心優しき奇才と呼びたい西野亮廣

  by あおぞら  Tags :  

西野亮廣という人間のイメージは多彩な芸人のイメージでした。

私自身、ニューヨーク生活が長いので1990年代前半のインターネットが普及していない時代は、はるか遠い日本は日本経済新聞や読売新聞の衛星版の活字でしか知る方法がなく、せいぜい平日の当時は朝2時間の日本のニュースとバラエティー番組をセットにしているケーブルテレビの日本語放送が頼りでした。

YouTubeの到来で日本の芸能界のことがバンバン知られるようになり、日本のエンタメに飢えていた私は時間があれば中毒者のように見ておりました。

西野亮廣が印象に残ったのはビジュアルです。カッコいいと思いました。だから好きになるということはなく、ただ興味を持たせる人物でした。言う事も生意気、態度もでかそう、所謂いけ好かない奴です。兵庫県出身の関西人であるのに、なぜか標準語を話すのもイヤミでしたし、彼の生き方は敵を多く作りそうな印象を持ちました。ただ、カリスマ性は大いにアリ!と認めておりました。

そんな人を惹きつける西野亮廣がクラウドファンディングでニューヨークで個展をするニュースを、朝の日本語放送で知りました。寒い季節だったので出かけるのは億劫なのですが、ご本人も個展会場にいらっしゃとのことで地下鉄に乗り出かけました。2013年2月のことです。

トライベッカの会場、One Art Spaceは大盛況でした。主に日本人でしたが、それにしても集客率抜群でデキる男であることがわかりました。作品も実に細かい点で仕上げる途方もなく繊細なタッチで、イケメンだけでも生きていけそうな西野亮廣に、これ程の才能があることも驚きでした。

その数か月後、私は日本に一時帰国しひと月ほど兵庫県伊丹市で過ごしました。西野亮廣の出身地、川西市に近く大阪に出るより川西で買い物する方が地元感があり好きでした。その西野亮廣の故郷に足しげく通いました。

田舎なんですけど、都会風情があるのです。トカイナカという表現がぴったりで、まさに西野亮廣を表現する街でした。

この人物を懐疑的に思っていましたが、相方でYoutuberとして、新境地を開拓したカジサックが西野亮廣の実家を訪れる企画があり、ご両親が登場しました。人の良さそうな穏やかなご両親を見て西野亮廣への考えが一変しました。

そして大みそか付けのカジサックとの対談で、いかに西野亮廣が人に対して寛容であるかがわかりました。能力が自分より劣る梶原雄太を切ることはできなかった、オンラインサロンのメンバーでコロナ禍で失業した人たちの再就職に奔走する、まるで一家の大黒柱の責任感がある人物なのです。

そして、その対談番組で西野亮廣、梶原雄太共にお酒が入っているのですが、おかわりのお酒を黒子のように差し出してくれる方の手だけが画面に映るのですが、梶原雄太は出されても無言、無視。それと比べて西野亮廣はきちんとお礼を礼儀正しく言っているのです。

ここはキングコングと言う漫才コンビでも育ちの差が出てしまいました。躾をきちんと教えたであろう育ちの良い西野と、躾けられていない梶原の差が大きく出てしまいました。

厳しい目で西野亮廣観察をしてきましたが、この人物は愛されるべき奇才であることがわかりました。マルチもマルチ、一つだけでも飛びぬけているものがあるのも好運ですが、いくつもあるとは何たる恵まれた人物なのでしょう。

この方は転ばない、理由は地に足が着き、心優しく礼儀正しい人物だからです。

画像: from flickr
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