国立国会図書館では明治から1940年代までに刊行された蔵書を『近代デジタルライブラリー』で公開していますが、その中には大規模な公開調査を行ったにも関わらず著者が亡くなった年がわからないために著作権法第67条の裁定制度を利用して5年おきに補償金を支払っている作品が大半で、明治期に刊行された出版物の場合は70%強がこれに該当すると言うデータが同館により公表されています。こうした権利状態が不明の著作物は欧米では「Orphan works」(孤児作品)と呼ばれ、ここ数年で重大な社会問題として認識されるようになってきました。
意外に多い音楽の「権利状態不明」
書籍や写真などに比べると音楽の分野においては日本音楽著作権協会(JASRAC)を始めとする管理団体が存在しているため権利の状態が不明な作品はほとんど発生していないというイメージが一般的ですが、JASRACが提供している作品データベースを利用して様々な曲の情報検索してみると「権利状態不明」の作品が意外なほど多く存在することに気付かされます。
特に多いのが公立の小・中学校の校歌と自治体が制定する市町村歌で、制定から50年以上が経過している作品の大半は次のどれかに当てはまることが珍しくありません。
(1) 曲はJASRACに信託されているが歌詞は信託されていない
(2) タイトルはデータベースに入っているが歌詞も曲もJASRACに信託されていない
(3) そもそもタイトルがデータベースに入っていない
まず(1)は、市町村歌に多く見られる歌詞を一般公募で住民から広く募集した場合の大半が当てはまります。曲はプロの作曲家に依頼している場合、その作曲家がJASRAC会員(データベースで「J」と表示される)ならば所定の手続きを踏めば演奏が可能なのでそれほど問題はありません。(2)や(3)は校歌に多く、作詞が制定した時の校長先生やOBで作曲が音楽の先生である場合はJASRACへの信託手続きが取られないこと自体が多く見られます。
曲の存在をJASRACが把握してデータベースに登録されたなら最低でも作詞・作曲者の名前がわかるのでまだ運が良い方で、この場合はデータベースに「無信託」として「#」の表示が並び利用許諾の欄には「×」(管轄外)が表示されます。
しかし、曲の存在自体が把握されず検索しても出て来ない場合は作詞・作曲者の名前すらわからないのでどうにもなりません。全体的な傾向としてはある程度の専門的な技能を有する作曲者よりも創作のハードルが低く、アマチュアの場合は公表される作品が1人につき生涯に1編ないし数編にとどまることも珍しくない作詞の方が「権利状態不明」になりやすいと言えます。
普段の実務に支障が無いので見過ごされやすい
小・中学校の校歌や市町村の歌の場合は行事で歌うことが主目的のため、その曲を利用して利益を得ると言うことが想定されておらずJASRACに信託するメリットが余りないのと、一般公募でも応募時の規約で著作権が自治体や学校に帰属することが定められているのが通例なので、原著作者が第三者に対する作品の使用許諾をする・しないの判断を迫られることが無く作品が「権利状態不明」であっても普段の実務に支障はほとんどありません。
しかし、著作権の保護期間は権利を譲渡しているかどうかに関係無く原著作者が亡くなった年を基準に「没後50年間」と定められているので原著作者が生きているのか、亡くなった場合は何年かと言う情報が無ければその時点で「権利状態不明」となります。学校が廃校になったり自治体が合併で消滅している場合はなおその可能性が高くなるのが避けられません。
そうなると、自分の母校の校歌や出身地の市町村歌の一節を自作の曲に組み込んだり自分の著書に載せたりすることも母校や役所に許諾を得る必要があるのかどうかと言う判断材料が存在しないと言うことになり、結果的に正規の二次利用が妨げられることになってしまうでしょう。
次回からは実践編として、原著作者の没年を調べる方法について解説します。
※画像はイメージ(「写真素材 足成」収録の画像を利用)