新大久保のデモが盛り上がる理由

  by 赤いからす  Tags :  

 

2月17日の日曜日に東京のコリアタウン新大久保でデモが行われた。

韓流の街で行われるデモは2月に入って3回目である。今回のデモは『韓国を竹島から叩き出せ!in新大久保』という呼びかけで決行されたものだ。

14時:30分に新大久保公園に集合で、出発は15時30分。終点は新宿の柏木公園。

デモの様子はニコニコ生放送のユーザーが生中継してくれていた。

中継をずっと見ていたのだが、回数を重ねるごとに熱を帯び、人数も増えている感じがする。

デモは目的やコース、集合場所の確保など、警視庁と打ち合わせをして、どんなことをしてはいけないかなど話しをすり合わせて申請書を提出しなければいけない。その後、許可が警察署から下りる。

今回のデモは過去のデモと主催者が違うのだが、いずれも右寄りの市民団体による抗議活動で、デモの中にいる大半は一般の市民である。若い女性の姿も目立っていた。韓国では『嫌韓』のデモをする人達は極右の団体だと報道しているが、間違った認識である。拡声器やマイクで叫ぶ声も「竹島を返せぇ~」と、ごく当たり前の主張。もちろん過激な発言もあるが、日本では許される。でなければ、警察からお咎めがあるだろうし、過去にも許可が下りている経緯があり、問題はないという判断がなされている。デモは民主主義の日本では正当に与えられた権利。様々な主義主張が認められている法治国家なのだ。

しかし、このデモは警官が規制線を張り、脇を固め、普通とは違う雰囲気がある。

警察がピッタリと列をなしてデモ隊を取り囲み、さらにその脇の歩道を在日や左寄りの団体がストカーするようにぴったり寄り添って一緒に歩いていたのである。

そして、事件は起きた。

なんと発狂した人が乱入して、デモに乱入したのである。

実は先週のデモでも妨害しようとする人が突っ込んでくる様子がちゃんと中継のカメラにおさまっていた。

日本人の感覚からすると普通では考えられない行為。ちゃんと警察が許可したデモを妨害するというのは重大な民主主義に対する挑戦で、中継を見ていてどうして警察は逮捕しないのかと不思議でならない。

確かに新大久保で『嫌韓』のデモを行われては商売している人間にとって、良い思いはしないだろう。しかし、日本人の不満が爆発寸前なことを理解しないといけない。

韓国の人達は日本の教科書を批判して、歴史を直視していないと日本人に言うが、それは間違った認識である。日本の教科書はアジアの中で最もニュートラルで、客観的な言葉の羅列である。逆にいうと勉強するには本当につまらない本なのだ。一方の韓国の教科書は小説のような内容で、読むには面白いかもしれないが、年号が記述されていなかったり、日本には「普及させてあげた」「伝えてあげた」という上から目線で、偏見思考の本。ウリナリファンタジーと揶揄されてもしょうがない内容だ。竹島では1952年に一歩的に韓国が規定した李承晩(リ・ショウバン)ラインにより、日本の漁師が拿捕され、抑留され、たくさんの人が殺された事実など、教科書はおろか報道もされていないだろう。こういう過去があるのに、韓国では李承晩(リ・ショウバン)ラインを「平和線」と呼んでいる。

今回デモをしていた人達は「ゴミをちゃんと投げろ!」とも叫んでいた。中継でもハングル文字の店先で、日曜日の午後なのにゴミ袋が出しっぱなしになっている場面を何度も映していた。

日本には『郷に入っては郷に従え』ということわざがある。自分の国のルーツがどこであろうと、日本に住んでいるからには、その規律に従うべきなのである。

 

 

画像:from flickr YAHOO! (http://www.flickr.com/photos/nofeel/4212967584/)

 

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