RED EARTHへ、青い地球より、愛を込めて vol.7 ~憧れにサヨウナラ~

  by タツキヨコヌマ  Tags :  

「ありがとう。次は本番、してあげるかも。」
自分でもどこで覚えたか分からない笑顔で客を見送る。

やっと帰れる。大きなため息をついて、身支度を始める。
一年前の今頃は、受験勉強に必死だった。
希望の大学に入るために猛勉強した。
今年の春に合格証書を手に家に帰った時は、両親もとても喜んでくれた。

そんな親元を離れ、初めての一人暮らし。
憧れの都会、憧れの女子大、何もかもが新鮮で、この先すべてがうまくいくような気がしていた。
中学時代にアナウンサーを夢見て、この女子大に憧れた。
卒業生には人気女子アナが大勢いる、有名私大でもある。
ただそれだけの理由で、この大学に入ることを決意した。
同期の子たちは皆おしゃれで、田舎から上京してきたばかりの私より大人びて見えた。
ごく普通のサラリーマンと専業主婦の両親のもとに生まれ育った私は今まで何の不自由も苦労もせずに育ってきたと思う。
高校までの友人たちと、経済感覚や価値観に大きなズレを感じることも無かった。
しかし大学に入学してからすぐに、そのズレを感じ始めた。

ごく普通の中流家庭に育った私は、この大学の中では貧しい部類なのだということを何度も思い知らされた。
垢ぬけている同級生たちは皆、ハイブランドのバッグを持ち、ハイブランドコスメで化粧をして通学していた。
月に一度は美容院やネイルサロン、エステに通い、長期の休みにはこぞって海外旅行に行く。
私からすれば別世界の生活習慣ではあるが、彼女たちからしてみれば当たり前の暮らしがそれなのだった。
ランチに行こうと誘われれば何千円もするような店に連れていかれ、飲み会となれば個室のオシャレな店に連れて行かれる。

いくら両親が仕送りをしてくれても、週に三回のアルバイトを五回に増やしても、彼女たちの生活水準に合わせることは至難の業だった。
だけど彼女たちに合わせるしかない。
女子の社会で付き合いが悪いというレッテルを張られることが一番怖い。
二度とこの輪に入れてもらえない上に、悪評は猛スピードで学内中に広まってしまうだろう。

それが怖いからか、対等に見られたかったからか、お嬢様育ちの友人たちには父が会社経営をしているなどという嘘までついている。
挙句に彼女たちに付き合うのが精一杯で家賃を滞納し、電気まで止められてしまうこともあった。
大家から両親に連絡が入り、心配して電話してきた母になんとか言い訳をしたものの、そうでもしなければ友達付き合いをしてもらえない自分があまりにも情けなくて、電話を切った瞬間に泣いた。
この事件をきっかけにずっと専業主婦だった母はパートを始めた。
そしてなけなしのパート代で仕送りを増やしてくれるようになった。

夏休みに繁華街を歩いていた時にスカウトされて始めたのが、この風俗のバイトだった。
今までやっていたファミレスのバイトの時給が遥かに霞んで見える時給を提示された。
これ以上お母さんに迷惑をかけるわけにもいかない、悲しませてもいけない。
そして何より、友人たちとの関係を崩すわけにはいかない。

まだ処女だった。
キスさえもしたことがなかった、というかまともな恋愛経験は一度もなかった。

風俗のアルバイトを始めてから、金に困ることはなかった。
友人たちが身に着けているようなハイブランドのバッグも時計もすぐに買えた。
最初は抵抗があったが、仕事にもすぐに慣れた。
好きな人と済ませていなくてよかった、恋人がいなくてよかった、と今では思う。
きっと本当の行為を知ってしまった後だったら、とてもじゃないが、この仕事は出来なかっただろう。

身支度を済ませ、日給を受け取り、外に出る。
ここまではいつも通りだった。
次の瞬間に、硬直した。

大学の友人が年上の男と腕を組んで歩いている。
友人も私もお互いにすぐに気が付いた。

下品な原色のデザインでふざけた名前の店名のが描かれた看板の下の扉から私が慣れた様子で出てきた所を友人に見られてしまった。
彼女も二十歳になろうかという人間だ。ここがどういう店か、一目瞭然だろう。
硬直する私に道行く人がぶつかって、舌打ちをされてようやく我に返った。
その時にはもう友人の姿はなかった。

「終わった。」

明日から学校で私の居場所はどこにもない。
待機中に暇を持て余してパラパラめくっていたオカルト雑誌の記事を思い出す。
『パラレルワールドは実在する!』という投げやりにも思えるような無謀な見出しの記事だ。
いつも待機場には女性誌ばかりが置いてあるのに、一冊だけ場違いなオカルト雑誌が紛れ込んでいたので、なんとなく手に取ってしまったのだった。

「パラレルワールドでもなんでもいいけど、あるなら連れて行ってよ」
意味のない事を、混乱したまま呟く。
いつもの帰り道、いつもの時間帯。夜はこんなに暗かったっけ。

人もまばらな路地裏に入ると街灯の下に座ってギターを弾きながら歌う男が目に入る。
今までずっとこの道を通っているが、こんな所で人が弾き語りをしているのを見るのは初めてだった。
私が立ち止まると、男は演奏をやめる。
目が合う。私は気まずくなり、無視しようにも無視できなくなる。
男は何も言わずに、また歌い始める。私は呑気に歌を聴いている場合ではないのに。

歌が終わった時、私はハイブランドのバッグを地べたに放り出し、へたり込んで、泣きじゃくっていた。

私は何をどこで間違ったのか。考えなくても分かる。
はっきりとした答えも正しさも私の傍に常にあったはずだ。
きっと明日には学内中に、いや最低でも学科中に私のアルバイトの秘密は広まっているだろう。
今まで仲良くしてくれていた友人たちは私からあっという間に離れ、まるで汚れ物を見るような目で見るに違いない。
高校時代に父親の分からない子供を妊娠して去っていった、離任式で“母になるのだ”と凛とした表情で退職理由を語ったあの非常勤の女の先生を、あの頃の私は友人と随分下世話に罵ったし、軽蔑もした。
まるであの時のように、今度は私が彼女と同じように軽蔑されるのだ。
いや、私は彼女よりよっぽど汚らわしい。

いつの間に片づけたのか、歌っていた男がギターケースを提げて私の横に立つ。
座っていたから気が付かなかったけれど、随分と背が高い。しゃがみ込んで私に声をかけ、歩いていく。

私は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、遠ざかる彼の後ろ姿を見つめる。
高価なワンピースもハイブランドのバッグも汚れていたが、もはやそんなことはどうでもいい。
時間をかけて、やっとの思いで震えながら立ち上がる。
そしてそのまま、震える足を前に一歩出す。

『パラレルワールドはいつも君の中だけにあるよ。君が行きたいと願ったら』

私はこれから、そこへ行く。
自分の足で、そこへ行く。

タツキヨコヌマ

タツキヨコヌマ 1991.10.12生まれ 山口県出身。 ライター。 寺山修司、江戸川乱歩、ボリス・ヴィアンフリーク。 主にインディーズバンドの記事を執筆。

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