東京・本郷といえば、東京大学を中心に古本屋などがひしめく学生街のイメージだ。しかし、本郷一帯の地域は、戦前から旅館街というもう一つの顔を持っている。いまでも戦災を免れた昔懐かしい旅館が点在するこの本郷で、静かに歴史に幕を下ろす旅館があった。
明治37年創業の朝陽館本家は、東京大学から程なく歩いたところに建物を構える老舗旅館だ。かつて、漫画家の手塚治虫も漫画の執筆によく使ったと言われる朝陽館。しかし、2016年3月に建物の老朽化などのため、112年の歴史に幕を下ろした。
閉館後は建物を取り壊し、その後は地上14階建てのマンションが建つことが決まっている。
惜しまれつつ閉館した朝陽館本家の歴史的価値を後世に伝えるために、文京建築会ユースの主催で館内を一般公開するイベントが開催された。今回はその様子を写真を交えながらレポートする。
朝陽館本家にいざ入館
東京メトロ丸ノ内線の本郷三丁目駅から徒歩5分、住宅街の一角に昔ながらの風格をもつ建物がある。
朝陽館本家は、帝大生の下宿としての役割を経て、いままでも東京大学の学生や修学旅行の学生などに愛されてきた。
立派な石灯籠が出迎えてくれる純和風のアプローチを通り、玄関に入る。
まず目をみはるべきはその広さ。都内の旅館とは思えないほど広い敷地面積は約400坪であるという。
地上2階地下1階の朝陽館は50もの部屋数を擁しているが、部屋の間取りや調度品は部屋によって異なる。参加者に配布された館内図を見ると、入り組んだ館内に様々な部屋がひしめく様子に圧巻される。
客室「なでしこ」
まずはじめに案内された部屋は「なでしこ」。
14畳のシンプルな部屋だが、所々に味わい深さが感じられる。
部屋に備え付けのエアコンは日立製のRA-40A3。
コンソール部分も昔懐かしい。日立のルームエアコンといえば、「白くまくん」が有名だが、この頃から白くまのイラストがマークに採用されていたことがわかる。
窓も広くとられており、今回景色を見ることは叶わなかったが、開放感のある作りになっている。
廊下や手洗い場にも見どころが
次の部屋へ向かう途中、廊下にも細かな趣向が凝らされている。
廊下の窓は飾り窓になっていて、見とれてしまうような美しさだ。
館内に数ヶ所設けられている手洗い場の床部分に敷き詰められている石をよく見ると、花柄になっている部分があるなど職人の遊び心が窺える。
暖かみのある裸電球の明かりを照らされながら次の部屋に向かう。
客室「羽衣」「寿」
こちらは8畳の「羽衣」。こじんまりとした部屋は、集中して仕事をするときにも使えそう。
目をひいたのは、木製の金庫…!今ではなかなか見かけない。
斜向かいの部屋「寿」。広さは6畳だ。
天井の細工が美しい。こんな部屋に泊まってみたいものである。
手塚治虫がカンヅメになっていた部屋に潜入
そしてついに、かつて手塚治虫が使っていたという「らん」に案内される。
朝陽館のなかでも奥まった場所に位置する「らん」。この部屋で手塚治虫はカンヅメになって漫画を執筆していたという。
実はこの部屋、朝陽館の玄関がある通りに面している。これは、担当編集者が外から見たとき、部屋の明かりを見て、原稿が進んでいるかどうかを確認するためだったそうだ。
一般公開ツアーの終盤、地階にある大浴場も見学することができた。
広々とした浴槽と奥に設えられた石垣。すこしでも開放感を感じられるようにと作られたという。
生きたまま残っていた歴史の証人、朝陽館本家
今回見学することができたのは朝陽館のほんの一部だが、つい最近まで普通に営業していたということが驚きだ。
歴史的建築を美術館のように公開している施設は数多いが、“生きた”状態で朝陽館はその建物がもつ息づかいを大切にし続けてきた。
他にもこのような老舗旅館は本郷の街にいくつか残っているが、どこも老朽化が進んでしまっている現状がある。都会の生活に疲れを感じてしまったときは、本郷の旅館街を訪れてみるといいかもしれない。