前回の文学編に引き続き、今月末に著作権保護期間を満了して2014年1月1日から生前に残した作品がパブリックドメインとなる先人たちを絵画・漫画・スポーツの各分野から1名ずつ紹介します。
今月末で著作権保護期間が満了する先人たち‥その1【文学編】 – ガジェット通信
http://getnews.jp/archives/467882
松林桂月(1876-1963、日本画家)
日本画家。1876年(明治9年)、山口県萩市に生まれる。野口幽谷に弟子入りして文人画を学ぶ。帝展審査員、帝国美術院会員などキャリアを重ね、大正・昭和前期を通じ日本南画の第一人者として不動の地位に在った。1958年(昭和33年)に文化勲章を受章。
代表作に『長門峡図』(東京国立博物館所蔵)や『春宵花影図』(東京国立近代美術館所蔵)がある。
謝花凡太郎(1891-1963、漫画家)
漫画家。1891年(明治24年)、東京市日本橋区(現在の東京都中央区)生まれ。慶応義塾大学を卒業後、会社員や起業家を経て1933年(昭和8年)に『びっくり突進隊』でデビュー。以後、中村書店を中心に活動し大城のぼる(1905-1998)と人気を二分した。戦後も学童社の『漫画少年』を中心に活動していたが、経歴には不明なところが多く生没年が判明したのは2000年代に入ってからであった。
なお、戦前に発表された漫画には(謝花1人に限らないが)ディズニー作品を無断でコミカライズした物が多数存在する。それらの二次創作は(原作がウォルト・ディズニーの個人著作物とされる場合)、日本では最速でも2027年5月まではパブリックドメインとはならない。
力道山(1924-1963、プロレスラー)
今なお“日本プロレス界の父”と呼ばれる第一人者。1924年(大正13年)、日本統治下の朝鮮半島で生まれ、後に長崎県へ渡り農家の養子となる。1940年(昭和15年)に大相撲の二所ノ関部屋へ入門し、1949年(昭和24年)に関脇へ昇進するも翌年に突然廃業した。1952年(昭和27年)に日本プロレスを旗揚げ。空手チョップを武器に闘う姿でテレビを湧かせ、1963年(昭和38年)5月24日の対ザ・デストロイヤー戦のテレビ中継は64%の驚異的な視聴率をマークする。同年の暮れ、暴力団員とけんかになりナイフで脇腹を刺されて入院するも12月15日に化膿性腹膜炎で死去。
亡くなる前年の1962年(昭和37年)にベースボール・マガジン社より自伝『空手チョップ世界を行く』を刊行。1981年(昭和56年)にはほるぷ出版より復刊されるも、現在は絶版になっており古書市場では1万円以上のプレミアが付いている。
(その3に続く)
画像:力道山(1954年撮影)