「『水戸黄門』現在放送中の第43部で終了」のニュースは、私にとって思いのほかショックなニュースでした。
昭和生まれとはいえ、ごくごく普通に生活を送っている私ですらそうだったわけですから、水戸黄門フリーク、時代劇ファンの方のショックは計り知れません。しかしながら私同様、それほど時代劇を観るわけではないけれど、
○『水戸黄門』の主要登場人物がざっくりわかる。
○ 年末に「忠臣蔵」が放映されていればついつい観てしまう。
○ 時代劇といえば?といわれたら5タイトルはサッと言える
などに心当たりのある方ならば、かなり「水戸黄門終了」にショックを受けたのではないのでしょうか?
ざっと調べてみると「水戸黄門」。第2次世界大戦前から映画が製作され、昭和39年(一説には昭和44年)からTVシリーズが放映されているとの事。どうりで黄色い頭巾に着物、えび茶色のちゃんちゃんこが、物心ついた頃から記憶にあるはずです。ファンの方はもちろん、まだTVが家族に1台の時代に幼少期を迎えた方は、多かれ少なかれご覧になる機会があり、その道徳観は人格形成に影響したことでしょう。(※参照ウィキペディア, C.A.L水戸黄門オフィシャルサイト)
日本人が持つ「水戸黄門」に代表される共通感覚、それは時代劇の醍醐味「勧善懲悪」。 「水戸黄門終了」それは、ひとつのTV番組が終わったと同時に、心のどこかで信じていた「最後に正義は勝つ」という道徳観も終わりを告げてしまった。時代の終わりの寂しさに共感したのではないでしょうか。「印籠一つでものをスッキリ解決してくれる偉い人」は、もはや全くリアリティのない存在となってしまったのかもしれません。
日々の生活で行き詰まっている庶民が、涙あり笑いあり、あれやこれやとドつぼにハマっている時に、サッと現れ一気に問題を解決する爽快感。番組開始から40分くらいで、今か今かとヒーローの登場を待つ期待感。現代劇だとありえない展開でも江戸時代という未知の世界で繰り広げられるとなぜか出てくるリアリティ。
「銭形平次」「暴れん坊将軍」「大岡越前」しかり、もちろん他の時代劇ファンの方もいらっしゃるでしょう。しかしながら、何と言っても「水戸黄門」。やはり、黄門様を上座に助さんが「静まれ~静まれ~」と宣い、続いて格さんが「ここにおわす方をどなたと心得る、先の副将軍水戸光圀公なるぞ、頭が高い、控えおろう!!」と言いながら厳かに印籠を掲げる。うろたえた一同が土下座。この光景につきるのです。
最近の時代劇で印象的だったといえば、『JIN-仁-』。現代から幕末の日本にタイムスリップした脳外科医・南方仁が、幕末の有名人や医学を志す人と関わっていく。南方仁は自らが持つ現代で培った知識や経験を持ち込む事になるのですが、常に歴史を変えているかもしれない危機感や戸惑いを感じ悩み続けます。その明確な答えのでない状況を幕末を共に生きる仲間に助けられながら生き抜いて行くというストーリでした。(※参照ウィキペディア,『JIN-仁-』ドラマオフィシャルサイト)
時代劇の中でも、主人公は悩みながらも自らの手で、身分の上下関係がない仲間とともに、答えのない未来を切り開く時代となったのかもしれません。