坐禅で飯が食えるか?

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(写真素材:足成)

はじめに

 時間はどこで生まれたか、宇宙の広さはどのくらいか、生まれる前の自分は何者で、死んだ後はどうなるのか、このような問題の解答は学校では決して教えてくれませんが、多くの方が一度は考えたことのあるものだと思います。ただ、同時に考えても仕方のないことだ、と素通りしてしまう人も多いのではないでしょうか。一方、こういった疑問に真剣に取り組んだ時、人は解決策の一つとして坐禅を始めます。

 しかし、いきなり突き放すようですが、坐禅をしても、これらの問題に対する直接の解答はないです。実際のところ、坐ったからといって時間の始まりを知ったり、宇宙の果てに辿り着いたり、前世来世の自分に巡り合うということはありません。残念ながら禅においても、これらの質問の答えは「ナンセンス」で片付けられてしまいます。ただ、もっと大切なことを教えてくれます。それが「感謝の心」です。人間は、いいことにも、悪いことにも全てに感謝するため人生という道を修行するのです。心が感謝で100%満たされた時、それを成仏と申します。「ありがとう」とか「おかげさま」と言われる心境です。宇宙の存在する秘密とは、人間が感謝の心を十分知るために与えられた場所ということです。

 京都最大の禅寺、妙心寺にもその入り口に「おかげさま」と大きく書かれています。とにかく大切なものは感謝の心、人間には、時間や宇宙や前世来世のことを知るために必要な寿命が与えられていません。仏教では毒矢のたとえ、という教えがあり、毒矢で射られた人は何をおいても早く矢を抜かなければいけないところ、私を射たのは男か女か、それは何歳くらいの人だったか、髪は長かったか短かったか、どっちの方角に逃げたか、などと質問をしていたら毒が全身に回って死んでしまうというたとえです。

毒矢を抜くとは、何よりも感謝の心を知るということです。善なることにも、悪なることにも。心から善悪の壁がなくなった時に、人は生まれてきた意味を知ります。大きな大きな歓喜に包まれるのです。坐禅とはそのためにやるものです。心を鎮めたい、とか、集中力をつけたい、といった切り口で始めるのも大いに結構ですが、その先には感謝の気持ちがあるということを忘れないで下さい。

このブログ「坐禅で飯が食えるか?」は約8年間、私が仏教で体験し、学んだことの中から、心のままに書き綴ったエッセイ集です。拙い文章で恐縮ですが、ご一読いただければありがたく存じます。

tamuzo

坐禅歴二十余年。お坊さんではありません。