2003年、春。
私はキューピーお客様相談室に電話をした。
知り合いでマヨネーズと言ったらキューピーしか食べないと豪語する人物で、キューピーマヨネーズを食べるには外パッケージのあの赤いアミアミの模様がないとダメだと言う人間が2名いるのでなんとかならないか、と相談を持ちかけるために。
電話口に出た声質で推定するに初老の男性は「それは一体…?」と固まってしまい内容の詳細をつかめていないご様子。
私は丁寧に説明した。
「マヨネーズの味はね、ふたりとも好きなんやって。チューブのヤツ、あるでしょ?あの外の袋にはキューピーちゃんとアミアミの模様が描かれてますやん?あの赤いアミアミが付いてないとマヨネーズが食べられへんらしくて、開封したあともずっとあの袋に入れたまま冷蔵庫で保管するんです。もちろんマヨネーズを使う時もあの袋に入れたままブチューて出す使い方で。ずっと袋に入れてる、ていうより袋からは1回も出さない。だからね、袋の口にマヨネーズがついたりするわけですよ。それをティシューで拭き取ってまた袋のまま保管する。そんなんを繰り返すと後半はどうみても不衛生なんですわ。きったない袋のクチにまたマヨネーズがついてそれを拭き取ってキレイにしてもたいがい汚いんですよ、何をしたところで。それやのにその『赤いアミアミ』の模様がないと食べられへん、言うんですね。食べたい気持ちはあるのに赤いアミアミがないとダメ、それで泣く泣く袋に入れたまま。ひとりは潔癖症で汚いことが嫌いなはずやのにこの世の誰よりもマヨネーズだけがきったないと思いますよ。そんなわけでね、マヨネーズのチューブに直接、赤いアミアミをプリントしてあげたらどないです? そうするとふたりのマヨネーズは最後まで衛生的に良い状態を保てると思うんですけど」
貴重なご意見として商品開発部に伝える、と言ったおっちゃんが商品開発部に伝えるのに十数年かかってしまうほどお客様相談室と商品開発部が離れているのか、それとも伝えられた商品開発部がチューブに赤いアミアミをプリントするのにおそろしく手間どっているのか、なんにせよ現在までにチューブに赤いアミアミが直接プリントされたキューピーマヨネーズは見ていない。
たった2名のお客様の希望を叶えてパッケージが変更されることはないようだが、時には少数派の意見だからこそ取り入れる大手企業があってもいいではないか。
知名度もあってフリーダイアルに億の費用を払える余裕のある企業は、これを広報活動のひとつとみればいいのではなかろうか。
なぜに必要もないのにマヨネーズのチューブに赤いアミアミがプリントしてあるのか、という疑問の声がそのうちお客様相談室に届くだろう。
その時には堂々とこう答えていただきたい。
「我が社の商品をこよなく愛するお客様からのご要望で、たったおふたりのご意見ではありましたが、我が社はこのご提案を実現したいと考えました。それなので今後のキューピーマヨネーズの本体チューブには赤いアミアミが印刷され続けることとなりますのでどうぞご理解ください」
かっこいいエピソードではないか。
そしてこうも付け加えていただきたい。
「パッケージ変更をするに至りましたお客様からのご要望詳細につきましては、当社ウェブサイト『商品開発こぼれ話』のコーナーをご参照くださいませ」
録音してあるお客様との、やりとりデータの文字起こし兼こぼれ話コーナー担当ライターとしての心の準備は、既に整っていることをお伝えしたい限りである。
【思い起こせば20年超】
世の中にはふと疑問に思うことが多々ある。
その疑問に対して次々と提案が浮かぶのは社会の一員になった証拠である。
だから私は18歳で社会人になってからこれまで20有余年、お客様相談室にいろいろな相談と提案を持ちかけてきた。
カレールーを投入した後の時短テクニックの相談やお菓子や飲み物のパッケージの相談にお客様相談室をフル活用。
フリーダイアルのお客様相談室というのは一流企業が相手だが、持ちかけた相談がなかなか実現しないところをみると、20年もの長きに渡り日本は不景気なのかもしれない。
そんな日本経済にありながら、お客様相談室が消滅しない事実を消費者である我々はどう受け止めたらよいだろうか。
日々寄せられるお客様からの相談が、一体どのくらい商品に反映されているものなのか。
果たしてお客様相談室はどこまでお客様の相談に乗ってくれるものなのか。
お客様の提案をどこまで受け入れてくれるものなのか。
【どん兵衛きつねうどんのきつねがキュとなる】
久しぶりにどん兵衛のきつねうどんを食べて背中がゾワゾワした。
そうだった。
どん兵衛がリニューアルしてからというもの、赤いきつねに流れていたのだった。
旧どん兵衛好きは、どん兵衛がおあげをふっくらさせてしまったがために相当数が赤いきつねに流れていったとみている。
それほど、どん兵衛のおあげ問題は深刻だ。
コシ皆無うどん文化で育ってきた私にとってはどん兵衛の麺にコシを出そうとする姿勢がおあげ問題以上に深刻で危機感さえ芽生えてきているが、旧どん兵衛派の民にとって多大なるがっかりを生んでいるのは何をさて置いても、おあげの分厚さであろうと察す。
パッケージのおあげの上に乗る『ふっくら。』の文字。
旧どん兵衛派はこの文字に伸ばしかけた手を止め赤いきつねのほうにその手が伸びるのである。ふっくらを求めていないから、隣りの隣りの隣りに陳列してある赤いきつねを手に取ってしまう。どん兵衛のふっくらしたおあげのキュとなるあの感覚に比べれば、まだシワのあるガサツな赤いきつねのおあげのほうが旧どん兵衛に近いから。こう書くと赤いきつねのおあげがガサツだと批判しているように聞こえるかもしれないが、赤いきつね派はおあげのガサツさを愛しているわけで、それがいつまでも変わらないことを赤いきつね派は願っているに違いない。
私が、どん兵衛のおあげに変わらないことを望むように。
ああ、どん兵衛のおあげがふっくらにならなければこんなことなどしなかったのに。
ふっくらしたおあげを欲してうどんを食べたいのならふっくらしたおあげが評判の店へ行きうどんを食べている。
どん兵衛にはどん兵衛の役割があってわざわざどん兵衛にしているのだ、他の何でもなくどん兵衛に。
『どん兵衛のクチ』という確固たる『それでなきゃダメ』の全身全霊を捧ぐ儀式を全うするためには『どん兵衛』を貫いてくれなくては困る。
ロングセラー商品には使命があるのだ。
何も変えてはいけない、という使命が。
いかに時代が変わろうとも、世代による味覚の違いがあろうとも、お客様のクチにどん兵衛が合わせる必要はない。
当社比による「おいしくなりました」の改革も必要ない。
お客様がどん兵衛にクチを合わせるのだ、昔から何も変わらないどん兵衛をクチにすることで得る「あぁ、何も変わっていない…懐かしい」これが、ロングセラー商品の使命なのだ。
『あの味』をいつまでも変えないことが、いかに難しいことかはよくわかる。
飽食のこの時代に変化なくして新たな客層の取り込みとなれば、一抹の不安もあろうかと思う。
しかしロングセラー商品なのだから、何もしなくてもいい。
両腕を広げて『おいで』とひとこと、言うだけのことで。
その包容力に、新たな客層がホロリと勝手にキてしまうのだから。
【日清よ、ペラペラどん兵衛に戻してはいただけまいか】
どん兵衛の魅力はペラペラである。
おうどんペラペラ、おあげペラペラ。
その最大の魅力であるペラペラをなくしては、どん兵衛とは言えない。
コシの無いペラペラの麺、さほど汁を吸わないペラペラのおあげ、食べたか食べていないかわからないほどペラペラの、かまぼこ。5分後にグルグルかき回して食べていると、懲りずに毎回カップの内側にへばりつき発掘される薄いかまぼこ。こんなに薄くてよくも練り物の風味を出せているものだと感心しながら歯ごたえのないかまぼこを食べる時、私は『なぜに正月だけかまぼこが高級品になるのだろうか』としみじみと考える。おせちに使ったかまぼこと同じ500円クラスの寿かまぼこが年越しそばにも具として入るため、年越しそばのかまぼこはどん兵衛を彷彿とさせる薄さなのだ。
どん兵衛のペラペラ、それは記憶に残る『安っぽい』ことの価値。
ケチった事で生まれるおいしさ、安いことで手の届くうまみ。
こう書くとまるでどん兵衛の悪口を書き連ねているかのように聞こえてくるかもしれないが、これは旧どん兵衛派の民にならわかる最上級の褒め言葉、賞賛の嵐である。
【日清への提案それは復刻版の商品化】
日清お客様相談室のフリーダイアルはまず最初に女性のアナウンスでこの電話は電話番号表示と録音がされる旨を伝え、ほどなくして男性が電話口に出た。
『日清お客様相談室ツツイでございます』
「ちょっと確認したいことがあるんですが」
『はい。どういったことでございましょうか』
日清お客様相談室のツツイさんは物腰の優しいおじさまである。
「どん兵衛ありますよね、フツーの。」
『きつねうどん、でしょうか』
「そうそう、きつねうどん。今日、久々に食べたんですけどね、リニューアルしましたよねコレ?」
『ええ…と、それは…。リニューアルと言いますか…変わりました』
日清的にはリニューアルとは言わないらしい。
物腰が優しいツツイさんにはちょっと歯切れが悪いという副作用が出ているようである。
「昔はもっとおあげがペラペラだったでしょ?今日食べたらジューシーなの。それに噛んだ時にキュてなる」
『ええ…まぁ…おあげはふっくらとしました…』
「ですよね?ふっくらしてますよね?前はもっとペラペラだったでしょ?」
『はぁ…』
ペラペラという表現を決して使わない日清のツツイさんVS旧どん兵衛派ペラペラの女王。
「このおあげがペラペラじゃなくなってからね、どのくらい経ちます?今日気付いたんですけど結構前からペラペラやめてました?」
ごめんねツツイさん、気付いたのが今日だなんて嘘をぶっこいて。
本当はペラペラでないのに気づいてからは赤いきつねに大枚をはたいており、今日という今日は、たまたま家族の誰が買ったのかわからないどん兵衛があり久々に食してみてやっぱりペラペラやめたんだな…との絶望感から旧どん兵衛派ペラペラ女王としての主張をどうしても日清に伝えないわけにはいかない、とメラメラと熱い想いが湧きあがったもので。
『そうですねぇ…2、3年前から変わっているかと…』
「えぇっ?!そんなに前から?!」
わざとらしく驚いておく。
そんなに長い時間どん兵衛を見捨てていた、という印象操作のために。
「これね?おうどんもなんかペラペラやめてません?」
『まぁ…そうですねぇ…変わりました、はい』
「前はもっとペラペラだったでしょう?太くコシあるおうどんになってますもんねぇ」
『そうですねぇ…変わりました、はい』
決してペラペラとは言わない日清ツツイさん、手強い。
「私は麺もおあげも全てがペラペラの前のどん兵衛のほうが好きなんですけどねぇ、コレ前のペラペラに戻してもらいたいんですけど」
『そうでございましたか…ええー…そうですねぇ…』
どうも日清ツツイさんの一存ではペラペラに戻すことを検討出来ない様子なので、私は提案のカタチを取ることにした。
「日清御膳てあるでしょ?きつねうどん」
『はい、ございます。』
「コレはどん兵衛とはまた別?」
『そうですね、別です。』
「じゃあ提案なんだけど、今のどん兵衛はどん兵衛でね、こっちのコシのある麺とふっくらのおあげが好きなひともいるんでしょうから。それとは別にペラペラのどん兵衛を復刻版として出したらどうですか?ペラペラどん兵衛のほうが好きなひともいるから、是非ともそうしてください」
『はい…それではそのようなご要望があったことは伝えさせていただきたいと思います、はい』
出たな!貴重なご意見としてお伝え口撃!
私はなおも食い下がる。
「それなんですけどね?伝えるだけでしょ?今後、復刻版を出してくれるって約束ではないんでしょ?」
『ええ…それは…お約束ということは出来ませんけれども…お伝えはさせていただきます、はい』
「どうぞ前向きにご検討くださいね、ペラペラのどん兵衛を食べたいので」
『はい、貴重なご意見としてお伝え致します』
【去りぎわに個性を引き出す質問をひとつ】
「それからちなみになんですけどね、ツツイさん」
『はい?』
「ツツイさん、おいくつですか?」
『わたくしでございますか?』
「ええ。」
相談や提案にはとくに関係無いのだが、さんざっぱら会話した最後に年齢を聞くことにした、お近づきのしるしに。
『えー…そうですねぇ…わたくし、声はアレですが59歳でございます』
お客様相談室ツツイでございますの受け答え中にもツツイさんの個性はそれなりに出ていたが、年齢を答える場面のほうが俄然ツツイさんの個性が出ることを思えば、個人的な情報の質問は最後に添えて吉。
声はアレですが59歳という表現にツツイさんの心情[声だけは若く聞こえるでしょうが実は59歳とそこそこいっております]を読み取り、適切な反応を返す、ココが私の腕の見せ所である。
「えーーーーー?!59歳なんですか?お若いですね、声」
「まぁ…ええ、そうですね」
何の交流もない最初でいきなり年齢を聞き出すのは、これっぽっちの信頼関係も築けていないので避けるのがよいだろう。僅かな時間ではあるが商品を介して意見を交わし合ったこと、このやりとりがツツイさんに一歩踏み込んで個人的な質問をする権利を与える結果となるのだ。最後の最後にもののついでに年齢を聞き出すのがベター。差支えなければ年齢という改まった感じではなく、何年ぶりかに会う親戚のおっちゃんが「で?いくつになった?」と聞くようなラフさでちなみに年齢と聞き出すのがコツ。
「ほんじゃツツイさん、復刻版ペラペラどん兵衛、よろしくお願いしますね」
「ええ…お約束は出来ませんが、お客様からのご要望としてお伝え致します、はい」
59歳のツツイさんがお客様相談室に配属された経緯に思いを馳せる。
【※以下、ツツイさんの存在以外はすべてフィクションです※】
勤務態度はいたって真面目、これといったミスもなく何でもそつなくこなすツツイさんは定年間近にお客様相談室へ配属。
定年前の5年間お客様相談室で話術を磨いた前任のマエダさんが晴れて定年するのでその後任として2年前、57歳でお客様相談室へやってきたツツイさん。
業務内容をマエダさんから引き継いで、部署が変わっても定年までの3年間、毎日をそつなくこなすであろうツツイさん。
しかし、お客様相談室とは名ばかりでお客様からの建設的な相談事など皆無。
そこは風変りな客からの無理難題とクレームばかり。
勤続年数が長く商品の知識と経験値が求められる部署だとばかり思っていたツツイさんは出鼻をくじかれるも、何でもそつなくこなすその能力を如何なく発揮し、お客様の感情を逆なでしない相槌の打ち方を編み出すのである。
「そうですねぇ…はい」その語尾も毎回毎回使っていては耳障りなので、適宜、挟み込む要領の良さ。
そのへんもそつなくこなすツツイさん。
今日のお客様はとにかくペラペラ言ってたな。
お客様相談室で日々お客様のお相手をしてもう2年…そうだった、忘れていたな、入社した当時のどん兵衛はペラペラだったっけ。
昼休みに同僚とよく食べたもんさ「どん兵衛はこのペラペラが最高なんだよな」なんつって…そうだな、ペラペラに宿る懐かしさを噛みしめるにはペラペラが必要なんだよな。
さて、行くか。
商品開発部へ。
ありがとう、ツツイさん。
そして、マエダさんもついでに。
だってマエダさんは後輩のツツイさんにペラペラのどん兵衛をおごってくれたから、35年前のあの日に。
(※あくまでも想像上の出来事であり前任のマエダさんも実在する人物ではありません)
実在の人物であるツツイさんがお客様相談室にて運悪く私の電話に出、私との会話をしたことは事実である。
ツツイさんが最初からお客様相談室にいたのか途中からお客様相談室にきたのかはわからないが、確かに復刻版ペラペラどん兵衛の商品化を頼んでおいたので、旧どん兵衛派の同志諸賢よ、しばし待たれい。
画像(題字):筆者撮影