東日本大震災、そして福島第一原発の事故から一年以上が過ぎた。
関連ニュースは未だに大きな存在感をもって連日のようにテレビやインターネットをにぎわせているが、肝心の復興対策は後手後手となり、この国をおおうムードは暗い。
“政治”がまったく民意を反映せず、政治家個人の理想のごり押しや票集めゲームの場となった感のある今、私たち国民が果たすべき義務は社会的に“発言すること” “行動すること”ではないだろうか。
しかし……
筆者は音楽や芸能界のかたすみに身を置くものであるが、案外この業界では発言も行動もできないでいる者が多い。
事務所やスポンサー、人間関係にがんじがらめにされ、少しでもその意に逆らおうものならつまはじきにされる……
極端な例ではあるが俳優の山本太郎が反原発活動を始めて以来どのような待遇に甘んじているか見聞きされた方は多いと思う。
ミュージシャンにしても音楽と政治が密接につながっていた時代は遠い昔、個人主義のラブソングばかり歌ってきた者に発言や行動をしようという気概は薄い。
そんな寒々しい空気の中、かつて日本の音楽・芸能界に君臨した“意外な”大スターが立ち上がった。
その男の名は沢田研二。
沢田は2012年5月4日付の朝日新聞インタビューで以下のように発言している。
還暦の前のあたりから「言いたいことを言わなきゃ」と思うようになった。
「60歳超えたら余生」だから。
4年前、「我が窮状」という歌をアルバムの9曲目に入れた。
「憲法9条を守りたい」と思う人たちに、「同じ気持ちだよ」とそっと伝えたかった。
アイドル時代、「表現の自由」はなかった。
「華麗なジュリー、セクシーなジュリーに似合わないことは、言えなかった」
芸能界でいま、反原発ソングを堂々と歌える歌手は多くない。
「様々なしがらみがつきまとうから」という。
山本太郎さんが反原発運動に参加して仕事が激減したと聞き、「いつか一緒に仕事がしたいな」と思った。
自身も「テレビに出られなくなるよ」と言われたことがある。
「それでいい。18歳でこの世界に入り、いつまでもアイドルじゃないだろ。昔はジュリー、今はジジイ。太ったっていいじゃない」
好きなことを、コツコツとやっていこうと思っている。「昔の名前を利用しながら、ね」
また3月11日にリリースした4曲入りCD『3月8日の雲~カガヤケイノチ~』では全ての作詞を沢田自身が担当し、“死の街が愛しい“ “何を護るのだ国は” “BYE BYE 原発”など直接的な表現で原発や政府の対応を批判している。
「表現の自由がなかった」という沢田だが、昭和23年生まれの彼の音楽的ルーツはビートルズやローリングストーンズなど“主張することを始めた”時代のロックにある。
デビューから半世紀近くを経ても心の中の反骨精神は少年のまま、ずっとあたためつづけられていたのだ。
沢田の主張が正しいものかどうかは後世の判断に委ねるしかない。
しかし、この時期に彼が“発言”し“行動”したことはけっして揺るがない事実として人々の記憶に残ることだろう。
沢田研二 オフィシャルサイト http://www.co-colo.com/