映画『わたしは金正男(キム・ジョンナム)を殺してない』監督インタビュー 「惹かれたのは北朝鮮などではなく、このふたりの女性の物語」

  by ときたたかし  Tags :  

世界が震撼した今世紀最大の暗殺事件の闇と真相に迫った禁断のドキュメンタリー映画『わたしは金正男(キム・ジョンナム)を殺してない』が、現在全国順次公開中です。空港で金正男の背後から近づいた若い女性がその顔を後ろから毒薬が塗られた両手で覆った後、何事もなかったかのように立ち去っていくという、まるでドッキリ番組の企画のように仕組まれた暗殺計画について、映画は真相を炙り出していきます。

監督は、ドキュメンタリー分野の気鋭、ライアン・ホワイト。謎に包まれた北朝鮮の都市・平壌や逮捕されたふたりの女性の故郷であるインドネシアやベトナム、そして裁判の行われているクアラルンプールの法廷を飛びまわり、公然と行われた殺人と、命をかけて戦うふたりの女性の信じられないような事実と驚くべき物語をひとつの映像にまとめました。そのライアン・ホワイト監督にオンラインでお話をうかがいました。

<STORY>2017年2月、マレーシアのクアラルンプール国際空港で一人の男が突然倒れた。神経猛毒剤VXを顔に塗られて殺された男は、北朝鮮・朝鮮労働党委員長、金正恩の実兄・金正男。そして殺したのはベトナム人とインドネシア人の二人の若い普通の女性だった。暗殺の様子は空港の監視カメラにすべて納められ、そのいたずらのような“ドッキリ”映像は世界を駆け巡ることとなる――。なぜ彼女たちは北朝鮮の重要人物を暗殺したのか?そもそも彼女たちはプロの殺し屋なのか?どのように暗殺者に仕立てあげられていったのか?分かってきたのは、貧しい二人がそれぞれの人生を夢見、そこに付け込んでSNSを通して巧妙に罠をしかけてきた北朝鮮の工作員たちの姿だった。巨大な国を相手に彼女たちの無罪を信じ、証拠を積み上げていく弁護団の渾身の調査はやがてある真実に行きつく…。

●映画拝見しました。監督はもともと北朝鮮に関心があったのでしょうか?

いえ特に詳しくはなかったですね。報道などで北朝鮮の問題は出てくるけれど、そういう過程で目にするくらいです。このキム・ジョンナムの暗殺もニュースで知ったくらいで、特に映画作家として、北朝鮮を題材に思ったことはないです。むしろ僕が惹かれた題材は北朝鮮やキム・ジョンナムなどではなく、このふたりの女性の物語でした。彼女たちは真実を語っているかもしれないが、クアラルンプールの裁判では自分の命が処刑されるかもしれない。そういう物語に自分のフォーカスを当てていました。人間的なハートの物語がこの映画の中心にあるし、あとは彼女たちの素晴らしい弁護士さんも忘れてはいけません。

●金正男が空港で突然顔に毒を塗られ、その後しばらくは人と話したりはしているものの、やがて倒れてしまうなど、断片的で衝撃的な映像報道があったと思いますが、その時の印象は覚えていますか?

あの事件が起きたタイミングは、アメリカではすごく興味深い時期で、2017年の1月にトランプが大統領になりました。1月くらいからメディアはとにかくトランプを追い続けていて、ほかのストーリーがニュースの見出しになるような状況ではなかったように思う。コロナ禍においてもそれ以外で唯一出ていた北朝鮮のニュースはキム・ジョンウン関係くらいで、それは見出しになるようなものではあったけれど、あの事件当時の2月、アメリカでは一瞬だけ報道されて、すぐに消えてしまいました。

●そうなると映画化の意義は大きそうですね。

だからアメリカの人たちに聞くと、みなさんなんとなく覚えている程度で、「あのクレイジナーな暗殺でしょう?覚えている、覚えているよ」程度の反応で、その後は事実ではないことを語る人が多かったですね。おかげでいろいろな説を耳にしましたが(笑)。僕としては映画作家としてエキサイティングなチャンスでもあったわけで、アメリカの人たちはそこまで本当のことを知らないインターナショナルなストーリーであって、しかもキム・ジョンウンもトランプも巻き込まれている物語でしたから。みんな事件はなんとなく覚えているけれども、実際に映画を観ると思っていたことはまったく違うという感じでした。

●詳しくは映画本編に譲りたいのですが、取材の過程はどういう感じでしたか?

自腹で現地に行って一週間くらいの滞在だったけれど、まずはとにかくどんなことが起きているのか自分たちの目で見てみようということになりました。でも見れば見るほど、これはやられたと心つかまれる何かが何度もあって、女性たちが言っているように表向きにはとても荒唐無稽な物語が、もしかして本当かもしれないと思い始めました。なのに彼女たちは有罪になり死刑に処されるかも知れないと思ったらいてもたってもいられず、ほかの企画をいったんすべて止めて、この作品を撮ろうということに決めました。

●映画の中では語ってはいないけれど、いま補足したいことはありますか?

それは特にないです。ただ、キム・ジョンウンの健康・死亡説みたいなものがニュースに出てきた時に、もしも何かがあったとして政権交代があった際は、エンディングをアップデートしなければいけないと思い、そこはちょっと注視していました。もっと早くアメリカでも公開される予定でしたが、コロナで遅れてしまいました。でもそれによって興味深いことは、数か月後にトランプが大統領を続けるのかそうじゃないのかの結果が出ているわけで、それによってこの映画を観るレンズが変わるように思います。彼はキム政権とかかわりがあるわけで、その部分は興味深いです。選挙の結果で映画の内容を変えようとは思っていないですが、大統領選の結果は興味深いものがあります。

●いま新たに注目している題材は?

僕は不正であったり、不公平なことにとても惹かれます。残念ながらドキュメンタリーでテーマとして目立つものって、そういう不正や理不尽なものをテーマにしていることが多いですよね。いまはアラバマで起きた自分のレイプ犯を銃で撃って殺してしまった女性が、第一級殺人罪に問われている事件を追っています。ただ、こういうダークなテーマを扱っていたら、同時に軽妙なものも扱ってバランスを取ろうとも思っています。というのも、この仕事は出張が多く、どうしてもダークで悲しい物語が多いから、意図的にそうじゃないものを探しています。火星の話とかですね。

ただ、どういう時でも社会的な問題、政府・政治についての映画を作ることはありません。いつも中心にあるものはヒューマンなハートであって、惹かれるものは人物や、グループです。そういうもの描いていますし、これからも描くつもりです。

タイトル:わたしは金正男(キム・ジョンナム)を殺してない
監督:ライアン・ホワイト『おしえて!ドクター・ルース』『ジェンダー・マリアージュ 全米を揺るがした同性婚裁判』/2020年/アメリカ/英語ほか/104分/英語題:ASSASSINS/(C) Backstory, LLC. All Rights Reserved./配給:ツイン
シアター・イメージフォーラム ほか全国順次公開中

ときたたかし

映画とディズニー・パークスが専門のフリーライター。「映画生活(現:ぴあ映画生活)」の初代編集長を経て、現在は年間延べ250人ほどの俳優・監督へのインタビューと、世界のディズニーリゾートを追いかける日々。主な出演作として故・水野晴郎氏がライフワークとしていた反戦娯楽作『シベリア超特急5』(05)(本人役、“大滝功”名義でクレジット)、『トランスフォーマー/リベンジ』(09)(特典映像「ベイさんとの1日」)など。instagram→@takashi.tokita_tokyo