「京大数学が7割解けると世界はどう見えるのか?」
皆さんは、東大や京大に合格する人や、ガリレオの書き連ねるような数式を見たときに
「アイツの頭の中はどうなってんだ?」
と思ったことありませんか?私はある。それで、興味があるので10年かけて高校数学を勉強しなおして、50代で京大を受けて7割正解を確認した。
すると、・・・
小さい頃にクジを引くときに、先に引くか後に引くかでよくもめた。
「ズッルーイ!俺に先に引かせろ!」
しかし、中学校に行って確率を習うと
5本のうち2本当たりなら、先に引く人の当たる確率は2/5。後に引く人の確率は、中学校で習ったので説明は省きますが、同じことになるのは知ってみえますよね。だから、ジャイアンのようなガキ大将が
「俺に先に引かせろ!」
と言っても
「どうぞ」
と言える。同じ確率で平等なのだから、慌てる必要はない。数学を徹底的にやると、この世で起こる全ての現象には「原因ー結果」の関係があるという確信が生まれる。
たとえば、料理の鉄人と言われる人が秘伝と言われても
「何度の油に、何秒後に入れて、何秒後に出して、厚さを何ミリに切る」
と分析したら、秘伝などこの世にないことが分かる。名人芸などありえない。受験指導も同じことだ。たとえば、2000題もやれば、大抵の問題は解けるようになる。効率よくやるには、プロの手助けが必要だけれど。
私は、京大医学部や阪大医学部の受験生を「数Ⅲ」も含めて指導し始めてから世界観が少しずつ変わっていった。
たとえば、
「クラブ活動の自由化は良いことか」
という命題の真偽を考える場合、数学の訓練を受けてない方は
「オレは絶対に必要だと思う」
というだけ。言いっ放しで、「思う」の先がない。しかし、数学の訓練を積むと科学的に考える。私なら
「アメリカの中学ではクラブは存在していなかったが人格形成に問題はなかった」
「イジメの温床にクラブやクラスの濃密な関係が原因になっていないか」
など、データを集めて検証するわけだ。だから、理系女子たちの目には「思う」で終わってしまう人間の発言は未熟に感じる。「思う」を大声で叫ぶことで意見を通そうとすると
「キャンキャンと、犬なみの知能しか持ち合わせていない騒がしいヤツ」
と露骨に軽蔑される。だから、四日市高校に進学した優秀な理系女子は中学時代をふりかえって
「中学のときに回りにいたのは、アホな男子ばかりだった」
と言うわけだ。キャッキャと喚くサルの群れくらいに見えていたのだろう。そんなサル並みの知能の男とつきあえるわけがない。理路整然とした論理性を好むというのは、逆に言うとカオスを嫌うわけだ。ワケの分からないことを感情的に叫ぶ人を生理的に受け付けない。
「ガリレオ」の湯川先生は、論理的でないので子供と話をするとジンマシンが出た。あの感覚だ。私にはよく分かる。
京大数学が7割解けるようになると、世界がこんな風に見え始めるわけだ。