どうもどうも、特殊犯罪アナリスト&裏社会ライターの丸野裕行です。
あなたは、ヤクザを辞めた人々がどんな人生を送っているのかを知っていますか?
スピードワゴンさんMCのAbemaTV『月曜The night~ヤクザSP~』で共演しましたヤクザ社会学者の廣末登先生の著書『ヤクザの幹部やめて、うどん店はじめました。』がYahoo!ニュースのトップに取り上げられ、重版が決まり、大変うれしく思っている私ですが、以前ヤクザを辞めた人々を取材したことがあったことを思い出しました。
そこで今回は、男が男に惚れるアウトローな稼業に従事していた元ヤクザたちの悲喜こもごもな人生を綴ってみたいと思います。
社会復帰が非常に難しい
仁義や任侠に命をかけ、犯罪に手を染めてシノギを行ったり、飲む・打つ・買うを地で行き、男の中の男を身をもって気取る。しかし、斬った張ったの極道社会で生涯を生きぬく者もいれば、愛する家族のため、自分のために去る者もいる。果たしてヤクザを辞めた男たちのその後とはどのようなものなのだろうか?
ヤクザを辞めることへの葛藤、足を洗うためのケジメ、盃を交わした仲間、消えない刺青、関係者からの恨みや妬みなどと闘う彼ら。ある者は慎ましやかな生活に同化し、またある者は元の道に舞い戻る。ここでは、破門や足抜けの理由やタイプ別など、前職とはまったく違う道を歩みだした元ヤクザ4人に協力をしてもらい、彼らの社会復帰までの道のりを追ってみた。そこにはどんな人間模様があるのだろうか。
女房のため、子供のために
まずご協力いただいたのは、現在はスーパーの鮮魚売り場で毎日100匹以上の魚を捌いている、元〇〇組系第3次団体に所属していた新井潤さん(仮名、30才)。足抜けしてからもう4年の歳月が経つ。
「家族のために、オレはオヤジに言うて足洗わせてもうたんや」
暴走族の時代にスカウトされ、部屋住みからスタート。約8年間もアニキ分の金魚のフンとなった。自分の女をピンクサロンで働かせ、その頃は荒んだ生活だったという。
「旦那“金貸し”、嫁さん“売春婦”っていうのが格好ええと思ってた。アホやで。構成員でおしぼりやレンタル観葉植物の宅配やらで毎日の糊口をしのいでいたとき、女房の腹が大きくなったことがわかったんよ。泣きながら“カタギになって! なってくれへんかったら殺す”って、包丁突きつけられたらどうしようもないわ。葛藤ってめちゃくちゃあるよ。一緒に同じ釜の飯を食うてきた仲間やな、やっぱり」
カタギになることをほのめかすと「女のことで稼業を辞めるなんて男の風上にも置けない」と陰口を叩かれ、後輩からもつまらない嫌がらせを受けた。睨まれる、言うことを聞かない、わざとらしくタメ口を使われる。よく耐えたと振り返る。
しかし、さぞやヤクザ業界というのはそう易々と辞められるものではないのだろうと思っていたのだが、その質問をぶつけると、新井さんはあっさりと答えた。
意外! エンコは詰めない辞職方法
「意外と簡単やったで。暴対法ができてから、今では全盛期に比べてヤクザの数は3分の1もおらん。指定(暴力団)逃れのために、人員削減のヤクザリストラしてる組もあるって聞いてる。“辞めたかったらどうぞ、まぁ食えるように頑張れや”みたいな軽いものやったよ。年寄りだらけの極道社会やもん。若い者も入ってこんし、もう弱体化していくのちゃうやろか」
現在の妻を連れだって、組長の元を訪れた新井さん。では、具体的にどうすれば足を洗えるのだろう。
「ヤクザを辞めるときには、落とし前でエンコ(小指)を飛ばすものやと勘違いしている人が多いけど、実際は、組織と“もう金輪際、一切の関係を断つ”という除籍通知をオヤジが書くだけで済む。それが関連の組やフロント企業に、チラシ(廻状)としてまわるねん」
次の日から、カタギの生活になった。定職のアテもない新井さんはどうしたのか。
メロンパンの移動販売で成功
何のアテもない新井さんに、妻は「移動販売のメロンパンをはじめないか」と風俗の仕事で貯めた200万円を手に持ちかけた。フランチャイズ契約をして、メロンパンの焼き方や経営の手法を徹底的に叩き込まれる。親会社の社長の教育はまさにスパルタ式。毎日怒鳴られ、貶されたが、やはり16歳からの部屋住みがそれに耐える根性を養っていた。
身重の妻との二人三脚。妻が子供を産んだとき、新井さんは甘いパン生地に塗れた手でやっと我が子を抱いた。29才、それは焼き窯が設置された移動用のライトバンが届いた日だった。
「子供を抱いた時には、うれしくて泣いたな。自分の血を分けた本物の子供。盃も確かにええけど、“血”というものは何物にも代えがたかったわ。その数日後には、たくさんの宅急便が届いたんや。全部、元いた組の人間からの出産祝いで。オヤジがくれたクーファン抱きしめて、オレはもういっぺん泣いたわ」
「育てた子供は足を洗ってもかわいい」「無事か気になる」という組長の想いは、我が子を想う新井さんと変わらないのだろう。その後、メロンパンの商売はどうなったのだろうか。
「一時期はすごい勢いで、焼いても焼いても売り切れ御免やった。人も行列つくって、みんな焼きたてを買うていってくれる。でも、まぁ人の舌というのは飽きるのが早いモンや。2年頑張ったけど、もう畳むことにした。で、メロンパンの社長の紹介で、スーパーに入る鮮魚会社に就職したんや」
魚をさばく修行に耐える
料理はもちろん、魚を捌くことなど一切したことがない新井さんに包丁さばきを伝授したのは厳しい先輩だった。再び、彼は何度も暴れそうになる衝動を堪えながら修行に耐える。2人で毎朝市場への買いつけに行き、目利きをする。現役時代は、夜型生活を送っていた新井さんはこの生活で完全に真っ当な勤め人に変わった。
「誰もが眠りについている、街すら目覚めてない時間から一生懸命、人のために汗を流す人がいる、と考えると人間というものが愛おしくなる。しかもオレに厳しく仕事を教えてくれた先輩は同じ元極道やったんや」
なんという運命のいたずら。先輩の職人は新井さんが元ヤクザだということを雰囲気でわかっていたという。
「オレは代紋よりもっと命を賭けて守るものができた。それが子供と嫁が安心してスヤスヤ眠っている寝顔やった。昔、オレが酔っぱらって暴れたときに嫁を殴ってしもうた。その後遺症で嫁は左目がかすむんや。そのうち、完全に見えんようになるらしい。オレが一生を捧げて、右目代わりにならないとアカン。発泡酒でしのぎながらのカタギ生活は今ではホンマに楽しい(笑)」
屈託なく笑う新井さんは、自分が勤めるスーパーに近い、西宮市にある小さな市営住宅に住み、親子3人慎ましやかに暮らしている。
(C)写真AC
≫≫シリーズ・足を洗ったヤクザたちの第2の人生『ヤクザ稼業に疲れ切った男』へ続く