「人工透析患者を殺せ」発言でレギュラー番組をすべて降板になった長谷川豊氏。局アナ時代に随分と毒舌を吐いていた過去の動画を見て面喰ったことがありました。紆余曲折ありフリーになられてからは世間の厳しさを学んだかテレビ画面からは穏やかな口調で番組をこなしていたように見えました。そこに何かしらの成長を感じ取ったのですが、ブログとなると人格が豹変していたようです。この矛盾から考えるに結局本質が”毒舌”だったのかもしれません。
言葉は人を傷つけます。例えば職場に正社員と派遣社員がいたとします。正社員達が有給休暇の過ごし方など業務に関係のないことを話しているだけで、派遣社員は場合によってはいじけた気持ちになります。同じ待遇でない人が働く職場では、優位に立つ人社員は雇用が不安定な立場の派遣社員を慮ればそのような話題に触れることはないと思います。
この”慮る”という人間として崇高な気持ちを胸の中に秘めていれば、物事のいざこざは確実に回避されると思います。例えば、仕事を失い世間からも冷遇されてしまった長谷川豊氏に、配慮、思慮、考慮する、この慮る言葉の数々が備わっていればどうして「人工透析者を殺せ」と書けたでしょうか。もし、身内に実際人工透析を受けている方がいらしたら、果たしてこんな恐ろしいブログを発表したでしょうか。
人工透析を受けている患者の方々は好き好んで人工透析を受けているわけではないし、自己責任と言う方は一番簡単な一方的な切り口なんです。患者の方への配慮がまるでない。しかし、人間ですから時に高揚して気持ち的に野蛮な部分が出てくることはあるんです。もしその時にブログを執筆していたとしましょう、しかし、その文章を読み直し、それをそのまま載せていいのか、言いたい主旨を人に不快な印象を与えずに自分の考えを伝えられるように思慮したか?どうしてもしっくりいかなかった場合は、せっかく書き上げたものでも掲載すべきではないと考慮したか。
”慮る”という言葉を辞書で調べると、
何かを実行するときに、周囲との関係や将来への影響 など、あらゆるケースを考え合わせる。よくよく考える。思いめぐらす
とあります。
慮る気持ちがあれば、例えば経営悪化によりリストラをしなくてはならない時、また早期退職者を募ることもあるでしょう。その場合は、その通達を伝える立場の人がいるわけでして、もしその人が冷酷な人で人を人とも思わないようにリストラ当事者に勧告したとします。場合によっては殺人事件に発展してしまうこともあるでしょう。実際、リストラを常に行っているアメリカは日本よりドライなはずですが、リストラ勧告した人を銃で殺すニュースがなくなることはありません。苦慮する気持ちがリストラする側にあるかないかで、リストラする側もされる側の人生も変わってきます。
今回のこの長谷川豊氏の発言は、長谷川氏自身が言葉を使う生業でありながら、それを使いこなせていなかった結果だと思うし、根本的な問題は申し訳ないですけど、人間性に問題があったような気がしているんです。この文章を読んで物凄く嫌な気持ちになると同時に、長谷川豊氏は賢くない人なんだなと思ってしまいました。そんな浅い人が司会をしたりコメントを言うのは視聴者はもう見たくないと思うのです。
これはなにも長谷川豊氏だけの問題でなく、同じく世間を賑わしている川谷絵音さんもガールフレンドが未成年であればバーで飲酒などはさせないものなのです。要するに慮る心の欠如は、かかわる人達を不快にし不幸にしていきます。
肩書、高年収、名誉、地位、こんなものがいくらあっても慮る心の欠如は、これらの輝かしい実態を一気に持ち去ります。テレビ業界だけでも配慮を欠いた発言でどれだけの人が表舞台から離れたことでしょう。
もう一度、自分に言い聞かせてみましょう、”慮る”という言葉の意味を。
きっとそれだけでも人生は軌道修正されるはずです。
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