上野動物園で7月5日に生まれたシンシンの赤ちゃんパンダが死んだニュースで、上野動物園園長の土居利光園長が会見の途中で涙ぐみ、ことばを詰まらせながら報道陣の質問に答えている姿に『優しい方なのだろうな….』と画面をみつめました。
赤ちゃんパンダ誕生に喜んだのも今になれば束の間で、赤ちゃんの名前をつけることなくわずか6日の命でした。
パンダの赤ちゃん死亡の悲しいニュースを知った後、イタリアのナポリでゴキブリが大量発生し、見たこともないような異国のゴキブリアップの写真をクリックして更に拡大しました。世界中のアイドル的動物のパンダと世界中の嫌われ者のゴキブリの、しかも見慣れない姿かたちの更に気持ち悪いゴキブリを見つつ『命としては同じ命だな…..』と思うと、なんだかおかしいのやら悲しいのやら、取り留めのない気持ちになりました。
90年代ですがワシントンDCの動物園には病気のジャイアントパンダが一頭だけいました。病気でも姿を見ることが出来たのですが、パンダ舎の周りには子供達の幼い字で「早く元気になってね」のカードやメッセージがぎっしりと貼られていて、人間の私はパンダの人気ぶりに羨ましさを覚えたくらいでした。愛らしい姿に、そして数少ない珍獣は存在だけで感謝される、なんとも望まれた命でしょうか。
そんなことを思い出しながらシンシンの赤ちゃんパンダの小さな命が途絶えたことに気落ちしました。
人間は本当に勝手です。人間にとり害を与えるものは容赦なくその命を抹殺できるのです。当然私も生活に害を与えるものは殺します。先週郊外に出かけてやぶ蚊に噛まれた時には、パン!と音を立てて片手で自分の脚に止まっている蚊を一瞬で殺しました。ゴキブリは幸いなことに我が家にはいないので、その姿をみることがないからまだいいのですが、もし、いようものなら、ゴキブリを仕留めるアメリカのホイホイっぽいものを早速買うことでしょう。
パンダに生まれてきたからには、ここまで大事にされて、愛されて、パンダの赤ちゃんが死んでしまったら涙する人も上野動物園園長はじめいるというのに、同じ命でもナポリに大量発生した巨大ゴキブリ。人間にみつけられただけで、もう形相を変えてまでして追いかけられて、イチコロされる命もあるのです。
地球上の生き物の中で人間に生まれてきたことは幸せなことであるとスピリチャルの大家は話し、それはきっとそうなのでしょうが、過保護なまでに大事にされるパンダはなんて幸せ者なのでしょう。厳選された笹を食べ、よく遊び、よく寝て、労働も、税金も納めることなく、老後の心配もいらない。
その点、ゴキブリはなりふりかまわずエサを求め、それも何も高級素材を求めるのでなく残飯で十分と言う底辺に住みながら、その姿を人間にみつけられると、力強すぎる生命力が脅かされるのです。ゴキブリを見たら殺しますが、その姿を見せただけで、ここまで命を軽く扱われるゴキブリは、パンダさま方の扱いとあまりに違いがありすぎて、動物ニュースの上野のパンダとナポリのゴキブリの命の対比の月とスッポン振りに、パンダの赤ちゃんの死を悼み、またゴキブリの命の軽さを考えたのであります。
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