ネットで人気!大河ドラマの素浪人「荒木村重」って、誰?!

  by 松平 俊介  Tags :  

「荒木村重っていうのも家来になるのかな」「荒木又右衛門?」ツイッターの急上昇ワードに

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」第三回放映直後、突然、ある戦国武将の名前がホットワードになった。その人物の名は荒木村重(あらき・むらしげ)。田中哲司氏が演じている。

「軍師官兵衛」の荒木村重は、姫路から堺に旅をしていた官兵衛一行を野盗が襲った際、道端に寝転んでいた小汚い素浪人だ。道で寝ていた村重がムクッと起き上がるや、野盗10人ばかりをバッタバッタとなぎ倒し、その後もひょこひょこと官兵衛の後についてきて、戦国時代がどうなっているのかをひょうきんに語り、大好物のまんじゅうと銭をもらって大喜びで帰っていったのである。

そのインパクトの強い出現の仕方に、ネット上は荒木村重の話題で持ちきりになり、「荒木村重っていうのも家来になるのかな」「荒木又右衛門と違うのかな?」「荒木とか言う奴、愛きょうがあっていいなあ」などと話題になり、ツイッターの急上昇ワードに入った。2ちゃんねる実況でも「フィクションで面白いと思う」と声があった。

この荒木村重という人物。実は史実でもよく分かっていない人物なのだ。一応言えることは、「荒木又右衛門(本名・服部保知)とは関係なさそう」「官兵衛の家臣ではなく、友人だった」ということぐらいである。

小和田哲男氏「荒木村重の謎は多い」

一応、通説では、「荒木村重は摂津の戦国武将・池田氏の家臣で、後に信長に抜擢(ばってき)されて摂津国主50万石まで出世した後、突然信長に謀反を起こした」人物とされている。謀反を起こした後、友人の黒田官兵衛が説得に来たのを捕らえ、牢屋にぶち込んでいたが、信長に居城・有岡城(伊丹城)を落とされ、一族を皆殺しにされて逃亡。後に茶人となった…ということになっている。何故謀反を起こしたのか定説もないのだ。「当時敵対していた本願寺家に兵糧を売り渡したのがバレた」「信長の残虐行為に家臣から批判が募っていた」など諸説がある。静岡大名誉教授で戦国研究の第一人者・小和田哲男氏は読売新聞の連載『戦国武将の実力』で、「なぜ反旗を翻したのか、なぜ一人だけ生きのびたのか、など謎は多い。」「(謀反は)信長にそのままついていくか、毛利輝元に属すかで迷い、毛利を選択したのではないかと思われる。」と述べているほどである。
「軍師官兵衛」の頃(西暦1567年)に、素浪人だったという話は実はないのだが、かといって池田家(信長の家臣・池田恒興の兄の家系で、高利貸し[今で言えばサラ金、街金の類い]を行い『無双の富』といわれた)の家臣としてどの程度の地位だったかも不明。しかし、何分城が落ちて逃げ延びた人なので、史料がなくなっており、よくわからないのである。銭をすぐ欲しがるのは高利貸しの家の家臣だという史料からか。まんじゅうが好きなのは、後に信長からまんじゅうをもらった話があるからであろう。

官兵衛幽閉事件はガセ?荒木一族皆殺しはステマ?謎だらけの村重

官兵衛を幽閉したという話も実は謎が多い。最近発見された官兵衛と村重の手紙には、幽閉後にもかかわらず、「秀吉様に領地の件は宜しく言っておきます。姫路に来た時には遊びに来て下さい」などと、妙にフレンドリーな記述があるのだ。幽閉されて体を不自由にさせられた人物に対する接し方とはちょっといいがたい。幽閉云々は後世のあまり信頼が置けない史料『黒田家譜』に出てくる話で、確かな古文書で分かるのは「村重を説得に行った官兵衛が戻ってこなかったので、官兵衛の家臣達が『御本丸様』に忠誠を誓った」ということだけである。前出の小和田氏の研究書『ミネルヴァ日本評伝選 黒田如水』にも、官兵衛幽閉の話は「ドラマじみていてどこまで史実を伝えているかわからない」といっているほどである。

もっとおかしいのが、信長が村重逃亡後、荒木一族を皆殺しにした話だ。これは『信長公記』・『立入宗継記』等の古記録に出てくるのだが、村重は毛利家へ援軍要請の書状を逃亡後も出していたことが判明しており、徳島歴史研究会副会長の竹本弘子氏も、論考「逃亡説を打ち消し、汚名返上の貴重な書状である。」で述べている。謀反を起こした後、ブザマに逃げ出したわけでもなかったようだ。実は処刑された人数や人名にも史料ごとに大幅に食い違いがある。『信長公記』・『立入宗継記』を筆者が比較した所、京都で市中引き回しの上打ち首になった36人のリストの内、両書で共通するのが「荒木村重の妻・だし(たし?)とその妹二人、荒木村重の弟、娘、荒木与兵衛の妻、波々伯部」の8人だけで、他の人は名前が全く違う。衆人監視の中で打首になったにしては、どうもいい加減である。それだけならまだしも、村重の娘と波々伯部は生存説があるのだから、もうメチャクチャである。おまけに「この者達に罪はないが、村重は武士の道をわきまえない大悪人だから皆殺しにした」等と書かれている。どうも、自分たちを裏切った荒木村重を悪人に描こうとして、いわばステマのようなことを織田家の連中がしていたようなのだ。先の古記録は何れも信長側近の作である。信長に逆らうようなことが書けるはずもなく、どこまで信用がおけるのであろうか?小和田氏も「村重を卑怯者のように描くのは、信長側の宣伝に乗せられているように思えてしかたがない。」(前掲読売新聞記事)と述べている。

毛利側の『陰徳太平記』には、「村重はそばに使えていた多古々(たここ?)という女性と供回りとともに、援軍を要請するために有岡城を出てきた。多古々はいつも村重と一緒にいる。馬に乗るのも上手だ。巴御前のような力持ちだ」といい、「有岡で捕らえられた村重の妻、弟、その他120人が京都で斬られた。見物人は皆泣いた」「村重の一族、5、60人が船で毛利領に逃亡してきた」とある。村重の妻は二人以上いて、そのうちのすくなくとも一人が京都で斬られたようである。もう一人は子どもと一緒に逃げたようだ。実はその子供が浮世絵の開祖・岩佐又兵衛なのである。桐谷美玲さんが演じることになっている村重の妻は、どうなるのであろうか。村重は今後どう描かれていくのであろうか。今後も目が離せない。

(画像は軍師官兵衛公式ページ及び、番組のキャプチャー映像)

企業のニュースリリースライターを足掛け4年経験。現在はライターのみならずwebディレクターやテレビ番組の企画にも関わっている。タウン誌や飲食関係の媒体の制作にも携わる。 大学時代は書家や歴史作家について修行をしていたことも。(雅号:東龍) 地域の埋もれた歴史を掘り起こしたり、街歩きをするのが好き。これまで関わってきた雑誌は「散歩の達人」「週刊SPA!」、放送局では主に関東ローカルテレビ局の企画を担当。

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