世の中さまざまなアルバイトがある。ある時期、諸事情あってしばらく週払いの仕事をすることになった。仕事は黙ってやれる方が好きだ。初めてモデルルームの受付のアルバイトをすることにした。
そういう仕事を斡旋してくれる事務所で書類と身分証の写しを提出した。
働きたい日時の希望を出しておくとすぐにメールで紹介がくる。仕事したいという旨の返事をすると現地の場所と詳細を記したメールが届く。面接なんてものはないし本当に『誰にでもできる』お仕事だ。誰にでもできるお仕事だが働くのは自分なので責任は生じる。
当日はスーツで現地に向かった。場所は世田谷の住宅地で京王線で新宿から何駅かで着く。駅から不動産会社の店に向かう途中でコンビニに寄った。カロリーメイトを買った。店内には録音かラジオかわからないが音声番組が流れていた。なんという企業が企画したものかわからないが「日本一感動する手紙」というような内容だった。全国から感動した手紙を集めて日本一を決めて読みあげようという企画らしかった。どの人がどんな人に宛てた手紙が「日本一」なのか聞きそびれたままに店を出た。
あたりまえだけれども店はとても綺麗で接客用の丸いテーブルに既に他のアルバイトの人たちが何人か着席していた。お店の社員の人たちは誰もみんな愛想がよくて、順次、誰がどこの担当をするのか地図を見せて対象となる物件の話をかいつまんで教えてくれた。ここは中古の一戸建てですとか、新築のマンションです、というそれくらいの説明だ。アルバイト側には当然住宅に関する知識はなくて詳細な質問をされたらすぐ営業担当に連絡するように言われている。担当の人の名刺と、興味をもった人に手渡すためのチラシと、対象物件の鍵を受け取った。
そう、鍵だ。そうか、鍵か。私はしみじみとこれはわりと大切な仕事なのだなと感じた。休憩の取り方などを教わって紙袋に全部いれて現地に向かった。てくてく歩いて線路を渡る。線路の手前にケーキ屋さんがあって、ああここのケーキを余裕ができたら食べにきたい…と感じながら歩く。私が担当したのは中古物件で三階建て。ただ地下にも部屋があって防音加工がされていた。三階の子供部屋も台所も地下室もとても感じがよくて、期間中はずっとその家の前ですごした。
門のまわりに『売り出し中』の旗を立てて案内用のガイドのついた三角コーンを定位置に設置してしまうともうやることがない。興味がありそうな人がいれば話したりチラシを渡したりする。飲食物はかばんに入れていたが段々慣れてくると郵便受けに置いてつまんだり飲んだりするようになった。だんだん日が経つと近所の人たちに顔を覚えられて、住宅そのものには興味がないけれど前の住人と知り合いだったというおばさんたちによく話しかけられた。どうやら私の担当した家の持ち主は近所付き合いをよくしていたらしい。世田谷だからさもありなんといった感じのマダムたちにあれやこれや聞かれた。しかし持ち主の情報は一切知らないので、そのように対応した。内心では色々考える。
そうか、例え近所でお付き合いがあっても挨拶する程度の近隣住人って引越しを知らせようもないよなあ。子供同士が同じ学校だったりするならともかく。ただ座っているだけでこの家に住んでいた人がどんな人かなんてことまでわかってしまうんだな。知りたいとも思っていなかったけれど行き来する人たちがいる以上はそういうことだ。
担当したその家を私は最初から好きになってしまっていて、いい人がみつかればいいなあなんて娘の結婚相手を探す親父のような気持ちになった。
中には建て替えたらいいんじゃないなどと言う人もいたけれども、それをするには惜しい感じがした。
話は変わるが期間中に一日だけ別の家を担当した。それは新築ですらない、まだ建てている途中の家の前での仕事だった。何も言われずに向かって到着したら大工さんが一人でトンカンやっていたのでびっくりした。
廃材の奥に埋もれている椅子を引っ張り出すのを手伝ってくれて緊張してどきどきした。一人でやれると思っていた場所に人がいて、しかも全然それまで接点のないタイプの人が働いている場というのは緊張するものだった。大工さんも聞いていなかったのか、驚いていた。けれど寒くないかなどと聞いてくれた。すぐに引っ込んで仕事をはじめたけれど。
昼過ぎに向かいの家から小学生の女の子が出てきて遊びはじめた。時々私と話したそうに明らかにこちらを見ている。普段ならどうしたものかわかりそうだけれど仕事中だしむやみに話しかけるのもなあ、とやりすごしてしまった。次第に寒くなってきて興味を示すのはいよいよ向かいの住人しかいなくなってくる。小さな子を連れたお母さんが興味を示してくれた。話し終える頃にはその男の子はすっかり不機嫌だったけれど買っておいた森永エンゼルパイをあげたら途端に笑顔になった。
この時期には私はもう近隣の食料品店などを把握していて帰り際には記念に図書館でカードを作成するなどの余裕が出てきていたのだ。この日の昼は、ある公園の前を通ったら近所の人たちのボランティアなのか大きな鉄板の上で焼き蕎麦を作っていた。最初は迷ったけれど300円くらいで食べさせてもらえるというので紙のお皿に盛られたそれを集まってきた子たちの間に挟まって食べた。あんなにおいしい焼き蕎麦ってなかった。
現地に戻っておやつの時間に差し掛かったとき、今度はカロリーメイトを取り出しながら大工さん半分食べるかなあなんて思っていた。
初日からずっと私の相棒はカロリーメイトだった。けれども中に篭って仕事しているのを声かけるなんてなあなどとつらつら考えているうちに食べ終えて日も暮れてしまった。時間なので戻りますとご挨拶すると、大工さんは俺は明日休むよと言った。明日はいないからゆっくりやれという気遣いだったのかもしれない。多分よっぽど調子が狂ってしまったんだろう。大工仕事は危険な仕事だ。女子がいると気が散るのかもしれない。いやしかしそりゃあ小嶋陽菜がいきなりそこにいたらびっくりするだろうけれど、ただのデブの女なんですよ。それでももし私が男で大工をやっていて一人で気楽にできると思っていたら、スーツの若い女が不動産の店からおもむろにやってきて椅子を置いて一日座っていたらやりにくいと思う。
だから、慌てて私は今日限りですよとお伝えした。よかったらとカロリーメイトを差し出した。
大工さんは喜んでくれて、じゃあ珈琲出してやりゃあよかったななんて言った。あっと思った。多分同じくらいの時間帯に彼は恐らく家から持参の珈琲を造りかけの部屋のなかで飲みながら私のことを慮ってくれたのだ。けれどお互い言い出せなかったのだ。なんだか笑ってしまった。
大工さんは増税前で家が売れまくってみんな人手が別の住宅にとられちまってね、というような裏話をしてくれた。そう、それは消費税増税前だった。2014年の3月の話だ。忙しい時期だったのだろう。けれども正月から一日も休んでいないと聞いたときは雷に打たれたように私は言葉を失った。きっと自分のペースでできる仕事なのかもしれないけれども、ああ。景気がまやかしのようによくなるのもいいけれども、こういうことが起きるんだ。それだけ住宅が売れているから私だって体を売らずに猫のご飯代を稼げたわけだ。大工さんだって別に不平じゃなくて嬉しい悲鳴ってやつだったのかもしれない。
大工さんの珈琲を飲んでみたかったなあ。きっと目覚ましの意味もあったろうから苦くてすごくおいしかっただろう。
何日かして別の仕事が見つかってその仕事を離れた。最後の日はあの感じのいい家で、やっぱり買い手はつかなかった。あがりこんでずっと世間話をしていくようなインテリのおばあさんや、スケボーを抱えた男の子を連れたお父さんや、いろいろな人が興味を示したけれど。
その日は雨だったので私は大半仕事をさぼってしまった。言い訳すれば本当に人通りがなくなってしまったのだ。持ち主には申し訳ないが中に引きこもって階段をベッドのようにして読書をした。見回りの人が来るのは初日だけだったのであとは自己責任なのだ。本当に一人きりでできる仕事なんてどこにもひとつもないんだな、こんな天気でなければ…と実感した。結局その日に至るまで本当にいろいろな人と話をしたのだ。一見孤独に見える住宅販売の受付という仕事ですらこんなに孤独になりようがないなら次の仕事もやれるだろうなどと思ってしまった。
長く続けられないだろうなということは実は初日から感じていた。不動産の店の丸いテーブルで営業の社員が別のアルバイトの人に、その人の担当物件をこう紹介した。
「奥の庭で事故で人が死んでいます」
なるほど、たまたまその場所の担当は外れたが確実に運は使ってしまっていただろう。いずれそうした物件にあたるかもしれないことを考えると早めに次の仕事を探した方がよさそうだなと、その場にいる誰もが思ったであろうことを私も考えたのだ。
生きている人たちになら、前の住人はどこに行ったのか、不動産の知識はあるのかなどと何をどんな具合に聞かれても困らない。
けれど、もしも…
椅子を置いて座っている背後の扉がいきなり開いて、いないはずの青白い人から僕の家族はどこへ行ったんです…などと睨まれては堪らない。
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