8月22日、歌手の宇多田ヒカルさん(@utadahikaru)がX(Twitter)を更新。自死に関する持論を述べ、大きな注目を浴びています。
自死遺族の集会に通ってみた時期、精神分析、育児や創作を通して自分と向き合い続けたこの10年で学んだこといろいろ。
死に正しいも正しくないも自然も不自然もない。
何かをすると決めた人間がそれを実行するのを周りがいつまでも阻止するのはほぼ不可能。…
— 宇多田ヒカル (@utadahikaru) August 21, 2023
https://twitter.com/utadahikaru/status/1693764006010671423
宇多田さんは自身のポストで「自死遺族の集会に通ってみた時期、精神分析、育児や創作を通して自分と向き合い続けたこの10年で学んだこといろいろ。」と切り出し、以下のように述べました。
死に正しいも正しくないも自然も不自然もない。
何かをすると決めた人間がそれを実行するのを周りがいつまでも阻止するのはほぼ不可能。
今知ってることをまだ知らなかった時を振り返って「ああしていれば」「なぜ気づかなかった」と自分を責めるのはまだ手放す準備ができていないから。
人が何を感じてどんな思いでいたか、行動の動機やその正当さなんて、本人以外にはわからない。わかりたいと思うのも、わからなくて苦しむのも他者のエゴ。「理解できないと受け入れられない」は勘違い(恋人に別れを切り出されて理由と説明をやたら要求するひと的な、一種のパニック状態)で、「受け入れる」は理解しきれない事象に対してすること。理解できないと理解すること。
人が亡くなっても、その人との関係はそこで終わらない。自分との対話を続けていれば、故人との関係も変化し続ける。
過去に家族の自死を経験している宇多田さんの重みのある言葉は、投稿から1日たたずに約12万件の「いいね」が集まる大反響となりました(22日15時現在)。投稿を読んだ人からは以下のようなコメントが集まっています。
・理解できないと理解すること。これはとっても深いですね。仰るとおりだと思います。
・私の両親は病で亡くなりましたがあまりの突然の死に両親とも臨終に立ち会えなかったことに「ああしていれば」「なぜ気づかなかった」と未だに後悔を持ちながらいます 後悔は残り続けますがこの言葉に癒やされました ありがとうございます
・父親を亡くして11年。今でもヒカルちゃんの歌を聴き父を思い涙します。父親はずうっと私の父親ですし心の中で生き続けているんですよね。ありがとう、ヒカルちゃん。
・ありがとうございます。自ら逝ってしまった弟を救えなかった苦しみがずっと心にありました。死に正しいも正しくないもない 救われます
・Hikkiの10年を分けてくれてありがとう。人生を見せてくれてありがとう。迷いながら生きてる私の背中にそっと手を添えてくれた様な、そんな気持ちになりました。
このポストが投稿された2023年8月22日は、宇多田さんの母で演歌歌手の藤圭子さんの10年目の命日。同じく家族を亡くした経験をもつユーザーからも、深い共感や感謝の声が多く寄せられていたようです。
※宇多田ヒカルさん(@utadahikaru)公式X(Twitter)より引用