格差社会の象徴は犬の洋服のように思えるときがある。東京でも愛犬に洋服を着せて散歩させている人たちも多いだろうが、マンハッタンのミッドタウン、国連近くの住宅街には洋服を着せている犬をよく見かける。雨の日には黄色のビニールのレインコートを着せられている犬も見たし、極寒のニューヨークでは毛皮を着ていた犬をみて心底驚いたことがあった。
その一方路上にはホームレスの人たちが物乞いをしている姿も見る。くたびれて着古したボロボロの洋服を着て、夏でありながらもなぜか厚着が多いのだが、そういう人たちの前を洋服を着た犬が飼い主と共に通り過ぎる時、なんとも言えない寂しい気持ちになる。
最近CNNが日本特集をしていたので興味を持って音量を上げて見たところ、日本は高齢化社会となっているが、その割りに出生率が低いとあった。働き盛りの人たちで仕事にあぶれた人たちが多く、その割りに今も天下りは衰えず、それらの人生『勝ち組』の人たちは退職金をもらって、また新しい職場に良い待遇で迎えられることになる。
トップクラスの天下りには5億円の費用がかかるとあるサイトでみた。それはあながち嘘ではない数字だと思う。もし、たった一人の”王様”を天下りさせる費用があれば、職にあぶれている人たちに回すことができればどれだけいいだろう。額に汗する肉体労働は決して高い賃金ではないと思う。だから天下りのようなシステムは根絶して、もっと低レベルのアップを図れないものかと思う。
格差がどんどん広がっていく。景気は低迷し、リストラは未だに行われ働き盛りの世帯主が路頭に迷う。しかし富裕層は更に資産を増やし、それらの富裕層のソサエティーが更に良い条件を手に入れる。
民放のテレビ局では必ずと言えるほど有名人の子弟が入局している。大手広告代理店に至っては親の力で入社の合否が決まるのではないかと思うほどである。恵まれた方々が恵まれない人たちに施しをする社会なら良いのだろうが、なかなかそういう風にはいっていないと思う。
私は人間でありながら、洋服を着た犬を見ると甘やかされているその犬に対して腹が立つ。ひいては犬ごときに洋服まで買い与える飼い主の金銭感覚に腹が立つ。生活の中に愛犬の存在は大きいのはわかる。しかし、洋服を着せている犬の飼い主はせめてホームレスの人たちの前を通るときには、人生に疲れ果てた彼らの目の前の紙コップにいくばくかを恵んであげて欲しいと思う。それこそがバランス感覚だと思うし、そこに現代社会の救いが見えると思う。
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