街並みに合わせてコンビニがコンビニカラーを捨てることがある。
建築方法や外観などが定められている風致地区では、景観を守るためにコンビニが軒並みシックになり、なんとなくブラウン系でオシャレ度を増す。
ローソンが青くない、ファミリーマートが緑じゃない、セブンイレブンがオレンジではない。
もともとセブンイレブンはオレンジ単色ではなく、オレンジ・緑・赤という大変に目を引くミックスカラーであるが、これがブラウン系セブンイレブンでは落ち着いたトーンになっていたりして華麗に見過ごす。
派手なコンビニカラーはその派手な色で人目を引いているのだということが良くわかる。
【ひっそりと人目を引く】
木々の間に隠れるように出現するトイレ
おそらくコンクリートで出来ているであろう大きな大きな丸太。
コンクリートが木よりも木であることが、よくある。
造花が生花よりも生花であるように。
蝋人形が本人より本人であるように。
大トロが霜降りの牛肉よりも霜降り肉であるように。
じゃぁ大トロよりも大トロのような大トロじゃない何を食べたら大トロを食べた気持ちになれるのであろうか。
大トロを食べたい時はかなりの遠回りをしないとストレートには大トロを味わえないということか。
日本酒なのに上質なワインよりもフルーティーなワインのような大吟醸を飲みながら、霜降り肉よりも肉な大トロを味わう。
キレイさっぱり大嘘である。
より本物に見せるための演出は、99%の嘘に1%の本物が付着していることである。
男子便所の表示はブルースワン
女子便所の表示はピンクスワン
水の描き方が少ないので、場所が場所なだけに漏らしているのかと思う。
湖に浮かんでいるのだと思いたいが、場所が場所なだけに。
誰が貼ったのか中華料理のシール。
一万種類以上ある中華食材の中に白鳥が入っていないことを願う。
昆虫館がある森の中に点在するトイレの表示は虫
『便所虫』をご存じだろうか。
特定の虫を指しているわけではなく、便所に生息する虫の俗称で地域によって対象が変わってくるが、家庭の多くの便所が汲み取り式であった時代に壁にへばりついていたり、床を這いずり回っていたり、天井の隅に留まっていたりする虫のことをそう呼んだ。
便所コオロギ、便所バエ、便所グモ、便所の冠を付けられたそれらの昆虫や節足動物はそう呼ばれているとも知らず、自然界の安全な場所を見つけることはせずにわざわざ人間との共存を選び便所を根城にしているのである。
ヘビトンボ便所
このプレートを撮りながら「さすが昆虫館、リアルテイスト」と私は思っていたが、確認のために本物のヘビトンボを画像検索してみてはじめて遅ればせながら真実を知った。
このイラストがとんでもなく目に優しくゆるキャラでもおかしくないと感じてしまうほど、本物のグロテスクぶりを消したソフトタッチであったことを。
先日、枝豆を茹でている最中に我が家にコキブリが出没した。
なかなかしっかりとした大きさのゴキブリの中のゴキブリという風情でカサカサと音が鳴った時には、親子でミカンを食べていた最近とんと人様の名前が覚えられない42歳母親とクシャミが老翁のようになってきた20歳息子が、朝っぱらからこんなに素早く飛び上れるのかと思うほどの跳躍をみせた。
ゴキブリ退治のためのスプレーを噴射するも、太古の昔からほぼ進化を遂げていないくらいの完成形であるゴキブリは簡単にはへこたれず、我々はその姿を見失った。もちろん、家の中で。ダメなのか、8年前に新発売されたスプレーでは。ゴキブリを退治するのにスプレー1本あればカタがつくのも驚きであるが、8年前のスプレーで退治できる薬剤の持続性のほうがさらに驚きである。こういった薬剤のスプレー缶にはたいがい、目に入った場合は直ちに水でよく洗い流せと注意書きがあるが、8年経ってもすぐには死なないがそのうち死ぬくらいには効くような薬剤が水ごときで何とかなるとは思えない。ゴキブリがとっくの昔に進化をやめたおかげで8年前の新作スプレーでもかろうじて退治できるのかもしれないが、直ちに水でよく洗い流して人間の目が無事ならゴキブリだってすぐにシャワーを浴びれば無事ということになる。3億年経ってもシャワーの爽快感を覚えるゴキブリはいないが、ホウ酸ダンゴを食べたゴキブリは水場で息絶える。ゴキブリにとって水は喉の渇きを潤すためだけのものなのだ。下水に水を求めたゴキブリは既に水以外を喫食できないカラダになっているわけであるが、脱水症状に陥っているので水を求めた甲斐も虚しく最終的には乾燥して死ぬ。
死んだゴキブリの死骸を食べたゴキブリが連鎖的に死ぬのでゴキブリ退治には持ってこいだと思うのだが、飽きもせず次から次にゴキブリ退治商品の新作が発売されてもいっこうにゴキブリを根絶できないことに鑑みると、あれよあれよと進化を遂げているように感じる最先端テクノロジーでもまだまだゴキブリ以下なのかもしれない。
「弱ってるやろうからどっかで息絶えてるはずやねん、探してやアンタしかどこ行ったか見てへんねんから」
「えーーーあっこの端っこ盛り上がってるトコあるやん?あっこちゃう?めくってみ?」
「アンタやりーや」
居間で出没したゴキブリから逃げて隣接するキッチンで親子はひと悶着。
「あーーーー!」
「ギャーーーーっ!!うわぁああぁああ!!」
「いたい、イタイ、痛いっ!ちょっともぉ・・・何よ?」
私の背後を指さして「あーーーー!」と発す息子の背中に平手打ちをお見舞いする。
「枝豆の鍋が沸騰してるで、て教えようとしただけやん」
「なにが『何よ?』じゃ!まぎらわしいねんっ」
ヘビトンボよりも断然目にしてきたゴキブリで朝っぱらからこの騒ぎである。
ヘビトンボ便所に便所虫が生息しておりそれがヘビトンボであった場合には、ゴキブリ以上の殴る蹴るの暴行が加えられる恐れがある。
虫便所は森の中に存在するということを肝に銘じていただきたい。
自然の中に在るということは虫と共存しているという自覚を以ち、人間も動物のうちなんだと思って便所に入ろう。
ハラビロカマキリ便所
単なるカマキリではないところがさすが昆虫館クオリティである。
そして表示プレートと便所の外観には何か関連性でもあるのだろうか。
なんとなくハラビロカマキリのフォルムを感じ取れはしないか。
階段が蛇腹状の腹部に、手すりがカマに見えてこないか。
クマバチ便所
プレートに書かれてある文字が小さすぎて、拡大しても文字が読み取れるまではいかないが4文字なのはわかる。
リアル調に描かれているおかげで、ハチの胸部が黄色の毛に覆われており中心に黒い丸がある特徴からこのハチがクマバチであることが特定できた次第である。
どうだろうか。
クマバチ便所の外観がクマバチに見えてきたとしたら、眼科への受診をオススメしたい。
【古き良きニッポンの愛らしさを便所から読み取る】
かつて、昼休みになると会社のトイレの個室に籠城したり、公衆便所へと姿を消し1時間きっちり引きこもる癖のある男性たちが『便所虫』という蔑称で呼ばれていた。
今では『便所虫』という表現自体を聞かないが、なんとも愛らしい蔑称ではないか。
そもそも『便所虫』は排除する対象ではないのだから、そこが愛らしい。
共存することでその存在意義があり、ともすればそれが個性になりうることをジョークを込めて本人に知らせることも出来る可能性を秘めた『便所虫』という表現。
「気にかける」ことの効能は気にかけた人と気にかけられた人との間で学び学ばせられる作用を持つのが双方向なのだ、どちらかの一方的な関わりではなくて。
便所虫たちよ蠢き出すのだ、時にコソコソと時にグロテスクに時に人々をハッとさせながら。
便所に巣食う虫ではなく、救われる虫でいろ。
それが愛らしさの正体である。
いずれ年老いたら下の世話が必要なカラダになるだろう、その頃になれば恥も外聞もなくみな垂れ流す。
我慢しても我慢しても漏れ出てしまうのだ。
そうなれば便所も用無しで、大人用紙おむつの出番である。
便所に訪れ便所を目にし、便所という空間で物思いに耽られるうちに耽っておくがよろしい。
それを責める者はひとりとしていない、ただ白い目でみられる覚悟だけはしておけ。
心配するな我々はみな動物である、本能の赴くままに行動してもバチは当たらない。
トイレ表示のプレートは、家の表札と同じ。
開運と快便を呼び込み、ひいてはそれが健康へと繋がっていくのだ。
身も心も健康になりたくば、便所の表札に目を凝らせ。
※全画像筆者撮影