どうもライターの丸野裕行です。
アフターコロナになれば、風光明媚な観光地・京都には多くの日本人や外国人観光客が足を運び、神社仏閣をめぐり、美味しいものを食べ、豪華なホテルに宿泊。特に春の花見、秋の紅葉シーズンは観光客でごった返すものと思われます。
しかし……京都の地名にはゾッとしてしまうような“いわく”つきのものが多いことを、あなたはご存知でしょうか?
以前、『ガジェット通信』では、京都裏観光スポットとして《五條楽園》と《東山・蹴上》をご紹介しました。
<シリーズ:京都裏観光スポット>
https://getnews.jp/search/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E8%A3%8F%E8%A6%B3%E5%85%89%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88
今回は<京都の地名が名付けられた恐ろしい由来>について、4ヵ所+おまけの1ヵ所をご紹介したいと思います。
右京区帷子ノ辻(かたびらのつじ)
渡月橋のある観光地・嵐山へ向かう嵐電の駅にもなる地名。
嵯峨天皇の皇后である壇林皇后の葬儀のときに、その柩を覆うための死装束である着物・帷子(かたびら)が落ちてしまった場所だったということです。
檀林皇后は、その美貌と人一倍の宗教観で、京都では一番知られる皇后です。「今生には永久不滅のものはない、執着を捨てなさい」と自分の亡骸で飢えに耐える動物たちを救えるならば……と死後は、亡骸を埋葬しないで放置して、動物に食わせなさい、それを見ても哀れと思うことはないという遺言を残しました。
その遺言はしっかりと守られ、道の途中の辻に遺体は放置され、その辻を《帷子ヶ辻(かたびらのつじ)》と呼ばれるようになりました。
千本通り
平安京の真ん中を南北に走るのが、千本通り(平安京の時代では、朱雀大路)というメイン通りになります。北は船岡山~南は羅城門までを貫いた道幅で85mもあった平安京で最も大きい通りになります。
この千本通りの真北にあった船岡山西側に、おびただしい亡骸の埋葬地があり、ここに毎晩多くの死者が運ばれた街道が千本通りというわけです。道の両側には無数の死者を弔う恐ろしい数の卒塔婆が立っていたそうです。
千本の意味は「無数」とか、「数えることができない」という意味があり、その道筋は忌み嫌われていたとか……。
縄手通り
祇園縄手通りは、東西に走る祇園商店街(四条通り)を境に名称が変わります。四条通り北側を《縄手通り》、南側を《大和大路通り》と呼びます。
昔、三条河原という場所は罪人が首をはねられる“斬首場”だったという歴史があります。鴨川が一望できる観光地には、罪人の首がさらされていたというわけです。かつて、三条河原は、今と同じく繁華な場所だったので、見せしめの意味で刑が執行されて、その無残な有様を見せつける格好の場所だったというわけなんですね。
<写真:今では縄手通りはキャバクラ店やスナック、ラウンジなどがひしめいている>
《縄手通り》の“縄”は首をはねられる罪人が手に縄をかけられて連行される道だったというわけです。
右京区西院
平安時代、現在の西院駅周辺から西側は魔界へつながっていると考えられ、三途の川(賽の河原)と考えられていました。それらの由来は、鴨川と桂川が合流する地点・西院の河原という名称から来ていたと言われています。
賽の河原の“賽”というのは、親よりも先に亡くなってしまった子供たちの霊が《親不孝をしてしまった罰》として、「一つ積んでは親のため……」と際限なく積んでいく石の意味です。何度も何度も子供たちが積んいくのですが、賽の河原にいる鬼たちが崩しにやってきて、亡くなってしまった子供たちは、そのことを永遠に繰り返します。
しかし、そこに地蔵様が現れて、なんとか無念に命を落とした子供たちを救ったという伝説もあります。ここから、地蔵様は《子供守護》という信仰が誕生したと伝えられます。
おまけ:ホッパラ町
山科区北西には、地名で《山科区日ノ岡ホッパラ町》という場所があります。
こちらのホッパラ町は、かつてあった蹴上の粟田口刑場に近く、首をはねられたり、槍で突かれたりし、処刑された多くの罪人の亡骸がそのまま放置されたと伝えられます。
このホッパラ町の名前の由来には諸説があり、ひとつは「野原に穴を掘って罪人たちの遺体を埋めたことから“掘原町”、ふたつ目は、遺体を“ほっぽらかした(放置)”したことに由来しているという説です。どちらも、ひどい待遇を受けた遺体の状態から由来しているわけです。
やはり京都は1200年以上の歴史があるだけあり、様々な文献や伝説が残っています。そこにはもちろん、恨みつらみに似た人間の怨念が渦巻いているわけです。
それが地名に反映されることだって当然あります。
京都観光の際には、表側の歴史を見るだけでなく裏側の歴史に触れてみるだけで180度違う表情が見えるということです。
あなたもぜひ、京都観光の際にはこのようなディープな“京都の貌”を覗いてみればいかがでしょうか?
(C)写真AC