「みんな違っているから、楽しいんだ」(日本の英語教育は・・・)
佐藤くんはムッチャ足が速く、田中くんは絵がとても上手で、鈴木さんはバイオリンが弾けて、中尾さんはすごく頭がいい。そんな普通の風景のどこが不都合なのでしょう。みんな違っていていいではないのでしょうか。
私の父親は、勉強しろと言ったことがありませんでした。それで、私は中学校からアルファベットを習ったのでした。記号の羅列にしか見えなかったけれど、いつごろから読めるようになった。
京都大学では、英語の問題が穴埋め、並び替え、書きかえ問題といった、客観テストはほとんど出題されません。伝統的に「和訳」「英作文」のみというスタイルです。
そういう意味では、対策が立てにくく、東大より問う得点をとるのが難しい。医学部でも、最高得点を調べると8割台が限界というのが実態です。
第一章
「大学受験5日前のこと」(受験英語を身につけるまで)
大学受験の5日前に、2階の勉強部屋で数学の勉強をしていたら、突然手足が震え始めて椅子からズリ落ちてしまった。そして、
「お父さん、ボク変だ」
と叫びました。二階に駆け上がって来た父は、ひっくり返って亀のように手足をバタバタしている私を見て
「お前、何をしてんだ」
と言いました。そして、私は近くの総合病院に担ぎ込まれました。
病院の看護婦さんは、私の手足を押さえつけながら
「アレ?高木くん、どうしたの?」
と言いました。北勢中学校の体操部の先輩だったのです。
診断は、神経衰弱。いわゆるノイローゼとのことでした。私は頭が狂うことを心配しましましたが、医者が言うには
「そういう人もいるが、身体に症状が出る人もいる」
とのことでした。
受験英語は限界までやったつもりです。異常ですよね。それほど勉強が好きでもない子にムリやり詰め込むと、こういうことになるのです。もし、試験中に痙攣が再発して倒れたら周囲の人に迷惑をかけるところでした。幸い、そういうこともなく奇跡的に合格できました。
第二章
「アメリカの生活で分かったこと」(受験英語では生活できない)
私が最初に
「何か、おかしいぞ」
と気づいたのは、ローガン中学校の社会の時間でのこと。日本の紹介をしている時に、しばしばネイティブの先生に授業を中断させられて
「今、ミスタータカギの言ったことはね」
と解説が入ることでした。それで、仲のよかった理科の教師のアランに
「どうしてボクの授業を解説しないといけないのだろう?」
と、尋ねたら
「おまえの英語は綺麗ではあるが、中学生には聞いたことのないような表現が多い」
と言われました。高校時代に習った take it for granted とか not until といった表現のことのようでした。それで、注意して職員室での会話や、ホームステイ先の家族の会話を聞いていると、確かにそんな表現は耳にしません。ほとんどが中学レベルの講文であり、単語なのでした。
それで、私は話すスタイルを変えました。ややこしい単語は捨てて、簡単な表現で難しい内容を語るように心掛けたのでした
もう日本語と同じレベルで英語が使える自信を持って帰国したのです。高校や大学と違って、普通の生活の中で英語を身につけたのがよかったと思います。
第三章
「英語の資格試験を受けて分かったこと」(39通の「不合格通知」「合格通知」
アメリカから帰国後に、英検1級、通訳ガイドの国家試験、ビジネス英検A級、国連英検A級、観光英検1級などにチャレンジした。結果的に、すべて合格しましたが、その過程は試行錯誤の連続でした。
なぜなら、英検の過去問をやってみたら受験英語と大差がなかったからです。自分で経験して、「こんな英語は使われていない」とハッキリ分かっていたのですが、、日本社会では、公的な資格がないと認められないシステムになっています。
これは、私の意見ではなくて、一緒に問題を解いていたネイティブの先生たちが
「なんだ、これは?なんで、日本人のおまえがこんな問題をやってんの?」
と言われた。「これって、シェークスピアの時代の英語じゃん」と笑っていました。
これは、日本の社会の中で勘違いが是正されていないからと思われます。私の想像ですが、受験や資格試験で英語の問題を作成している方たちは権威主義で凝り固まった、現実に使われている英語をご存知ないのではないでしょうか。
私は、結局10年かけて英語の資格をいくつか取ったのですが39通も「不合格通知」「合格通知」を受け取ることになりました。才能のなさに情けなくなりますが、多くの方は、それだけやらないと身につかないとも言えます。
第四章
「名古屋の大規模塾で出会った講師たち」(旧帝卒講師に会ったことない)
もし、あなたが四日市高校に合格したかったら、四日市高校に合格できる先生の指導を受けたくないですか?京都大学に合格したいなら、京都大学に合格できる先生の指導を受けたくないですか?
私が名古屋の大規模塾での指導経験で分かったことは、東海高校に落ちた講師が東海高校の受験生を指導し、京都大学に落ちた講師が京大受験生を指導していたこと。
最初は驚きました。でも、今では珍しくない帰国子女で英検1級に合格している生徒を、英検2級しか持っていない講師が指導したり、本当にありえない状態を何度も見たのです。
そこで、今ではかなり確信しているわけです。「あのような講師の方たちが受験参考書を書いたら、現実離れしたものになるわなぁ」。どうして、本当に英語を知っている方たちに発言権がないのでしょう。
もちろん、教育のことなど考える余裕がない方が多いことは理解できます。ほんの少し英語ができれば小学生向けの英会話教室の講師くらいなら、採用されます。収入が必要な主婦や学生さんには有り難い仕事です。
それを否定するつもりは、ありません。ただ、そういう方は、アマチュアであってプロではない。
第五章
「京都大学を7回受けて分かったこと」(京大の先生方は分かってみえる)
私自身は、名古屋大学「教育学部」出身なので、京大受験生が来てくれた時にイマイチ信用されませんでした。センター試験が始まる前の年齢なので、自分で受けてみようと思いました。
結局、Z会を8年、センター試験を10回、京大模試も10回、京大二次は7回受けて研究した。成績開示したら、英語は8割、数学は7割でした。
最初の2回は受験英語、次の2回は資格英語、そして、最期の3回はアメリカで身につけた中学レベルの英語で書いてみた。その結果は、以下のようでした。
平成18年、20年(文学部) 正解率の平均 66%(受験英語)
平成21年、22年(教育学部) 正解率の平均 76%(資格英語)
平成24年、25年(総合人間) 正解率の平均 79%(ネイティブ英語)
さすがに、京都大学の教授たちは分かってらっしゃるらしい。でも、現場で教えている英語の教師や、塾や予備校の講師はダメなように思います。
もちろん、みんな違っていていいのです。誰もが私のように、センター試験の会場前で不審者あつかいされても平気だとは思いません。京大模試も10回受けましたが、周囲にいた高校生の視線は痛いものでした。
第六章
「正論が通らない日本社会」(不都合な真実は隠蔽される)
皆さんがご存知のように、河合塾、駿台、東進などの大規模校はマスコミで大量の宣伝広告を行います。マスコミにとっては、それはそれは大切な広告主です。スポンサーの機嫌を損ねたら、大切な収入源を失ってしまう。だから、そういうスポンサーを批判するような本は出版できないし、テレビやラジオで流すことなど出来ません。
私がここに書いてあることなど、絶対に世間に知られたくないはず。だから、私の言葉は多くの人に届きません。それでも、本物が分かる子たちはいるわけで、合格実績は確実に上がっています。
2016年度(7名)高木教育センター「高校クラス」
京都大学「医学部」、京都大学「理学部」、大阪大学「人間科学部」、名古屋大学「経済学部」、名古屋市立大学「医学部」、神戸大学「経済学部」、御茶ノ水大学「理学部」
わが国、日本は知名度があれば英語教育のことなど何にも分かっていないタレントの意見が多数派の意見になることも珍しくない。無知なのに、お金があると発言力が増すシステムなのです。
テレビに広告を出している弁護士が、バラエティ番組のコメンテーターによく登場します。広告を出すスポンサー様だから、局側も優遇するのです。嘆かわしい風潮だと思います。
第七章
「そして、また50年同じことが続く」
私は、これでいいと思っていないので、繰り返し同じ主張を書いています。耳を貸してくれる人は、ほとんどいません。耳を貸してくれる人も、「それ、前に聞いた」で終わります。賛同してくれたり、行動に移してくれる人に会ったことはありません。
やるべきことは、1つしかない。以前、中学三年生で「数Ⅲ」を勝手に勉強している生徒の話を聞いたことがあります。中学三年生で、英検1級に合格した子を教えたこともあります。
逆に、勉強にまったく興味を持てない子には大勢会いました。ほとんどの子と言ってもいい。こんなバラバラで異なる生徒たちを早朝から日暮れまで学校に縛り付けるなんて、ありえません。イジメの温床となるのも当たり前かもしれません。
アメリカのように午後2時半になったら帰宅させるべきですそこからは、別の生活をさせるべきです。数Ⅲや英検1級レベルの勉強を続けたい子は、そうすればいい。サッカーや音楽にしか興味が持てない子はそうすればいい。
これを実行に移すには、強制クラブは廃止しないといけません。反対する日教組は解体しないといけません。あるいは、発言権を制限しなければなりません。そのためには、保護者の理解と支持が必要なのです。
無関心の人が多いから、また50年、何も変わらずに過ぎてゆくのだろうけど。英語のことなんか、何も分かっていない人がプランを立てるのでしょう。英語が話せない教師が英語を指導するのでしょう。
どうして、こんなことになっているのか不思議でなりません。最近、マスコミで塾や予備校が使用しているキャッチ・コピーを組み合わせると。「コンシェルジュがハイブリッドな55段階授業で、やっててよかった。こんなボクが東大に」となります。
どれだけ、日本の教育が軽薄になっているのか、よく分かると思います。
最終章
「北勢中学校はバカばかり」
テストの結果がよろしくないと、賢い子は自分の生活をなにかしら改革するためのアドバイスを求めてくる。しかし、賢くない子は「こんなの習ってなかった!」「クラブで勉強時間がとれなかった」「先生の教え方が悪い」「親がバカだから」と周囲に責任転嫁する言い訳ばかりする。
それで、時間が経つにつれ賢い子と賢くない子の学力差は開くばかり。縮まることはない。
賢い理系女子は、言い訳ばかりする男子を見ながら「絶対に、あんなのとつき合わない」と密かに決意する。モノサシが1つしかないと、こういう息苦しさが生まれてしまうのです。
足の速い子はアスリートをめざせばいいし、絵が上手な子は画家でも漫画家でもいいので数学は必要ではない。バイオリンが弾けるなら音楽教室でもオーケストラに参加でもいい。
みんながみんな勉強する必要はない。みんなが違っている方が、面白いし楽しい。学校なんて行かないで、高卒認定試験を受けて大学を受験する子さえいる。私は、学校の模試が「文系」という結果を出したので、教育学部に行ったのだけれど、50代頃から数学講師もしている。
「オリジナル」「チェック&リピート」「1対1」「赤本」を2周ずつやって、京大二次で7割を越えた頃から、指導時間は英語より数学が多くなった。19歳くらいで、その子が文系か理系か決めるのなんて、ナンセンスだと思います。
全員に同じ服を着せて、全員に同じ授業を受けさせて、全員に同じ宿題を出し、全員に「強制」クラブで遅くまで学校に残す。こんなことをするから、イジメも起きる。アメリカの学校のように、午後2時半を過ぎたら帰宅させて自分のやりたいことをやらせるのがいいと思います。
ユタ州では、それでも非行に走る子も日本より少なかった。学力に格差は生まれるけれど、みんな違う道に進むのだから気にする必要はありません。アメリカが何でも最先端である大きな理由がここにあると思われるからです。
学校につぶされるな!教師につぶされるな!先輩につぶされるな!親につぶされるな!日本社会につぶされるな!
ガンバレ!きみは、きみの道を行けばいいのだ。