どうも特殊犯罪アナリストの丸野裕行です。
今回は、“ヤクザ博士”の社会学者・廣末登先生のお話をしたいと思います。
廣末先生はガジェット通信の過去記事でもたびたび登場していただいているので記憶に新しい方もいらっしゃるかもしれません。そんな氏の著作『テキヤの掟――祭りを担った文化、組織、慣習』(角川新書)は2023年1月に発売されAmazon売れ筋ランキング「社会・文化」カテゴリー11位(※記事執筆時点)というベストセラーにもなりました。
こうしたベストセラー本が生まれた背景について、改めてお話を伺ってみました。
国会議員秘書の寿命は短い
『テキヤの掟』は、廣末先生自身のテキヤ経験によるもの。なぜテキヤを経験したのか尋ねたところ、返ってきたのは予想外の回答でした。
過去、廣末先生は、30代後半から40代前半まで永田町の国会議員秘書(公設・政策担当秘書)に奉職されていました。しかし実はこれが不安定極まりない職種。筆者も聞いた事がありますが、秘書の寿命ってなんと3年ほどらしいのです。
例にもれず、廣末先生も3年半永田町で勤務したものの重度のうつ病を患い、秘書を辞めてしまいます。仕事を止めることによって年収や安定した生活も婚約者も失い、失意の内に故郷の福岡に帰ったといいます。
羽田空港から福岡空港に着くまで、意識はありながらも目を開けていられなかったほど、当時はうつ症状が重かった模様。
うつ病の辛さとは
当時はとにかく、「新聞の文字が読めないこと(内容が理解できない)」、「同じ想念が頭の中をグルグル回るので、何も考えられない」、「心臓がバクバクして肋骨が痛い」、「食事の味がしない」など、複合的につらい症状が折り重なっていた先生。結局、心療内科に処方された薬を飲んで、一日18時間ほど睡眠をとり続け、4か月ほどでようやく起き上がることができるようになったそうです。
しかし、そのころは既にリーマンショック後の不景気な時期。既に40代の先生には仕事が見つかりません。そんな折に手にした求人誌に踊っていたのは「あなたもB級グルメの匠になりませんか」というコピー。
B級グルメの匠……? その求人広告で応募したのが、まさしくテキヤだったのです。通常、国会議員秘書からテキヤへの転職は、まず考えられません。おそらく日本の中でも、誰も成しえていない転職ではないでしょうか。
うつ病のリハビリでテキヤのバイト?
「なんで、選んだ仕事がテキヤなんですか」──思わず先生に直球で尋ねたところ、返ってきた答えは「うつ病で数か月寝込んでいたんで、体力が落ちちゃって、こりゃあ、リハビリせんと社会復帰できんから、テキヤ上等と思った」。
テキヤの仕事って傍目には楽勝そうに見えると思っていた廣末先生ですが、すぐにその考えを改めました。実際に働いてみると、マジの重労働! しかも先生が最初に働いたのは冬場。小屋組みをした際、手がかじかんで動かなくなってしまい、最終的には歯を使って紐を結んでいたほどでした。
もちろん、祭り本番の期間は休憩がとれないほどの忙しさ。途中カップラーメンの差入れなどもあるものの、蓋を開けたら麺が伸び切って汁が無い状態だったことも多々。
「何を売っていたのですか」と聞いてみた商売の“ネタ”は「イカ焼き」。それならイカを食べればいいのでは、と素人考えをしてみるのですが、「一日中、イカを焼いていたら見るのも嫌になってしまう。食べるなどもっての外」なのだそうです。加えて「手がイカ臭いので、何を食べてもイカの味がする」のも忘れられない当時の思い出。
病み上がりにしては過酷すぎるテキヤのバイトでしたが、タンカバイ(声を出して客寄せする)で、散々大声を出した(と言うか出さざるをえない)のが良かったのか、アルバイトが終わる頃には、うつ病も気にならなくなっていたそうです。結果オーライ。
経験に勝るネタはない
今回、ベストセラーとなった『テキヤの掟』を書いたのは、その時の経験を残したかったからなのかと尋ねてみたところ、「それだけが理由ではないけれども、テキヤの経験がなかったら書けなかっただろう」と。
さらに先生はこんな風に言葉を続けました。
「テキヤの本を書いたのは、様々な理由がありますが、一番は、関東のテキヤを辞めて小さな建築会社を経営していた大和氏(仮名)から、『元暴5年条項に基づき自治体に呼び出された。会社を畳まないといけないかもしれない』という相談を受けたからです」
「元暴5年条項とは、自治体の暴排条例の中に規定されていますが、その対象は暴力団です。神農のテキヤまで元暴5年条項を適応されたら、そこは極端な拡大解釈であり、あまりに不条理だと思いました。だから、世の中の人たちに正しくテキヤ組織や文化を知ってもらいたいと考え、筆を執ったのです」
テキヤ専門用語は経験者にしかわからない
「ただ、そうはいっても、テキヤの経験がないと書けませんでしたね」と、先生は言います。経験が無ければ、取材の際にテキヤの専門用語は全く分からないからです。これは、僕自分の経験に照らしても納得できます。過去にテキヤのお爺さんを取材したことがあるのですが、何を言っているのか分からない言葉が、実は結構あったからです。
ノンフィクションを書く上で、経験に勝るネタは無いということが、先生の話を伺って再確認できました。
本書は巻末付録として「テキヤ用語」、「アングラ用語」の一覧がついています。経験を基にした、一冊で二度オイシイ本、その深い世界をぜひ堪能してみてください。