近藤ようこさんの「叩き」は奇麗事を通せる環境を望む気持ちの裏返し?

  by あらい  Tags :  

7月15日の未明、漫画家の近藤ようこさんがTwitterで「お願いします…古本は著者の貧困を加速させます」「新刊の時には古書店じゃなくて、新本で買ってほしいなあ…」と、あくまで一著作者としての正直な気持ちを吐露してみた所、一部の人(だと思います)から執拗に叩かれ、それがネットで話題になっていました。

 

叩く側の言い分としては「買って貰えないのは、お金を払う価値がないものを書いてる証拠」、というような内容が多かったでしょうか。

 

それに対する近藤ようこ氏の返信は「私が自分の本がつまらないと評価されたことを怒っていると誤解されている」「買って損した、とネットで配れ、は違うということを言っただけなんですが」ということに集約されていたと思います。

 

著作権の問題は現在、その制度自体が制定された当時の状況の予想を遥かに越えた事態に遭遇し、世界中でその運用に祭し、大きな混乱を招いています。著作権が制定された時代では、「複製」とそこから派生する「儲け」を直接結びつけることができた為、「複製を作って儲かったら、その儲けの一部をオリジナルを作った人に還元しましょう」という位の理屈で、全ての話が済んだ訳です。それがデジタルコピーとネットが普及する時代になると、「複製」と「儲け」は必ずしも直接的な関係では結べなくなってしまい、「複製で利益を得たならその利益の一部をオリジナルを作った人に還元しましょう」と言っているだけでは、オリジナルを作った人が本来貰えるべき「儲け」を手にできなくなってしまった状況が生まれてしまいました。その状況を正そうと、世界中の著作権団体が様々な方策を考え、実行していますが、著作物を利用する側と著作権物双方が納得できる決定的な妙案の見つからないまま、今日の状況が続いていたりします。

 

また、著作権の利益は著作権管理団体という、著作権のお金にまつわる部分を著作者から請負で管理する団体の分の利益もあり、その絡みも含めると、著作権の事情はとても複雑なものになっていたりします。これ位複雑になってしまうと、既に奇麗事だけで事を解決するのは無理だと断言できてしまうレベルに、著作権はあると言えると思います。

 

その“複雑過ぎてもはや奇麗事が通用しない”という部分が、ある意味、社会には空気として伝わってしまっているものがあるのかもしれない、と筆者は考えることがあります。著作物を利用する側のヒステリックな“叩き”も、そんな空気が伝わっている一つの反応と見ることができるのかもしれません。著作権の「叩き」に限った話ではないのですが、物事を簡略化してしまえば奇麗事が言えるようになるだろ、という考え方を原理主義的に追求したような意見がネットに出回るのは、そんな背景もあるのかな、と推測したりもします。

 

社会に出れば嫌なことは沢山ありますし、奇麗事を通せる環境を望む気持ちは、誰しもが気持ちのどこかに隠し持っていることのような気はします。ネットにそのようなヒステリックな反応が生まれるのも、ある部分、理解のできることではあると思います。

 

人間の社会ですから、歴史が積み重なってしまえば、色んなことが生まれてしまいます。そこで何十億、何百億のお金が飛び交ってしまえば、奇麗事が通用しなくなるのは、これは人間の性、と受け止めるしかないことではあると思います。確かに複雑になった事情を単純に考え、奇麗事が適用でき、万事めでたしめでたし、のようなケースもあるにはあるのですが、著作権の場合はそのケースには当てはまらない気はします。著作権の世界で動く金額が、あまりに大きいからです。

 

今回の近藤ようこ氏の騒ぎですが、騒ぎを見たネットの人達の意見の中に「おまえの労働には金を払う価値がないから無給で働け」という書き込みだけがしてあるものがあったのですが、著作物の権利収入で生計を立てている人にしてみれば、利用者の都合のいいようなままにネットの著作権を運用されてしまうと、同じ事を言われているようなものだと思います。それは「あり得ない」と、誰もが認められる話にはなるとは思います。近藤氏は、そこの部分をTweetしただけなのだと思います。

 

解決策として、ネットもテレビと同じように広告料で著作者の収入を払えるようになるのが理想なのでしょうが、ネットの広告にその可能性を求めるのはかなり難しい状況には違いありませんので、現状、双方がどこかで折り合いを付けていくしかない問題ではあります。それともネットがテレビと同じような仕組みを手に入れるまで発展していくことで、この問題は解決されるようになるのでしょうか?

 

個人的にはネットの発展に期待したいところではありますが、そうではなかった場合でも、変に原理主義的に「物事をシンプルに捉えて奇麗事を通せる環境を作ってしまえば世の中良くなるんだ」のような考え方とは違う方向で色々解決策を探していくのが、より現実的な話になっていくのだと思います。双方が折り合いの付けられる所をお互いに見つけ出そうという部分で、もう少し真摯な姿勢が表現されると(著作権管理団体の方にも)状況が変わる可能性も見えて来ると思うのですが、その手前の段階でお互い足踏みをしているのが、著作権の現状ではあるのかもしれません。

 

 

※本記事は7月16日のTwitterまとめサイト『together』でみつけたスレッドに関して、思う所を執筆致しました。スレッドはこちら:http://togetter.com/li/338917

 

※本文中の画像は近藤ようこ氏Twitter画面からの掲載。

東京の音楽業界の隅っこで仕事をしてきました(インディーズアーティストのもろもろ、ゲーム、ラジオの音楽制作、専門学校講師等)。2014年から某楽器メーカー勤務。

Twitter: ilandcorp