今や若者たちが敬遠して寄りつかないヤクザ社会。そこには現在、高齢化の波が押し寄せているといいます。
映画やVシネマでよく見る“鉄砲玉”というのは、極道社会に入って日が浅い若い衆と相場は決まっていました。しかし昨今では少し事情が変わってしまったようです。
「組のために体を張り、懲役務めをする」なんて考え自体がもはやナンセンス。今や、敵対している組員の命を殺りに走るのは、40代~50代後半へと変わってしまいました。
今回は、その道44年、人生のほとんどを塀の中で過ごしたという「生粋の武闘派ヤクザ」の「世話係」である竹田氏(仮名/45歳/某広域暴力団幹部)にお話をうかがいました。
人殺しと恐喝のみがシノギの男
丸野(以下、丸)「よろしくお願いいたします。どのような経緯でそのベテランヤクザの世話係になったのですか?」
竹田氏「そうやね、俺は組で住み込みをやっていたんですよ。平成10年の秋、オヤジに呼び出されてね。組員たちが事務所で並ばされて、オヤジが暗い目をしたコート姿の男を紹介してくれたんですよ。“今日から、この組で働いてもらう坂本(仮名/56歳)や、よろしゅうな。○×組と□△組の出入りで3人殺って伝説になってる、人斬り良次って言えば知ってるやろ” と言われて……。伝説のヒットマンやから、有名やったんですわ。へぇ~、この人なんか、と」
丸「ほほぉ、そうなんですか」
竹田氏「それで良次さん、“ワシ、殺しとカツ(恐喝)しかできんので、親分に拾ってもらったんでよろしゅう頼みます……”とご挨拶されて……。前日までムショに入っていたんですけど、やっぱり人を震え上がらせるオーラがあって、恐いですよ。それからは、良次さんは組に詰めて、せこせこ雑用に動くオレらを尻目に毎日ビールをチビチビと舐めてましたね。そんなときにオレの耳に入ってきたのは、組長室でのオヤジとカシラの密談でした。“なんかあったら、とりあえず良次に走ってもらおう”と」
丸「自分のところの若い組員を出すと、後処理が大変ですからね。使用者責任も問われるし、組の将来もあるし……」
竹田氏「良次さんはそれを覚悟して、不測の事態に陥ったときに鉄砲玉になることを約束させられていたんだと思います。義理人情を盾に、良次さんを捨て駒に使うことにしていましたね。そこで、良次さんがおかしなことをしないように、オレを世話係にしたわけです。それからは、時々みかじめ料の徴収と債権回収の仕事をこなして、半年ほど経ちました」
風俗店で、〇〇〇をしてしまう
丸「それからどうなったんですか?」
竹田氏「この頃、ちょうど組の企業舎弟が、不動産会社と売買の件で揉めたんです。揉めてる不動産会社っていうのが、敵対している組が運営しているところだったんですね。そこでいよいよ良次さんの出番になったわけです。ただ、この頃近くにいたオレは、彼の言動や素行に疑問を感じはじめてました。例えば、中華屋に行っても同じものを何回もオーダーしたり、店から金を払わずに出てしまったり、オレに“おまえは誰だ。つきまとうな”と怒ったり、モモヒキのまま外出しようとしたり……。彼が普通じゃないと思った決定打になったのは、オレと良次さんのふたりで、組がケツ持ちをしているソープランドへ行ったときでした」
丸「は、はぁ……」
竹田氏「プレイ中に、血相を変えたボーイがドアをノックしてきて、“どうした?”と聞くと、“ちょっと困ったことになってます!”と。良次さんの入ったプレイルームへ裸で飛び込むと、良次さんが湯船でウンコしてました」
丸「ウンコを!」
竹田氏「オレは急いで良次さんを連れ帰りましてね……。でも帰って早々、待ち構えていたオヤジが良次さんに回転式の拳銃を渡していたんですよ。“良次、頼むでぇ~”と。もちろん、ターゲットは揉めている筋者の不動産屋でした。1週間後だと……」
丸「大丈夫なんですか?」
自分がどこにいるのかわからなくなり、行方不明に……
竹田氏「良次さん、“はぁ……”なんて気のない返事で答えてましたけど、やっぱりどこか呆けている感じなんですよね。そして次の日、良次さんがいなくなっちゃったんです。組員総出で街を探し回ったんですが、全然みつからへんでね。土壇場で逃げたという話になり、組に帰ってから系列の組に廻状をまわそうとしたとき、ちょうど警察から電話が入ったんですわ。全員で“なんや!”と。そしたら、良次さんが10駅以上離れた交番で保護されていると……」
丸「ヤクザがですか?!」
竹田氏「警察に保護されるヤクザなんて、前代未聞ですよ。渋々迎えに行くと、良次さんは笑顔で待っていました。で、オレのことを“お父ちゃん”と……。それからは、行動がさらにおかしくなって、鉄砲玉当日になっても、相手の顔が憶えられない、場所を憶えられない事態になりまして。拳銃もなくしているし……。さすがに、おかしいと思ったオヤジと若頭は、良次さんを病院に連れていきました。医師からの診断は認知症でした」
丸「ああ、やっぱり……」
竹田氏「薬で進行を止めることもできず、オヤジは組長室で老人ホームのパンフレットを開いていました。“金がかかっても、帰る組もわからん、殺る相手もわからん、自分も誰かわからへん相手に目くじら立てても仕方ない”と。良次さんは今、関西にある『清風園』(仮名)という老人ホームで余生を送っています」
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このインタビューののち、良次さんは病院のベッドで人並みに亡くなることができたそうです。
竹田氏は、「自分の数十年後の姿を想像すると、正直、逆にうらやましい」と話していました。
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