あれから20年 アメリカ同時多発テロ事件 

  by あおぞら  Tags :  

 あれから20年が経過した、アメリカ同時多発テロ事件。当日の朝を生生しく覚えている。当時私はミッドタウンにオフィスを構える会社で働いていた。朝、会議室にアメリカ人のスタッフが集まりテレビを見ながら驚きの声を上げていた。

 私はやらなければいけない仕事があり、会議室から聞こえる雑談にイライラしていた。数分して何か恐ろしいことが起きていることがわかった。

 ワールドトレードセンターのツインタワービルが、ハイジャックの乗っ取り犯により飛行機ごと突撃されて、ツインタワービルの両ビルは、見る影もなく倒壊した。高層ビルがこうも簡単に崩れていくことが信じられなかった。

 ニューヨークの中心のマンハッタンは機能が麻痺し、地下鉄、バス、鉄道が止まり、マンハッタンとニュージャージー州を繋ぐ橋は閉鎖。同じニューヨーク州内のクイーンズもブロンクスもブルックリンも全て橋は閉鎖。

 人々は信じられないが徒歩で帰るしか方法はなかった。私はマンハッタン住まいなので帰宅は徒歩で10分程ですむが、殆どマンハッタンで働いている人たちは、マンハッタン以外から通勤しているから、それはそれは帰宅の足がないので途方に暮れたことだろう。

 会社も学校も即ストップ、人々は午前中にもう帰宅してよかった。私はマンハッタン住まいと言うこともあり、帰宅には問題がないので、やらなくてはいけない仕事を続けた。

 銀行への入金がありビルを出ると、人っ子ひとりいないという実に奇妙な光景が街全体に広がる。まるで怪奇映画の撮影中?と勘違いしてしまいそうな位だった。

 銀行も閉まっていた。その判断すらなく出かけてしまった。近かったので無駄足は踏まなかったが、屋外は埃っぽく、焼け焦げたような匂いがした。

 ワールドトレードセンター倒壊後の粉塵が風に飛ばされミッドタウンまで来ていた。夜にロングアイランドという郊外に住む知人へ電話すると、そちらまで粉塵が飛ばされていたことに驚いた。

 消防署員が消防車に乗り勇ましく現場に駆け付けたが、多くの消防署員が亡くなられた。これはニューヨーク市警も同じこと。

 あれから20年が経つ。ご遺族の方々は20年、年を重ねられた。ワールドトレードセンター跡は慰霊の公園となり、ワールドトレードセンターテロを悼む博物館も設立された。フリーダムタワーと言う高層ビルも建設された。

 テロ後、帰国する用事があったが、ニューヨーク⇔成田間の直行便は、かわいそうなくらいに空席が目立った。エコノミークラスは真ん中4席を使って、狭いがベッド替わりに使えた。

 この季節、9月の今頃はいつも空気が重い。明日、追悼式典がしめやかに行われる。地獄絵図とは言葉では耳にするが、実際の地獄絵図と思える光景がここにはあった。
 

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