORONTO RNR REVIVAL PRODUCTIONS INC., CAPA PRESSE (LES FILMS A CINQ) 2022
ヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町ほか全国公開中
配給:STAR CHANNEL MOVIES

ときたたかし

映画とディズニー・パークスが専門のフリーライター。「映画生活(現:ぴあ映画生活)」の初代編集長を経て、現在は年間延べ250人ほどの俳優・監督へのインタビューと、世界のディズニーリゾートを追いかける日々。主な出演作として故・水野晴郎氏がライフワークとしていた反戦娯楽作『シベリア超特急5』(05)(本人役、“大滝功”名義でクレジット)、『トランスフォーマー/リベンジ』(09)(特典映像「ベイさんとの1日」)など。instagram→@takashi.tokita_tokyo