9・11のテロ以前の国連ビルの見学もセキュリティーチェックは厳しかった。当時も丁度空港のように金属探知機をくぐって国連本部内に入っていった。ただあの頃の金属探知機は国連本部のビル内にあり、セキュリティーチェックの場所をそれほどとるものではなかった。
現在の国連ビル見学は国連本部の外側に大きな白いテントがしつらえ、そこでセキュリティーチェックを受けるようになっている。外側にあることで国連本部内には怪しき者は一歩も踏み入れさせないぞ!の気迫を感じる。
以前なら国連ビル敷地内の眺めのよいベンチに座ることも可能だったが、敷地内の公園のような憩いの場も関係者以外立ち入り禁止のロープが張られていた。
年々このセキュリティーチェックが街全体で厳しくなっているように感じる。美術館にも金属探知機を通る厳しきチェックの場所がある。それはユダヤ美術館である。国柄そうなるのは仕方ないと思うが、ここは荷物のチェックも空港並みに厳しくされる。
『人を見たら泥棒と思え』じゃないけれど、ニューヨーク全体が何か悪さをしそうな人を取り締まるような空気が9・11以降浸透しているのは事実である。
同じアメリカでも平原の中の一軒家の生活をしている人たちには、この警戒加減が嘘のようだろう….. しかし、銃の保持を認めている州であれば護身で銃を持っているかもしれない。
日本の田舎で縁側に座り、家全体を解放して換気しているような風情は幸せの象徴に思える。
取締りが厳しくなればなるほど人間らしさを失っていくような気がする。その昔モスクワ空港に降り立ったことがある。当時はソビエト連邦の時代であった。飛行機を降りて空港内に入るとイカツイ大柄の警備員が猟銃のような大きな銃を持っていった。
国連は平和の象徴のような気もするのだが、セキュリティーチェックの強化でものものしさを感じる。国連本部内で会議が行われている時には、国連加盟国の各国の旗が掲げられている。しかし、それらを間近で見ると色あせてくたびれている。
なんだか住みにくい世の中になってきている空気をひしひしと感じる。セキュリティーはより強固に、国連加盟国の国旗は色あせてきて、国連ビルのゲートを出ると中国人観光客の団体のみなぎる力を感じた。
そこに世界のニュースソースの凝縮を見た気がした。
画像: from flickr YAHOO!
http://www.flickr.com/photos/pmbreakfast/7000653117/