今をさかのぼること42年。1971年1月24日の武道館ライブを最後に解散していたザ・タイガースがオリジナルメンバーで再結成、さらにはドームを含めた全国ツアーを開催することを発表した。
参加メンバーは沢田研二(ボーカル)、加橋かつみ(ボーカル/ギター)、岸部一徳(ベース)、瞳みのる(ドラム)、森本太郎(ギター)。1969年から加橋かつみと交代で加入した岸部シロー(タンバリン)も体調が回復すれば参加する予定ということだ。かつて日本中を歓喜の渦に巻き込んだスーパーバンドが奇跡の再結成!ということだが、リアルに60年代のグループサウンズブームを体験したり、1982年に”同窓会”という名目でリリースされた『色つきの女でいてくれよ』のヒットを知っている世代より下の方にはいまいちピンとこないのではないだろうか。
そういう筆者も現在28歳で、当然彼らの全盛期は体験していないのだがザ・タイガースの先輩バンド『ザ・リンド&リンダ―ス』の加賀テツヤさんにお世話になっていた経緯から強く興味をもち、また沢田さん、加橋さん、森本さんとはそれぞれ共演させていただく機会があった。現代の若者としてはかなり当時の空気感を理解しているほうだという自負もある。ここはひとつ知らない方にわかりやすく、という方針でザ・タイガースの歴史と、今回の再結成がなぜ“奇跡”なのかということを解説させていただきたい。
内田裕也がスカウト 一躍グループサウンズブームの頂点に
ザ・タイガースがデビューしたのは1967年。大阪のジャズ喫茶(ライブハウス)で演奏していた彼らを内田裕也がスカウトして渡辺プロダクションに所属させた。おりしも当時の日本はビートルズやローリングストーンズの影響をうけたグループサウンズブーム、すなわち日本初のバンドブームの真っ最中。すでにザ・スパイダースやジャッキー吉川とブルーコメッツなどが人気バンドとしての地位を確立していたが、沢田研二と瞳みのるの2大イケメンを擁していたザ・タイガースは『シーサイドバウンド』『君だけに愛を』などのヒットにより一躍トップバンドの座に。1968年3月には両面シングル『花の首飾り/銀河のロマンス』でオリコン一位を獲得した。
今でこそ乱発傾向のいちじるしい”オリコン一位”だが、当時は非常に権威があった(※1968年のオリコン一位曲は12曲、2012年のオリコン一位曲は53曲)。1967年から1969年前半まで頃が全盛期だったグループサウンズブームだがオリコン一位を獲得したシングルはわずか3曲。うち2曲がザ・タイガースだったことを考えればその人気のほどがうかがえる。1969年のチョコで選ぼうGS日本一ランキング(明治製菓による)でもタイガースは断トツ一位の141,118票で2位のテンプターズ74,267票のダブルスコアを記録している。
メンバー間の亀裂 解散
しかし彼らの人気を支えるのはティーンズの少女層で、事務所の売り出し方はアイドルど真ん中。不良ロック少年だった彼らにとって、アンドロメダ星の王女と恋をする映画を作らされたりヨーロッパの王子様みたいなタイツの衣装を着せられたり、今でいうとジャニーズ若手グループのようなあた恥ずかしい仕事をすることは次第にフラストレーションのもとになっていった。特にアーティスト志向の強かった加橋かつみは真面目にスケジュールをこなそうとする他メンバーと対立することが多くなり、1969年3月に脱退。代わって岸部一徳の弟でアメリカ遊学していた岸部シローが加入するものの、当時ギター演奏もままならなかった彼はコメディアン的なキャラに走り、第二期タイガースは本来バンドが目指していた姿と大きく異なっていった。またどちらかと言うと加橋かつみに同情的だった瞳みのるも芸能界への嫌悪から次第にバンドの解散をうったえるようになり、ついには1971年1月24日の武道館ライブで解散するにいたったのだ。瞳みのるはその日の打ち上げで「10年後に会おう。そのとき君たちは乞食になってるだろう」と捨て台詞を吐き、その後は芸能界とすっぱり縁を切り高校、大学と勉強しなおし、ついには慶応高校の中国語教師となって学問の世界で地位を築いていった。芸能界に残った他のメンバーも沢田研二を筆頭に華々しい活躍を続けることになる。
全員そろわなければ再結成じゃない 1981年ザ・タイガース”同窓会”
次にザ・タイガースが脚光を浴びるのは1980年代初頭のこと。すでに日本を代表するスターに成長していた沢田研二の主導により1981年から1983年にかけてメンバーが結集、『色つきの女でいてくれよ』などをヒットさせた。ただ、バンドの要であるドラマー、瞳みのるは不参加をつらぬいた。声がかからなかったわけではない。高校教師としての仕事に専念していた彼は、何度となくあった連絡をすべてシャットアウトしていたのだ。沢田研二らはこの時期の活動を”同窓会”と称するにとどめ、一定の配慮を見せていた。
邂逅 旧友に贈った『Long Good-bye』
その後もザ・タイガースは紅白歌合戦に出演するなど断続的な活動はあったが、瞳みのるがそれに参加することはなかった。ところがファンや関係者も瞳みのるとメンバーの和解を半ばあきらめつつあった2008年、大きな転機が訪れた。NHKの音楽番組『SONGS』に還暦記念のキャンペーンで出演した沢田研二がゲストに岸部一徳、森本太郎を迎え「君のこといつも気にかけている」と歌ったのだ(『Long Good-bye』)。それを人伝いに聞いた瞳みのるは思うところがあったようで、コンタクトをとってきた中井國二元マネージャーの「仲の良かった君たちを事務所が引き裂いてしまった。すまなかった。」という謝罪を受け入れ、38年ぶりにメンバーとの再会に踏み切った。そして2011年2月にはザ・タイガース解散のいきさつとその後の生活、メンバーとの和解をつづった著書『ロング・グッバイのあとで』を出版して長年のわだかまりがとけたことを表明した。
それ以前にも森本太郎と岸部シロー、森本太郎と加橋かつみの間で若干のいざこざがあったようだが、それもこれで帳消しになったかのように円満なムードが訪れるようになった。
いざ再結成!と思いきやまた一人いない
2011年の沢田研二コンサートツアーは岸部一徳、瞳みのる、森本太郎、岸部シロー(一部)をゲストに迎えた内容で、各地で即ソールドアウトが続出。60代を迎えても衰えない演奏とコーラスワークは上々の評判を得たが、しかし加橋かつみはそれに参加しようとしなかった。なぜ?心の内はわからないが、はっきり言って加橋さんは非常に気難しい人なのだ。重度の肺気腫で苦しんでいる人の前で「大丈夫~?」とバカバカ煙草を吸ってしまったり、店にない銘柄のウイスキーを「無いなら買ってきてよ」と天然で悪気なく言ってしまえる人、それが加橋かつみさん。かつ沢田研二を若干ライバル視しているふしがあるし、アーティスティックでシニカルな面もあるので、好き嫌いはともかく大変とっつきにくい。各方面からの度重なる説得があったが、とにかくこの時点での再結成は実現しなかったのだ。
そしていよいよ!再結成!
これまでのエピソードを読んで、ザ・タイガースの今回の再結成がいかに長い艱難辛苦の末に実現したことか理解していただけたことと思う。60代半ばを迎える各メンバー達にはそれぞれ人生の重み、考えの違いや利害の矛盾があると思う。人間なんてそれぞれややこしい。特に加橋かつみはどんな説得をうけて納得したのだろう?しかしそれを乗り越えてようやく今年、“再結成”が実現するのだ。これこそバンドの醍醐味ではないか。5人、いや6人の奏でる演奏、コーラスは重厚に日本中を席巻してくれることだろう。今後とも長い活躍を期待したい。
ザ・タイガースのツアー日程は12/3武道館、12/8長崎ブリック、12/10福岡サンパレス、12/13名古屋センチュリー、12/17京セラドーム大阪、12/20仙台サンプラザ、12/22札幌ニトリ、12/27東京ドーム。