今回、私が紹介するのは「バッファロー’66」
恋愛映画として一種カルト的な人気を誇る名作だ。
物語は、主人公のビリー・ブラウン(ヴィンセント・ギャロ)が刑務所から出所するシーンから、始まる。
金網に囲まれた冬の刑務所はとても寒々しい。
服役を終えた彼は、バスに乗り込み街へ向かう。
バスを降りて、彼を苦しめるのは、尿意。
トイレに行きたい彼。しかし、そんな時に限って、トイレが見つからない。
駆け込んだレストランでも、トイレ使用を断られてしまう。
そんな彼は、ダンス教室の2階にトイレを見つける。けれども、神経質な彼は、そこでは用を足せない。
ダンス教室に迷い込んだ彼は、やる気なさげにステップを踏むひとりの少女レイラ(クリスティーナ・リッチ)に電話代をせびる。
「ママ?僕だけど」
所在なげに、電話をかける彼。
かと思えば
「ビリー!ビリーだよ!」
などと、直後に語気を強める。
彼は、母親に政府の仕事をしていたこと。ずっと、遠くに行っていたこと。
今は高級ホテルにいること。などを話す。
そして、彼は、母親に妻を連れていくと嘘をつく。
そう、この男。相当な大ぼら吹きだったのだ。
そして、彼はレイラを半ば、拉致のようなかたちで実家に連れ帰る。更には、自分を尊敬する従順な妻を演じてくれと頼む。名前はウェンディにしてくれ。と。
彼は、レイラに車を貸すよう言う。
運転しようとする彼は、その車がマニュアル車であったために、彼女に運転を譲るのだが、その理由にもまた、彼のプライドが見え隠れする。
自分はオートマのキャデラックに乗っているのだから、こんな車運転できないという大ぼらを吹くのだ。
彼女に実家までの道を運転してもらってる途中、彼は路肩に車を止めてもらう。用を足すために。
レイラに見るなよという彼は、強気なようで、自信がない様子。相当神経質なよう。
ビリーの実家には、アメフト試合のTVの音が響く。
玄関の前で気分を悪くしたビリーは、レイラに助けを求めるが、直後、拒否する。
彼が、インターフォンを押すと、父親がでてきた。彼には興味がないといった様子で。
父親がアメフトに夢中になっている母親を呼ぶと、母親もまた、彼には興味がないといった様子を示す。それよりも、応援しているアメフトチームバッファローにご執心なようだ。
母親が彼の好物だといって差し出す、チョコドーナツは彼の嫌いなものだ。アレルギーで食べられない。
そんな調子で両親ともに、息子ビリーに興味がないことが、見え透いた家庭でされる会話はどれも空虚だ。
愛情が感じられない。
だが、子犬ビンゴを家に入れるなと叱りつけられ、捨てられてしまう回想からは、むしろ一般家庭のような空気感がある。
ビリー自身、幼少期は普通の少年だったのかもしれない。
しかし、そんなことを覚えていること自体、彼が過去に縛られて、愛に飢えていることを象徴しているように感じられる。
レイラに歌手だったと自慢する父親は、やはり、虚言癖があるようで、そんなところだけは息子とそっくりである。
レイラはベジタリアンであるにも関わらず、食卓に並べられる肉料理に手をつけ、ビリーと自分の今までを話はじめる
父親はそんな話気にも留めないようで、母親は、アメフト観戦に夢中。
機能不全家族の体のように映る。
そんな、レイラにビリーは気遣うどころか、ケチをつける。
レイラのあなたもバッファローファンなの?という一言に、ビリーは、自分が刑務所に入ることになった理由を思い出す。
一言でいえば、ハメられた。友人のために、刑務所に入ることになったのだ。
ひとりのアメフト選手、スコットウッドの八百長のせいで、自分は刑務所に入ることになったと彼は思い直す。そして、スコットウッドを恨む。
絶対殺してやる。と。
友人に電話をかけて、スコットウッドがストリップ劇場を経営していると知った彼は、レイラとひとまずボーリング場に向かう。
彼は、顔なじみの店主に自信ありげに話しかける。
ボーリング。それだけは、プロ級にうまいのだ。
彼のロッカーの中には、多くのトロフィーが飾られている。昔、好きだった女の写真とともに。
ボーリングの腕前を自慢する彼は、踊りを踊るレイラに踊りはダメだ。と制す。どこにいても、神経質さは抜けないのだろう。
スコットウッドの店に電話をかけると、自動音声が応答した。
ボーリング場を出ることにした二人は証明写真を撮る。
両親に送るために。
ここでも、彼の神経質さが、発揮されている。
後ろの色、ポーズ。細かく指定してくるのだ。
レイラは、フランクな写真、少し距離感の近い写真を撮りたがるのだが、ビリーは、形式にこだわる。
もしかしたら、いや、きっと、レイラはこの時点で彼のことが好きになっていたのかもしれない。
ビリーはレイラと別れようとする。
両親に妻として紹介したのだから、もう、やることはないのだ。
スコットウッドの店にもう一度電話をするビリー。
そんな彼のことを、レイラは待っていた。
ビリーは言う。
ホテルにでもいくか。
だが、その後、さっきのは冗談だと言ってしまう。そんな小心者な一面を覗かせる。
レイラはホットチョコレートが飲みたいという。
二人は夜中のデニーズに向かう。
隣には、好きだった女、ウェンディがフィアンセを連れて座ってくる。
ウェンディとフィアンセが、ビリーのことをからかう。
ウェンディにとって、ビリーは印象の薄い男だったようだ。
ビリーは店を出ようと提案するが、レイラは逃げ出すの?とそれを制する。
一人で店を駆け出すビリーは、トイレに行きたくなる。映画冒頭のシーンを彷彿とさせる。
ガソリンスタンドに入るのだが、向かいのデニーズのトイレを使ってくれと断られてしまう。
デニーズのトイレで彼は、情けなさ、悲しみのあまり涙を流す。
彼はあまりにもナイーブなのだ。
そして、レイラに正直な気持ちを伝える。
あの女には耐えられないから、店をでよう。と。
二人は、モーテルに向かう。
ビリーは入浴するのだが、レイラも寒いからとの理由で、浴室に残る。
彼は、見るなといいながら、浴室の中で小さくなる。
レイラのことを見ないようにしながら。
そして、不器用さも手伝って彼はすぐに浴室を後にする。
ベッドの端と端で横になる二人。
彼は、レイラのそばに寄ることもできない。それは、まるで愛情表現の仕方を、その求め方を知らない幼子のようである。
レイラは彼に寄り添おうとするが、それを振り払われてしまう。
しかし、時間の経過とともに、寂しさも手伝ってかビリーはレイラに気を許す。
不安な気持ちを隠すように、レイラの胸の中で小さく縮こまって眠る。
まるで、そこしか居場所がないかのように、おびえて。
目を覚ますと、2時だった。
彼は、スコットウッドのところに向かう。
銃を隠して、引き留めるレイラにコーヒーを買ってくるだけだと言って。
友人に電話をして、今までバカにしてきたことを謝る。彼の代わりに刑務所に入ったくらいなのだから、ビリーにとっては気のおけない友人なのだろう。そして、ロッカーの番号を教える。まるで、秘密を教えるように。
ビリーは店に着くと、スコットウッドを探した。
裸の女たちのいる少し下品にも見えるその店の中で、スコットウッドは女に囲まれ、酒に酔っていた。
彼は、スコットウッドに拳銃を差し向ける。
スコットウッドを撃ち抜いた後に、自分にもその拳銃を向ける。
彼のお墓の横。母は、今まで通りにアメフトの応援に熱中。父も興味がないようだ。
死んでまで、興味がないなんて、筋金入りだ。と彼も思ったのだろうか。
今までの空想を思い直し、現実のスコットウッドに酒を差し向ける。
店を出て、拳銃を捨てる。彼は、友人に電話をかけなおし、さっきのことは忘れろという。
レイラと出会ったこと、スコットウッドの下に行ったことを矢継ぎ早に話す。
そして、彼は店でクッキーとホットチョコレートを買うのだった。レイラのために。
店内にいた人にも幸せのおすそわけとばかりに、クッキーを買う。
本当に幸せそうな表情で。まるで、それは、子供のようである。
今までの誰にも関心を持たれずにいた自分に背を向けて、レイラの待つモーテルへ向かう。
子供の大好きなクッキーと温かいホットチョコレートを持ってね。
彼は、これからじっくり、大人になるのかもしれない。
―物語を追い終えると、冒頭の刑務所が、彼の心は閉じこもっていたという暗示であったかのように思える。
トイレくらいでしか落ち着くことができない、泣くことのできない、ナイーブな彼。
それでも、世間は冷たくて、なかなかトイレさえ、見つからない。
やっと、見つけたトイレでさえ、人の目を気にして安らげない。
そんな彼が見つけたレイラは彼の心を塀の外へ追いやってくれた。
彼女は、誰にも、そう家族にさえ心を許せない彼の居場所なのだ―
彼は、もう、トイレを探さなくてもいいのかもね。なんてね。
……証明写真機で、好きな子と写真を撮りたいかもしれない。なんて。
不器用な僕に、寄り添って記録を残してくれる子だけに心を許したい。