カローラに乗ったカレーラは彼らに言った。
今日はカレーだ。
さて、カレーを作るのはカレーラか、それとも彼らか。
あるいは、それ以外の人なのか。
そして、カレーラとはどんな人物なのか。
そこは、どこなのか。
季節は、時間は、天候は。
カローラとは日本の大衆車の名前だ。
カレーラとは日本では外国人の名前だ。
今日はカレーだ。
日本ではカレーはポピュラーな食事だ。
カレー専門のチェーン店もある。
日本人は一般にカレーが好きだ。
いや、日本人は一般に何でも好きだ。
ハンバーガーでもパエリアでもソーセージでも。
そこは、2020年の日本だった。
国家の財政破綻から暴動が起こり、政府は戒厳令を出した。
治安を維持するために、自衛隊の半分を投入して治安警察を作った。
インフレ、倒産、失業。
貧困層の拡大は、新しい社会、それが望ましいものかどうかは別にして、を生んだ。
貧困層には住宅があてがわれ、食事は配給される。
年金は破綻し、生活保護制度は廃止となり、現金から現物へと福祉の姿が変わった。
カレーラはアイスランドから来た人権NGOの職員だ。
日本語は達者だ。
それなのに、「今日はカレーです」と言わず、「今日はカレーだ」と言ったのは何故だろう。
仲間意識の醸成という意図。
そう、カレーラは彼らと仲が良かった。
カレーを作るのは彼らではなく、カレーラの仲間だ。
カローラにはカレーの材料と道具が積まれている。
団地の駐車場で作られるカレー。
駐車場には車がほとんどない。
みんな僅かのお金のために車を売ったのだ。
貧困者認定を受けるためには、車を所有していてはいけないという事もある。
ひとつの炊き出しには、だいたい2000から3000人の人が集まる。
そういう地域が全国各地に点在している。
2020年の貧困者認定数は800万人。
単純計算して、そういう村が、全国に約4000ケ所あるという計算だ。
もはや、貧困ビジネスは成り立たない。
彼らは、僅かの現金すら持っていないからだ。
治安警察が取り囲む駐車場で、カレーが回ってくるのを待つ彼ら。
毎食、毎食、駐車場に食事を取りに行く彼ら。
彼らと一括りで語られてしまう彼ら。
しかし、彼らは悲惨ではない。
本当に悲惨なのは、その予備軍だ。
格差社会と言うよりも、事実上の身分制社会が出現する。
有閑階級、労働者階級、漂流層、貧困者階級だ。
階層間での交流は、誰もが好まなくなる。
それは、愛うんぬんの問題ではなく、危険だからだ。
巨大な治安警察があろうとも、治安は悪化している。
怨念の渦巻く社会。
生まれてきた偶然、そしてどこかでの偶然が、今の各人の居場所を決める。
カローラに乗ったカレーラは彼らにカレーを作ろうとしている。
2020年の日本。
こんな姿も、悪くないか?