世の中は予期せぬことが起こるもの。まさか2020東京オリンピックが開催されないなんて、誰も予想もできなかったことでしょう。
それに渡部建の異常な不倫と言うか、非人間的な女性への扱いも、想像が出来なかったわけではないですが、イヤイヤ、これはやはり異常としか言いようがないですね、あまりにも非情過ぎた。
不倫相手は渡部が既婚者であるのに、呼び出されたからと言って多目的トイレに行ったことにも大いに非はありますが、今回はそれについて語るわけではございません。
テレビに引っ張りだこだった芸人がいきなり転落する理由を考察していきたいのです。
アンジャッシュ渡部、雨上がり決死隊宮迫、カラテカ入江と相方がいる芸人達でした。この3人の特徴は相方を下に見ていたのです。そう、見下していたのです。渡部と入江はわかりやすく態度に出していました。宮迫に関してはあからさまに出してはいなかったですが、それでもテレビ画面から微妙に感じることができました。
要するに渡部、宮迫、入江のこの三羽がらすは、自分たちの人気によりアンジャッシュ、雨上がり決死隊、カラテカが維持されているのであり、内心、”じゃない方”の相方たちに『お前、でくのぼう。俺様がいなければ路頭に迷っていただろう。俺様の実力、人気に感謝しろよっ!』のような慢心が満ち満ちていたと思います。
しかしですね、世の中、光が当たっていない方に実は実力がある場合があり、愚か者はそれに気づかないのです。気づかなかった愚か者たちが、渡部、宮迫、入江の三人なのです。
カラテカ矢部などは『大家さんと僕』で漫画家デビュー後、書籍は発行されるし、NHKで『大家さんと僕』がアニメ化される快挙!ほら、しっかり才能アリの芸人だったんですね。
ホトちゃんも宮迫がいなくて司会は一人で大丈夫か?と心配されても、十分こなしているし、ともすれば宮迫なんていない方がすっきりして見やすいと思えるくらいです。
児嶋一哉の存在を知らない時、映画で見て『味のある上手い俳優だなぁ..』と意識していたら、芸人であることを後に知りましたが、コントをしなくても俳優としても十分に生きていける実力です。
渡部、宮迫、入江は、”じゃない方”の光と影の”影担当”の相方を軽く扱い過ぎました。
結局、身近を大事に大切に出来ない人は足元をすくわれるのです。足元をすくわれるというのは、心が汚れ始めて行くのと等しく、心が汚くなれば、相手に対しての敬意もなく、それが行動に表れ、相手を見下し、第三者にも不快な印象を残し、結果的に自分に災難が降りかかってくるのです。
人気者になればなる程、謙虚さが必要です。
宮迫は渡部や入江ほど、相方を見下してはいませんでしたが、それでも人間が軽いところがあり、YouTubeなどでは相方でもない年上の三又又三を未だに公衆の面前でバカにしています。五十路を迎えた大人のすることではありません。
人間の軽さは言葉を知らないことにも表れており、アーティスト発言ををされていましたが、普通に歌手でいいんじゃないですか?アーティストって何?言葉の意味を知っていたらそんな大仰な言葉使えませんよ。
入江は芸能界を引退しましたが、おそらく復帰は画策しているのではないでしょうか。しかし、宮迫ですら地上波復帰はいつになるやら予想もつきませんし、渡部に関しては記者会見を開こうが開くまいが、地上波復帰は絶望的でしょう。先ず、スポンサーが嫌がるでしょうし、じゃ、スポンサーのない天下のNHKが使うか?と言うと、そんな訳はない!
芸人世界では昔みたいに師弟関係がなくなったので、師匠から注意を受けることもなく、その分自分で自制しなくてはいけないのです。
人間国宝だった桂米朝師匠の名言を知っていれば、これほどまでに世間から後ろ指を指されることはなかったことでしょう。
「芸は人なり。やっぱり大事なんは人間性や」
「 ええか、やっぱり最後は人間やで、人柄や。どんなに上手くなっても、どれだけ売れても、人間性やで。そやさかい、人間を磨いていかなあかんのや」
「 芸人はどんなにえらくなっても、つまりは遊民なのです。世の中の余裕、お余りにで生きているのです。」
核心をついているのは以下のお言葉、これをしっかり身に着けていれば、渡部、宮迫、入江たちは、今もテレビで大活躍だった筈です。
「その人と同じ位と思えば自分より上、自分より下と思えば自分と同じ位、 自分より上と思えば自分より遥かに上」
人間国宝になる方のお言葉はありがたい。転ばぬ先の杖のように自分自身にも言い聞かせたいです。
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