11月13日深夜(日付上は14日)にテレビ朝日で放送された『タモリ倶楽部』では「江東区の区歌を勝手に作ろう」と題して司会のタモリとゲストのレキシ(池田貴史)、マキタスポーツの3人が東京の23特別区で1区だけ区歌を制定していない江東区の非公式区歌を他の22区の区歌紹介を交えながら作成する企画が放送されました。
中野区の新生区歌が仮面ライダーBLACKな件 – ガジェット通信
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番組の後半で3人の合作(クレジット「作詞/作曲・タモリ倶楽部」)による『江東区歌』(非公式)が演奏されましたが、意外にも『Twitter』では「正式な区歌に採用して欲しい」「『ミュージックステーション』で演奏を」など、単発ではなく正式な区歌の制定に向けて今後の継続的な展開を望む意見が多く見られました。
「戦後復興で忙しくて区歌など作る暇がなかった」?
番組収録は門前仲町で収録された前振りの部分を別にすると全て深川東京モダン館(国指定有形文化財)の貸室で行われており、番組中で区役所へ完成した曲を売り込みに行くなどのアクションは特にありませんでしたが、区の広報課に区歌が制定されていない理由について問い合わせた回答が紹介されました。そこでは「他の区では戦後間もない時期に区歌を制定した事例が多いが、江東区では戦後復興に全力を挙げていたので区歌など作る余裕が無かった」と理由が説明されていましたが、番組中でも紹介された他の22区の区歌リストを見てみるとどう考えても「戦後復興」の時期をとっくに終えて高度成長期も一段落した1978~90年に第2次の制定ラッシュが起きていることがわかるので、区の説明する理由は今一つ説得力に乏しいと言わざるを得ません。
江東区は今から68年前、1947年(昭和22年)に東京都の35区が23区に再編された際に旧城東区と深川区の新設合併で成立しました。つまり再来年、2017年(平成29年)が区の成立から70周年に当たります。他区を見てみると板橋区と足立区はどちらも1982年(昭和57年)に区制50周年を記念して区歌を制定しており、大田区は区成立70周年を前に1954年(昭和29年)制定の区歌とは別に新規の愛唱歌を作成する予定となっています。また、東隣の江戸川区も1965年(昭和40年)に制定した区歌に4番を追加することを発表し、歌詞の選定作業が行われています。
こうした動きは中野区が今年3月に1950年(昭和25年)制定の区歌を廃止して新区歌に代替わりさせたことを発端に23区内で第3次の制定ラッシュが起きているとも言え、2年後の区制70周年と言うのは最後に取り残された江東区にとっては非常に良い機会となることは間違いないでしょう。
「歌詞に地域性が乏しい」と言う批判も
もっとも、番組で作成した『江東区歌』(非公式)が採用されるかについては課題も浮かび上がりました。特に『Twitter』では区出身・在住者から歌詞に江東区らしさを感じさせるフレーズが「ゆりかもめ」と「南砂」の2つしか無い点が引っかかると言う意見が目立ちましたが、番組内では1番しか演奏されていないため2番以降を作る場合はこの「地域性」が大きな課題となりそうです。
この課題は、合併前の旧城東区と深川区の間に横たわる地域格差とも大きな関係があります。特に旧東京市が1932年(昭和7年)に市域を拡大する以前から江戸城下の「朱引き」の内側で東京15区に含まれていた深川区と、市域拡大で東京市に編入されるまでは「朱引き」の外側の農村だった南葛飾郡亀戸町・大島町・砂町を前身とする城東区は同じ区内にも関わらず南北の交通アクセスが良くないこともあり一体感が乏しく、これに20世紀後半から拡大を続ける臨海副都心も合わせると三者三様でこの全てを過不足なく取り上げるのはなかなか難題に思えます。
今から2年前の2013年(平成25年)4月に『東京都23区 区歌・愛唱歌を歌う』と言うコンサートが両国で開催された際には、江東区は代用曲として主催者側が用意した『深川』と言う曲が演奏されましたが、旧城東区域の住民としては存在を無視されたように感じられるため不満の残る内容となりました。それに比べると、旧城東区域の南砂が取り上げられている点は『タモリ倶楽部』作成の区歌(非公式)の方が「一歩前進」と言える仕上がりになっています。
今回『タモリ倶楽部』で作成された区歌(非公式)が区に採用されるかどうかは不透明ですが、採用されない場合でも2年後の区成立70周年を前に「23区最後の区歌制定」に向けて一石を投じたと言えそうです。
画像‥番組ロケで使用された深川東京モダン館の公式サイト
http://www.fukagawatokyo.com/ [リンク]