社会的な感覚がなければ、モノを購入したり、子供を乗せて、車を運転したりできないだろう。 2015年7月24日
By Jerry Kaplan、WSJ
将来の自動運転車に乗っていることを想像してみると、悪天候や、急に飛び出してくるシカなどに、どう対応するかといった、技術的な課題を考えるだろう。
しかし、より難しい課題は、自動運転車が、倫理的なことに対応しなければならないことである。
自動運転車は、ボールを追いかけて、急に道路に飛び出してきた子供の命を救うために、他のリスクを伴っても、瞬時に判断し、急停止するか、あるいは、コースから外れるべきである。
最近の人工知能技術は、複雑な、独自に、目標を追跡する、システムを作成できるようになったきた。
自動運転車には、交通ルールを守るだけでなく、人間が制御でき、エゴがなく、極めて人間的で、倫理的な判断に基づく行動が必要になる。
ダウンタウンの駐車場は、昼間の駐車時間は、2時間に制限されている。
この駐車場のルールの目的は、数少ない駐車場を、できるだけ多くの人が利用できるようにして、商店街への集客を促すことである。
このため、自動運転車は、予定され時間の前に、ユーザがいる近くにある、駐車場を見つけ、ユーザに、駐車場と駐車位置を知らせる必要があるだろう。
また、ユーザが、予定が変わったことを、自動運転車に通知し、迎えの時間を変更したり、迎に来るのをキャンセルしたりできることも必要になる。
しかし、ユーザの権利を、自動運転車に委任すると、人に課せられた法やルールの意図は、揺るがされ、法やルールを変更することが要求されるだろう。
人は、自動運転車など、新たな発明に適用するよう、法やルールを変更できるが、全面的に適用できる、一般的な原則を確立することは困難である。
我々は、ロボットに関連する、それぞれの法やルールを検証し、ケース・バイ・ケースで、調整しなければならないだろう。
また、公共的な空間を再設計する必要もあるだろう。
次の数10年間で、店舗、商店街、通り、および、歩道には、さまざまなロボットが登場し、人に変わって、さまざまなことを行うようになり、ルールや法も、必要に応じて、変更されていくだろう。
配車、清掃、介護、製造、商品の販売などの仕事は、ロボットが補助として使用され、役割を分担するようになるだろうが、仕事をロボットと共有すべきか、公共空間を分離すべきか、ロボットを追放すべきかといった、さまざまな議論が行われるようになるかもしれない。
戦争に、攻撃する標的を選択するような、自動軍用ロボットを使用することは、許可されるべきだろうか?
国際社会における、現在のコンセンサスは、自動軍用ロボットのような武器は、常に、大きな責任を持つ、重要な人間の制御下になければならないが、分別のある制約条件を設定しても、倫理的な混乱をもたらすだろう。
自動軍用ロボットの使用の拡大で、軍や民間の死傷者を減少させ、巻き添えの被害を避けることができるかもしれないが、例え、重要な人間の制御化にあったとしても、人を攻撃したり、建物を破壊したりする、戦闘ロボットの使用は、核兵器などと同様に、倫理的な観点から禁止すべきだろう。
例え、原則や信念を成文化でき、戦闘ロボットの使用で、決着を早めることができても、根本的に問題を解決することはできないだろう。
人は、ロボットが認識し、従うことが難しい、社会的な規約を、自然に、守ることができる。
個人的な興味と、他のニーズ間の、適切なバランスを見つけることは、きめ細かく較正された、公平な感覚、相互関係、倫理的な思考、および、共通の関心によりもたらされる、人間の本能である。
今日の技術者の、さまざまなロボットを市場にもたらす競争は、人間を補佐する、社会的な、知的ロボット設計する上で、十分に、倫理的な配慮を行うことが必要だろう。
技術者の本当の挑戦は、人間世界のために、市民的なロボットを作成することである。