24年前の3月21日、台湾の李登輝総統(当時)は大規模に起きた学生運動に対して、学生側のリーダーと対話を行い、学生運動の解消に努めていた。ところが24年後の同じ日、馬総統は学生の訴求を聞き入れず、文山区の実家へ帰り母親と共に食事をしていたと報じられた。
今回の“台湾立法院占拠事件”は、他にもいくつか呼称はあるが、「太陽花学運」と呼ばれている。
新北市永和区の花屋主人が、サービス貿易協定へ抗議する民衆へ“太陽花(即ちヒマワリ)”を贈ったことにちなんで命名された。
「太陽に向かうヒマワリがこの運動の象徴となり、同時に黄色がイメージカラーとなってほしい」という思いが込められている。
奇しくも24年前の同じ時期、台湾では「野百合学運」という学生運動が起きていた。
1990年3月16日、9人の台湾大学の学生が中正紀念堂で座り込みを始めたことから運動は広がる。
「国民大会解散」、「臨時条款廃止」、「国是会議開催」、「政治経済改革のタイムテーブル提出」を訴え、最終的には大学生約6,000名が中正紀念堂に座り込みを行った。
これに対し当時の李登輝総統は、学生側の要求を聞き入れ、国是会議を開催し、翌年には臨時条款を解除して台湾の民主化が大きく進むこととなった。
“野百合”の由来は、台湾の固有種であること、草の根根性が民衆の命を表すこと、生命力が強いこと、ちょうど3月の時期に花咲くことなどから当時の学生運動の象徴として選ばれた。
台南市の頼清徳市長は「馬英九総統は、李登輝元総統が過去に野百合学運で学生と向き合った際の態度を学ぶべきだ」と指摘している。
現在の「太陽花学運」に対して、未だ馬英九総統は学生らの訴えに応えていない。
※画像はETtodayより、24年前の李総統(左)と現在の馬総統(右)