84歳の交通誘導警備員が見せた、“旗振りの技”と、“人生哲学”が、21日放送の『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)の中で話題となっている。
ただ旗を振ればいいわけではなかった
この日の主人公は、警備会社に所属して25年という上野敏夫さん。上野さんがこの日、向かった現場は、交通量の多い幹線道路。こうした道で渋滞や事故を防ぐカギは、工事の存在をいかに早く知らせて車線変更をお願いしてもらうかにあるそう。そこで上野さんは、車の大きさに合わせて、旗を振る高さや振り方を変えていたのだ。乗用車の目線で振っていると、ダンプやトラックといった車高の高い車には見えづらいのだとか。
続いての現場は、工事のため、片側一車線を通行止めにして通ってもらう、いわゆる「片側交互通行」にしなければいけない道路。だが誘導員がいなければ、両方の車線からどんどん車が来てしまい、立往生となってしまう。そこで上野さんは、一度の青信号で何台の車が進めるかをあらかじめ確認。反対車線の車をいかにスムーズに流し、渋滞を回避するかに腐心していた。
さらに、工事設備の逆側にいる誘導員に逐一、「5~6台大丈夫だよ」「バスのあと、2台か3台いいよ」などと連絡。車の大きさや車間距離に応じて、誘導する車の台数を瞬時に変えていたのだ。
しかも旗振りの所作も、ピシっと分かりやすく美しい。
どこかで必ず、この仕事を目にします。
その姿に気付きながらも、通り過ぎてきました。
84歳の #交通誘導警備員 “旗じいちゃん”と過ごした日々。 #上野敏夫#プロフェッショナル#仕事の流儀 pic.twitter.com/2Y0DxoSkpb— プロフェッショナル仕事の流儀 (@nhk_proff) September 14, 2021
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旗ふりおじいちゃんの人生
後半は、そんな上野さんの人生が紐解かれた。群馬に生まれた上野さんは、同じ村に住んでいた奥様と出会い、終戦後の20歳のとき、豊かな暮らしに憧れて2人で上京。叔母が営む洋服の縫製工場で働き始め、30歳の時に独立し自分の縫製工場を持つまでに。社長となった上野さんはひたすらお金を稼ぐことに没頭したが、バブルがはじけて業績は急激に悪化。59歳の時、家のローンを残したまま会社を畳んだ。
上野さんは必死に働き口を探し警備員の仕事に就いた。ずっと専業主婦だった奥様も青果店で働き始めた。だが奥様が10年前、ストレスによる肝硬変で闘病生活を余儀なくされ、3年前に他界。それまで前向きに自分の警備員の仕事に取り組めなかった上野さんは「生かされてる」「仕事をさせてもらっている」と改めて気づき、仕事への姿勢が変わった。道行く人や車に頭を下げるようになったはそれからだったという。
なぜ警備員をしているのかという質問に「お金が欲しいから働きます」ときっぱり答えた上野さん。だが一方で、こうした生活について、家庭を顧みず、先立たれた奥様への贖罪とも語っていた。
働くということ。幸せに生きること。
一つの答えがない問いを抱え過ごす日々。
84歳の“旗じいちゃん”から、大切なことを教えて頂きました。#交通誘導警備員#プロフェッショナル#仕事の流儀 pic.twitter.com/PSTeTURDRp— プロフェッショナル仕事の流儀 (@nhk_proff) September 17, 2021
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町で見かけても、正直そこまで気にも留めていなかった交通誘導警備員。その人の人生も、きっと様々な物語がある違いない。