かつて幼少のころに遊んだ、ゲームの思い出。時が流れて、30代、40代、50代、さらにそれ以上の年を重ねようとも、ゲームから受けた感動は薄れない。自身の子どもや孫に、かつて体験したゲームの感動を与えたい。そう思う人は多いはず。
しかし、たとえ自分にとって良い思い出でも、その体験を子どもが受け入れるかどうかは別だ。
DQ3の良さを子どもに伝えようと思ったオッサンの話
小学生時代、ファミリーコンピュータのゲーム『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(DQ3)に感動したオッサン。ちょうどリメイク版がニンテンドースイッチで発売されることになり、「これを機会にDQ3の良さを子どもに伝えよう」と思ったという。しかし……。
<オッサンのコメント>
「DQ3の感動を小学生の子どもにも体験させたかったので、ニンテンドースイッチのDQ3リメイクを買ってあげようと思ったんです。でも発売まで数か月あるので、まずはDQ3の前日譚であるDQ11Sを買ってあげようと思ったのですが「気持ちだけもらっておく」と言われてしまいました。つまりいらないということですね……」
さらにオッサンは「やれば絶対に楽しめるはずなんです」「子どもはマインクラフトやスプラトゥーン3は数百時間も遊んでいるのになぜ……」と語っていた。このオッサンの気持ちは理解できるし同情する。自分が良いと思ったものを教えたい、体験させたいという気持ちもわかる。DQ11SからのDQ3リメイクというプレイ展開も、物語の体験としては最良の流れともいえる。
プレイするように促すのは間違いなのでは
しかし、よく考えてみてほしい。ゲームは自発的に遊びたいから遊ぶものなのではないだろうか。たとえ親だとしても、子どもにプレイを押し付けたり、プレイするように促すのは間違いなのではないだろうか。ゲームは楽しむものなのだから「楽しみたい」と思う気持ちが最重要である。
すべてのレクリエーションにいえる話
子どもから「おもしろいゲームを教えてほしい」と言われたら、プレイを推奨したりレゼントしてもよいかもしれないが、ゲームの好みは人それぞれ違うもの。みんな自分が遊びたいゲームで遊ぶ。「自発的に遊ぶ」がゲームの本質。これはドラクエの問題ではなく、ゲームの問題でもなく、すべてのレクリエーションにいえる話である。
最後にオッサンは「いつかDQ3で遊んだ感想を子どもから聞きつつ、オルテガとかアレフガルドに朝がくる話で盛り上がれたら幸せだなあ」と語っていた。まだ諦めていないようである。
※記事画像はオッサンのスマホより引用