『童貞。をプロデュース』強要問題の“黙殺された12年”を振り返る 加賀賢三氏インタビュー

  by 藤本 洋輔  Tags :  

▲加賀賢三氏

2017年8月25日、東京・池袋シネマ・ロサで行われたドキュメンタリー映画『童貞。をプロデュース』の10周年記念上映舞台あいさつのステージ上で、ある事件が起こった。同作に「童貞1号」として出演した加賀賢三氏が、劇中で「同意なしにAV女優に口淫される」という性行為の強要があったと訴えたのである。加賀氏は、“性行為強要”の再現として、同じく登壇者の松江哲明監督に対し、自身の男性器を咥えるよう迫った。この一部始終は観客の一人が撮影しており、現在もYouTube上で視聴することが出来る。事件を受け、池袋シネマ・ロサは1週間を予定していた同作の上映を中止。その後、松江監督と配給元SPOTTED PRODUCTIONSの直井卓俊氏は、連名で同作劇中での“性行為強要”を否定する声明を発表している。

当時、複数のWEBサイトがこの事件を報じたが、そこには「加賀氏が乱暴を働いた」「安全のために上映を中止した」「松江監督と直井氏が性行為の強要を否定している」といった、声明に準じた事柄が取り上げられたのみ。しかし実際には、加賀氏は舞台上で『童貞。をプロデュース』撮影中の性行為強要だけでなく、その後のほとんどの上映が自身の許可なく行われたことなど、作品の裏側で受けた様々な被害を訴えていたのである。また、加賀氏が事件後に公開したブログでは、撮影前後に松江監督から受けたハラスメント行為や、制作上のヤラセなども暴露されている。

加賀氏の主張はSNSで拡散はされたものの、メディアが取り上げることはなかった。その後、松江監督はこの事件に触れることもなく、ドラマ『このマンガがすごい!』(テレビ東京系)といった作品を世に送り出し、雑誌などでの文筆活動も継続している。2019年、事件から2年たった今、当事者は何を思うのか? 残念ながら松江監督・直井氏は取材に応じてくれなかったが、加賀氏はインタビューで『童貞。をプロデュース』制作開始から現在まで、12年の間に何が起こっていたのかを振り返ってくれた。

『童貞。をプロデュース』あらすじ
「あんにょんキムチ」「セキ☆ララ」の松江哲明監督が、2人の青年を“童貞”から脱出させるべくプロデュースするドキュメンタリー。片思い中だがキスの経験すらない半ひきこもり青年に、ある荒療治を施す第1部、80年代のB級アイドルに思いを寄せ、自主制作映画まで作ってしまったサブカルオタク青年が主人公の第2部から構成される。さらに人気バンド・銀杏BOYZの峯田和伸が第1部と第2部の間に特別出演。※映画.comより引用

『童貞。をプロデュース』制作のきっかけ

▲『童貞。をプロデュース』予告編(ニュー・ヴァージョン)より

――松江哲明監督と初めてお会いになられたのは、いつごろですか?

バンタン映画映像学院の学生だった頃です。3年制で、松江さんは1年目にはぼくがいたのとは別のクラスを担任として受け持っていました。ただ、その時にはほぼ関わりがなくて、作品の発表会で松江さんが講師としてコメントしているのを見ていた程度です。バンタンでは2年目から色んな講義を選択できるんですが、松江さんは当時ドキュメンタリーのクラスを教えてらっしゃいました。ぼくは松江さんのクラスを取りましたが、最初の1回しか講義を受けなかったので、在学時にはほぼ繋がりはありません。

――その後は?

調布映画祭のショートフィルムコンペティションに作品を出したんですけど、その時に松江さんが見に来ていて、打ち上げで知り合いました。当時のぼくはバリバリの童貞で、打ち上げでも周りの童貞の友達とテーブルを囲んで“童貞の島”を作っていました。そこで、「童貞とは〇〇だ」みたいな『童貞論』を語っていたんです。(『童貞。をプロデュース』の)童貞2号の梅ちゃん(梅澤嘉朗氏)もいて、酔っぱらって荒れてました。ぼくが「やめろ!」とたしなめてパワーボムをかけたり、そんなことをして騒いでいたら、松江さんが「何してんだ?」と見に来たんだと思います。そこから、松江さんとは上映会などでも顔をあわせるようになって、会えば話をする関係になっていきました。その頃には、仕事を一緒にした記憶もあります。たしか、松江さんが撮ったAVにアニメをつけて欲しいと頼まれたこともあったと思います。

――加賀さんは「童貞をテーマにした作品」を作ろうと考えていたと聞いていますが。

当時、真利子哲也監督がセルフドキュメンタリーのような作品を撮ってらっしゃったんです。体にヒモをくくり付けて、ビルの屋上から飛び降りたりする『極東のマンション』(03年)とか。ほかにも、椅子に縛り付けられて殴られたりする、特殊メイクなしのリアル『デストラクション・ベイビーズ』みたいな作品を撮っていらして。その影響で、ぼくも手習いとしてドキュメンタリーをやってみようと思って、自分の周りのことを撮っていました。真利子さんはブログもやっていたので、それも面白いと思っていました。当時はまだブログが新しい時代で、自分の身の回りのことを言葉にしていくとか、あるいは映像に収めて整理していくという作業に、何か学びがある気がしたんです。だから、ぼくは自分が童貞であることを、ブログに書くようになりました。21歳とか22歳くらいでまだ若かったので、何となく自分の“イタさ”みたいなものも自覚していて。真利子さんのようなフィジカルな“痛さ”に替るものとして、人間的なダサさとか、カッコ悪さをむき出しにするのがエンターテインメントになるんじゃないかと思ったんです。そこで、「好きな子が出来た」とか、そういうことを馬鹿正直に書いていたら、松江さんから電話がかかってきて、「セルフドキュメンタリーをやってるんだって? 俺もやろうと思ってるから、一緒にやらないか?」と誘われました。

――ブログと並行して撮っていた映像は、『童貞。をプロデュース』に使われたのでしょうか?

いいえ。最初に松江さんから「これまでに撮ったのを持ってこい」と言われたので、撮り溜めていたものを渡しましたが、採用はされなかったと思います。

――『童貞。をプロデュース』の映像は、新しく撮ったものということですね。

一緒にやることが決まってから撮ったものですね。それも、具体的に指示を受けたわけじゃなくて、松江さんに「適当に面白いものを撮ってきて」と言われて、撮影していっただけです。『童貞。をプロデュース』は、基本的にはぼくが勝手に撮って、テープを松江さんに渡すスタイルで作ったものです。松江さんはいろんなところで、“遠隔演出”をしたと言っているようですが、それは嘘です。一つ指示があったとすれば、小岩かどこかのベンチに落書きがあったので、その写真をブログに載せたということがあったんですけど……その記事を松江さんが読んで、「これを撮ってきて」と言ったくらいです。

――加賀さんは単なる出演者ではなくて、共同制作者でもあったんですね。

そうです。基本的にはぼくの自撮りなので。セルフドキュメンタリーとして独りで撮っていたときって、「何のためにやっているのか?」と疑問を感じたり、迷いがあったりしました。そこに第三者の視点が入ることによって、作品になる確信が得られると思ったので、松江さんの話に乗ったんです。当時のぼくは、ドキュメンタリーをやっている人に対して怖いイメージを持っていたので、「騙されるんじゃないか」という不安もありました。だから、当初から松江さんには「話をしながら進めていく」「嫌なことはしない」と念を押して、慎重に進めることを確認していました。そういう経緯があったので、最初は安心して参加していました。

――完成した作品をどこで上映するかは、話し合ったのでしょうか?

最初は、『第1回ガンダーラ映画祭』に出すという話でした。『ガンダーラ映画祭』は、当時イメージリングス(自主映画上映団体)を主宰していたしまださん(しまだゆきやす氏/故人)が始めた上映イベントです。いまおかしんじ監督とか、山下敦弘監督も参加されていたと思います。ただ、“第1回”なので「『ガンダーラ映画祭』ってなんだろう?」という疑問はありましたけど。だから、「しまださんの上映会に出す」程度の認識です。

――ギャラや経費、制作費の話はしましたか?

完全な自主映画なので、そういう話は全くしなかったです。のちにネットニュースで知ったことですが、松江さんは色んなところで、「制作費はテープ代の1~2万円です」とおっしゃっているようです。その金額と同じかどうかはわからないですけど、カメラもぼくのものですし、テープもぼくが買ったものです。交通費も、自分周りのものはぼくが出しています。(性行為強要が行われたという)ホテル周りの経費はわからないですけど。そこはドッキリのような形で撮られていて、ぼくが準備したわけではないので、わかりません。

――具体的には、どういう映像を撮ったのでしょうか?

当時の自分の日常や、ルームシェアしていた仲間との生活を撮ったりしました。クリスマスに男ばかりで『明石家サンタ』を観ているところだったり、バッティングセンターに行くところを撮ったり。“童貞”を軸にして、自分が抱えていたルサンチマンみたいなものをわかりやすく撮っていこう、と思ったんです。作為的にお芝居をするわけではなくて、わかりやすいものを嘘のない範囲で撮ってくる。そういうことを続けていたら、ある日、松江さんが「AVの現場に取材に行こう」と言い出しました。

性行為強要までの“ゴリ押し”と圧力

▲『童貞。をプロデュース』予告編(ニュー・ヴァージョン)より

――制作に違和感を持ち始めたのは、AVの現場から?

AVの現場に行く前の段階から、嫌な予感はしていました。松江さんが「AVの現場に行く」と言い出したときにも、「行きたくないです」とずっと断っていました。すると、松江さんは「じゃあ、コイントスで決めよう」と言い出しました。これは映画の中にもあるくだりです。結局、コイントスもぼくが勝ったんですが……なぜか、松江さんのゴリ押しで行くことになりました。映画では、コイントスして、手を開いて、「あっ」って言うところで映像は切られていて、次の画ではもうAVの現場にぼくがいる、という流れに編集されています。本当はぼくが勝ったから行かなくていいはずだったんですが、本編では松江さんが勝ったことになっているんです。

――本編に映っていないところで、松江監督がゴリ押ししている、と。

そうです。松江さんは、本当にゴリ押しが酷いんです。普通に考えたら、何か話をするときって、こちらが意見を呑んだら、相手も譲歩してくれるだろうと思うじゃないですか。そうすることで、人の関係性って成り立つはずなので。だから、ある程度は松江さんのゴリ押しをのんでしまうわけです。今思えば、それをのんじゃいけなかったと思うんですが……そういうやり方で、ずっと進められました。

――AVの現場には、加賀さんの味方はいなかったのでしょうか?

最初は、松江さんが味方だと思っていました。知りあいが松江さんだけだから、というのもありますが。最初は、原宿のハマジム(松江監督の作品などもリリースしているAVメーカー)の事務所に連れて行かれて、カンパニー松尾(AV監督)さんや社長の濱田(一喜)さんに挨拶しました。その後、AV女優さんが生理なので、海綿を(膣に)入れることになったんです。ぼくは、そのための海綿をハサミで切る、という作業をやらされました。ぼくは、「女性器のことをわからない童貞が、『どのくらいがちょうどいいんだろう?』と考えながら海綿を切る」のが面白いんだろうな、と思っていました。そういう色を付けて撮るんだろうと。すると、次は公園に行ってジャケット用のスチール写真を撮ることになりました。現場では松江さんに「内トラ(※スタッフがエキストラ出演すること)みたいな感じで、入って」って言われたんです。それも嫌だったんですけど、すでに「そういうのはやるのが当たり前だろ」という空気だったので、結局、断れずにスチールに収まりました。

――その時点から、すでに圧力を感じていたわけですね。

次は“本番”を撮るために、ホテルに移動することになりました。ホテルに着いたら、カンパニーさんが「じゃあ、パンツを脱いで」と言い出したので、ぼくは「嫌ですよ」と断りました。すると、松江さんは「お前、何言ってんの?ここまで来て、何言い出してんの?」と言い始めました。それでもぼくは「絶対に嫌です」と断って、そこから結構な押し問答になりました。どのくらい経ったのか体感なのでわからないですけど、ぼくにとってはすごく長い時間でした。大勢に囲まれて、圧をかけられて、味方だと思っていた人が味方じゃなくなった。それでも、ずっと「嫌だ」と言い続けました。すると、松江さんは「じゃあ、わかった」と。「じゃあ、わかった」と言われたら、「これで終わるんだ」と思うじゃないですか。

――はい。

松江さんが「じゃあ、わかった。一回、ふたりで話そう」と言うので、ふたりで部屋を出て、非常階段のような場所で話すことになりました。ところが、そこでも松江さんが「お前、何で嫌なんだよ」と言うので、また押し問答になりました。松江さんが「あの子、可愛いじゃねえかよ」とか、そういうことを言うので、ぼくが「いや、そういう問題じゃないでしょ」と断る。そんなやりとりが続いて、松江さんはまた「じゃあ、わかった」と。「じゃあ、わかった。カメラを回して質問するから、お前は『AV女優は汚い』って言え。そしたら、殴る(ビンタする)から」と、段取りの説明を始めたんです。そこで、初めて“段取り”が出てくるわけですけど。

――松江さんが“断る理由”を提案したということですか?

ぼくも、松江さんが妥協案を考えてくれたんだと思いました。でも、そうじゃなかったんです。「じゃあ、わかった。俺が質問するから、お前が『AV女優は汚い』って言って、俺が殴る。それでいいだろ?」と言うので、ぼくは藁をもつかむ思いで応じました。ただ、松江さんの案も嫌だったんですけどね。ビンタされるのはいいんですけど、まず“ヤラセ”が嫌だし、「AV女優は汚い」と言うことも嫌でした。でも、これでオチをつけてくれるんだろうと思ったんです。今思えば、そこでとことんやり合えばよかったんですけど。でも、怖かったんです。ハマジムの社長さんもいて、カンパニー松尾さんもいる。そんな状況は怖いですよ。「この人たちとやりあうことになったら、後で何をされるかわからない」とか、色んなことが頭をよぎりました。

――やむなく、「AV女優は汚い」と言ってビンタされることを受け入れた?

そうです。ぼくは逃げ出したくてしょうがなかったんで、藁にもすがる思いでした。本当は言いたくなかったですし、言わなきゃよかったと後悔しているんですけど、従いました。ささやかに抵抗してはいるんですけど……「AV女優は汚い」じゃなくて、「AVっていう仕事は、ぼくにとっては奇麗なものとは思えない」と言葉を変えて。

『童貞。をプロデュース』予告編(ニュー・ヴァージョン)(YouTube)https://youtu.be/85llJTzxlcc

――予告編にも収められているシーンですね。

はい。そのシーンを撮り終えて、「これでオチがついたから、やっと終わる」と思っていました。ところが、部屋に戻ったらまた押し問答が始まりました。松江さんは、「お前待ちなんだよ」「やるまで終わらねえぞ」「松尾さんを待たせるなんて。お前、いい度胸してんな」と、脅しも入れるようになりました。「カンパニーさんって、そんなに怖い人なんだ」と想像を巡らせて、また怖くなりました。初めて会う方でしたし、「AV業界だし、怖い人たちがバックにいるかもしれない」と、さらに色々と想像して、どんどん怖くなりました。当時のAVは今ほど風通しもよくなかったと思いますし、ある種アンダーグラウンドの文化だったと思います。いずれにせよそういう空気がまだあったので、「怖い」という気持ちが強かったですし、できれば深くは関わりたくないと思っていました。だから“取材”の段階で「行きたくない」と言っていたんです。

――それでも撮影は続いた?

押し問答が続いて、そのうち松江さんが「じゃあ、わかった。俺らもパンツ脱ぐから」と、下着を脱ぎ始めました。カンパニーさんや周りの人たちも脱ぎ始めました。松江さんは寒くてタイツを穿いていたんですが、「これでいいだろ? 俺、今モモヒキ穿いてるんだぞ。こっちのほうが恥ずかしいだろ」と、わけのわからないことを言っていたのを覚えています。

――松江さんだけではなく、現場の人たちからも圧力を感じた?

そうです。そういう流れで、全員が男性器を出して、松江さんが「これでいいだろ。俺も脱いだんだから、お前も脱げ」とプレッシャーをかけてきました。それでも「嫌だ」とずっと言っていたんですが、結局は逃げられなくなって、とりあえず脱ぎました。そうしたら、松江さんは「じゃあ、わかった。フリだけでいいから。フリだけやろう。画だけ撮らせてくれ。本当にはやらなくていいから」と。ぼくはやられたくない一心だったので、「助かった。フリだけで終わる」と思っちゃった。いつまで経っても終わらないし、やるしかなかない、と思ったんです。そうしたら、女優さんが本当に(口淫を)やりはじめました。ぼくは引き離して、「もう、やめましょう」と訴えましたが、結局は羽交い絞めにされて、やられました。

――予告編では、該当シーンの一部が“面白い一幕”のように編集されて使われています。

ぼく自身も「面白いほう」に転がそうとしていたと思います。傷ついていることを見せるのが、恥ずかしいことだと思っていたので。自分自身で面白く見せようとすることで、自尊心を保とうとしたというか、かわそうとした部分があると思います。この件で、高校時代にいじめられて、いわゆる“パシリ”をさせられていた同級生を思い出しました。その人は、いじめっ子に「パン買ってこいよ」と言われて、「ったく、しょうがねえな」と軽口を叩きながら買いにいっていたんです。同じように、ぼくはあの時、本当は泣きたかったのに、“ふざけているように見せたかった”んだと思います。

――“やられた”後は、どうなったんですか?

脱がされていたパンツをはいたときに、ぼくの股間が勃起していたんですが、それを見た松江さんが「お前、勃起してんじゃねえかよ(笑)」と言ったのを覚えています。松江さんにとって、そこで男性器が勃起していることは面白いことなんだ、と……それも、すごく嫌でした。それから、「ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」と言ったら、カンパニーさんは「迷惑はかけるもんなんだよ」と、“名言”のようなことをおっしゃいました。

『童貞。をプロデュース』予告編(ニュー・ヴァージョン)より
▲『童貞。をプロデュース』予告編(ニュー・ヴァージョン)より

――その流れを聞くと、名言には思えませんね。

なぜ、「ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」と言ったかというと、自分に非があるのかもしれない、と“思わされていた”からなんです。「お前、どんだけ待たせるんだよ」「全員がお前待ちなんだよ」という言葉を浴びせられて、「お前が悪いんだ」というプレッシャーをずっと感じて、同調圧力の中で「自分に非があるんだ」と。圧力から逃れるために出た言葉なんです。後になって冷静に考えて、そんなことを言う必要が全くなかったことに気づいたんですが。

――撮影が終わった後に、抗議はされたのでしょうか?

当初から、編集のあがりを確認するという話はしていました。だから、(性行為強要のシーンについても)「こういう使い方をされるのは、やっぱり嫌だ」と言ったんです。そうすると、松江さんはお金の話を始めました。「俺はノーギャラでやってんだぞ。金のためにやってんじゃないんだから」と。「いや、それを言い出したら、ぼくだって一銭も貰ってないだろ」と内心は思いましたが、口には出しませんでした。松江さんはさらに「しまださんからいくらかもらうわけでもないんだよ」「ガンダーラで上映するだけだから」「お前が撮ってきた何十時間もあるテープを、おれは全部観たんだぞ!それも、ノーギャラでやってんだぞ!」と、またゴリ押しし始めました。ただ、ぼくが撮影したテープも結構な量だったし、それを編集するのも大変だろうとは思いました。確かに労力がかかっているし、最初に『第1回ガンダーラ映画祭』で上映するとは約束はしていたので、ぼくは「じゃあ、ガンダーラ映画祭だけですよ」と。

――譲歩した?

はい。松江さんには、「もし『ガンダーラ映画祭』以外でやる話になったら、必ずお前に相談する。その時はお前の意見を尊重する。だから、ここは泣いてくれ」と言われました。ぼくは「約束ですよ。今言った話は絶対忘れないですよ。口約束も契約のうちなので、それを破ったら民事でやりますし、ぼくが勝ちますから」と言いました。それは、松江さんもご自分のブログ(現在非公開)に書いていました。

――他に抗議したシーンはありますか?

あと、「追加で、好きな子に告白するシーンを撮らせて欲しい」と言われました。でも、そんなの嫌じゃないですか。無理やり口淫されるシーンを撮って、それを笑いにするような映画に、好きな人を巻き込みたくないですよ。だから、「絶対嫌です」と言ったんですが、また松江さんは「じゃあ、わかった。代わりの女の子を用意したから、その子で撮ろう」と言い始めました。つまり、「①好きな子を巻き込む ②用意した代役で撮る」という2択でゴリ押ししてきたんです。

――またですか。

ここでもぼくが譲歩して、(代役で)撮りました。ところが、松江さんは後になって「いや、やっぱり本物がいい」と言い始めました。ぼくは、「絶対に嫌です」と言ったんですが、松江さんは、「もう、本人に連絡したから。〇〇で待ってるから」「俺から全部(加賀氏が女性のことを好きだという気持ちを)伝えてやるよ」と強引に話を進めました。そうなったら、もう行くしかないじゃないですか。最終的には告白するフリを撮ることになって、松江さんも彼女に「これはお芝居なんです」と説明していましたけど……それでも、そんなところで“告白”を利用されるのは嫌なわけですよ。例えヤラセであっても、ぼくが彼女のことを好きだったのは本当ですし、「こんなタイミングで言うことじゃない」と思っていました。

――『第1回ガンダーラ映画祭』での上映にOKを出したのは、関係者に迷惑をかけたくなかったから?

というよりは、形を変えてでも出せばいい、と思っていたからです。要するに、あの(性行為強要)シーンを使わないで、別の形にして『ガンダーラ映画祭』に出してほしいというのが、ぼくの一番の希望だったんです。「作品をなかったことにしろ」とまでは思いませんでした。ぼく自身あのシーンには傷つけられましたが、それでも同意したのは、「ここで松江さんの条件をのめば、その後はぼくの意見を尊重してくれる」と信じたからです。だから、その時点では、『ガンダーラ映画祭』が終わったら、なかったことにしてもらおうという腹づもりでした。

『童貞。をプロデュース』上映の裏側

加賀氏が撮影した松江監督とのやりとり
▲『童貞。をプロデュース』松江哲明氏の欺瞞(YouTube)より

――『第1回ガンダーラ映画祭』が終わった後のことを聞かせてください。

『第1回ガンダーラ映画祭』が終わった後、ある日、松江さんから、「(『童貞。をプロデュース』の)上映が決まったから」という電話がありました。当然、ぼくは「嫌です」と言ったんですが、「決まったから。よろしく」の一言で終わりました。つまり、事後報告です。そこから、直井さん(直井卓俊氏)や、当時のシネマ・ロサ支配人の勝村(俊之)さんを紹介されました。いつの間にか上映が決まっていて、「なんじゃそら」って話です。ただ、当時のぼくには劇場に電話をかけて、「ぼくに確認なしで進められている話なんで、上映しないでください」と抗議する発想はありませんでした。そうこうしているうちにどんどん人を紹介されて、人づてに「直井さんは宣伝にすごいお金をかけていて、自腹を切っている」といった話も聞きました。

――誰が言ったかは覚えていない?

誰に聞かされたかは定かではないです。勝村さんも悪い人とは思えなかったですし、みんな、「面白かったよ!」「一緒に頑張って盛り上げようね!」と言ってくれますし……「みんな、悪気もなく協力してくれているんだろうな」と思うと、何も言えなくなっていきました。だんだんと、外堀を埋められるような感覚です。上映が始まってからは、「実は、ぼくは嫌なんです」という話を、直井さんや勝村さんにはしました。今だったら、上映される前に拒否したと思いますが、当時のぼくは弱かったんだと思います。ただ、そこで距離を置くことも出来なかった。自分の知らないところで上映されるのは気持ちが悪いし、観に来た人の中で、誰かがわかってくれるかもしれない。そういう期待のようなものが、ぼくの中にはまだありました。

――『ガンダーラ映画祭』とは違うと思った?

はい。『ガンダーラ映画祭』は松江さんの知り合いばかりだし、露悪的なものも「過激で面白いね」と言う人が多いだろうと思っていました。でも、一般公開したら変わるんじゃないかと。そこでぼくも自分のことを言いたいと思ったので、イベントにも出演しました。だから、消極的ではありますが、1年目の上映に協力していたのは事実です。お客さんと顔をつき合わせたいと思ったんです。「面白かったよ」と言って下さるお客さんに「この作品はクソなんで観ないで下さい」とは言えないですが、わかってくれる人にはちゃんと話をしたかった。

――シネマ・ロサでの上映が始まる前に、興行収入の分配や、上映の権利の話などは出なかったんでしょうか?

そういう話は全くなかったです。ぼくが入った時には上映が決まっていたので、完全に外野扱いです。

――最初のロサでの上映期間中は、トラブルはなかったのでしょうか?

1年目のロサでの上映が始まってしばらくした後、劇場の楽屋で「DVD化のオファーが来ているらしい」という話を関係者から聞きました。DVDになるとずっと残ってしまうので、ぼくは「それだけは絶対にさせちゃいけない、引き下がれない」と思いました。だから、ロサの劇場前で話し合いをしたんです。松江さんと、直井さん、梅ちゃんもいたと思います。そこで、「DVD化の話が進んでると聞いたんですけど、どうなってるんですか?」と聞いたら、松江さんは「いや、話そうと思ったんだよ」と。最初は落ち着いて話をしていんたんですが、松江さんはだんだんと高圧的になって、「お前がどう言おうと関係ない」というような会話になりました。そこで松江さんが、「こいつ、殴っていいですか?」と言っていたのを覚えています。ぼくは「DVD化するようなら、本気で訴えますから」という話もしたんですが、最終的には「ふざけんなよ」「話が違うじゃねえか」と口論になりました。その時の話し合いがどう終わったのかは覚えていませんが、オチがつかないままだったと思います。

――その後は?

その後、『童貞。をプロデュース』の上映期間中にも、松江さん直井さんとはDVD化の件で話し合いを続けていたんですが、松江さんには「もうお前とは話したくない」と言われて、途中からメールをしても返信が来ない状況になりました。電話も着信拒否されるようになって、直井さんが窓口になりました。

――直井さんとは、どんな話をされたのでしょうか?

訴訟の話もしたので、ぼくを説得したかったんでしょう。ある日、直井さんから連絡があって、中野のタコス屋で話をすることになりました。ぼくと梅ちゃんと直井さんの3人で話をしたのを覚えています。直井さんには、「(DVD化は)嫌です。ここは譲れないです。それでも進めるなら、訴えるというのは変わらないです」と伝えました。そうしたら、直井さんは「何でお前にそんなことを言う権利があるんだ」というようなことを言い始めたんです。ぼくは、直井さんはまだ事情を話せばわかってくれるだろうと思っていたので、「この映画を作る前に、松江さんと『必ず相談する』と約束してます。ぼくの許可を得てやるということだったので、ここは引き下がれないです。DVDは残るものですし」と説明しました。すると、直井さんはバンッと机と叩いて、「そんなの知らねえよ!それは松江さんと君との話だろ。俺は知らねえ!」と、店に響き渡るくらいの大声で怒鳴りました。後にも先にも、直井さんがそんなにキレるところを見たのは、その時だけです。内心では、「この人は何を言ってるんだ?」と呆れていました。

――その話し合いは、決着したのでしょうか?

いいえ。その頃には、ぼくは弁護士さんにも何度か相談していました。弁護士さんには「性的暴行の線では難しいかもしれない」と言われました。当時は、男性が性暴力の被害者として認められにくかったからです。ただ、「著作権について争えば、楽勝」と、具体的な裁判の進め方も教えてもらいました。その話は、直井さんには伝えていません。

――なるほど。タコス屋での話し合いの後は?

その後、直井さんから「出演料を10万円払います」という内容のメールが送られてきました。ぼくは「これを受け取ったら、なし崩し的にDVD化を進められてしまう」と思ったので、「(興行収入から)どんな内訳で10万円に決まったんですか?」とか、著作権についても確認する文面をメールで返したんですが、結局返事はありませんでした。そこからしばらく時間が経って、『ゆうばり国際映画祭2008』に参加したときに、現地で直井さんに会うことがありました。「この前の“内訳”の話はどうなりましたか?」と聞いたんですが、直井さんは、「東京帰ったら連絡するよ。必ず連絡するから」と言って、逃げるように去っていきました。案の定ですが、東京に帰っても連絡はありませんでした。そこから、直井さんも音信不通になって、松江さん側とは完全にチャンネルがなくなりました。

『童貞。をプロデュース』1周年記念上映直前の松江監督と加賀氏のやりとり(YouTube)https://youtu.be/yrh-E6KQbPM

――そこからは?

2年目の上映が始まる直前に、たまたま、阿佐ヶ谷ロフトで『童貞。をプロデュース』の上映チラシを見つけたので、松江さんに連絡を取ろうと思いました。ただ、ぼくの電話は着信拒否されているし、非通知の電話もとってもらえない。だから、友達の電話を借りて連絡しました。電話には出たんですが、松江さんは「悪いけど俺は加賀と話をしたくないから」「俺とお前とで話をしても埒あかないからやめよう」と取り合ってくれませんでした。それでも食い下がって、ぼくが「『童貞。をプロデュース』の上映をやめて下さい」と言っても、「嫌です。そんな権利ありませんから」「だってお前、相談しても話を聞かないだろ?」「うるさいよ。(『童貞。をプロデュース』は)大きく言うとひとりで作ったよ、俺が作ったんだよ」と。結局、ここでも物別れに終わりました。このやりとりは撮影して、YouTubeにアップしています。

――2年目(2008年8月23日の『童貞。をプロデュース』公開1周年記念上映以降)からも、松江さんと直井さんは毎年『童貞。をプロデュース』を色んなところで上映していたんですよね。その間、加賀さんはどうしていたんですか?

2年目は、梅ちゃん経由で上映があることは知らされていました。シネマ・ロサでの上映のときには、池袋の駅前で「穴奴隷」の弾き語りをやりました。『童貞。をプロデュース』を観終わった人が、「加賀が登壇していないのは、なぜなんだろう?」と、足を止めてくれるだろうと思ったんです。実際、何人かは立ち止って話を聞いてくれました。そういう人たち一人ひとりに、あの映画に問題があることを説明する。まわりくどいですが、そういうことをやりました。

――3年目以降は?

3年目には、もう何も連絡がなかったと思います。上映していることも知らない状態。どこかでやっていたのを後から知る、という感じです。こちらも、ずっと情報を追いかけているわけではないので……。

――諦めてしまったということですか?

諦めてしまったのかもしれません。どうにもできないというか……裁判に持ち込めばいいんでしょうけど、それで手に入るものはお金だけだと思うし、本当の名誉回復にはならない。民事で解決しても、問題点をわかってもらえないと意味がないと思いました。

なぜ、10周年記念上映に登壇したのか?

▲『童貞。をプロデュース』10周年記念上映舞台挨拶後、登壇者と別の方向から帰る加賀氏

――10周年記念上映(2017年8月25日)の舞台挨拶まで、松江さんや直井さんとは何もなかった?

SEALDsが国会前でデモをやった日(2015年8月30日)、そこに参加しようと思ったわけではないんですが、何が起きているのか自分の目で確かめようと思いました。彼らに共感することころは特になかったのですが、当時はあまり報道されていなかったことなので。国会前に撮影しに行ったら、そこにたまたま松江さんがいました。梅ちゃんから、松江さんが結婚したということは聞いていたので、ぼくは「結婚おめでとうございます」と言いました。松江さんが「子どもが生まれるんだ」と言うので、「そうですか。おめでとうございます」とも言ったと思います。その場は、それっきりだったんですけど。

――言い争いにはならなかったんですね。

相手を嫌っていても、それくらいは言うじゃないですか。松江さんを許したわけではないですけど、それくらいのことはちゃんとしたい。どんなに因縁がある敵でも、それくらいの気持ちは持っていたいというか。アンビバレンツな感情なんですけど。例えば、鈴木貫太郎(第42代内閣総理大臣)も、当時のルーズベルト米大統領の死に際して弔辞を述べたわけで。

――なるほど。

松江さんは、そのやりとりを「ほとぼりが冷めた」と解釈したのかもしれません。2017年の7月ごろ、梅ちゃんから「松江さんが『加賀くんに登壇して欲しい』って言ってる」と連絡がありました。ぼくは「じゃあ、登壇します」と。その後、松江さんから電話もかかって来ていたんですけど、話すことはないと思っていたので無視していました。その間、梅ちゃんには、鬼のように電話がかかってきていたらしいです。松江さんからのショートメールを見せてもらうと、「『山田孝之でも、もっとちゃんと連絡がとれるぞ。お前は山田孝之より忙しいのか?』って加賀に言っとけ」みたいなことが書いてありました。

――何事もなかったかのような感じですね。

ぼくが登壇することはロサのホームページに出ていましたし、連絡を取りたかったみたいです。10周年記念上映の日は怖かったので、梅ちゃんと合流してから劇場入りしました。その時には、梅ちゃんに「今日は喧嘩しに来た。迷惑かけるかも知れないけど、ごめんね」と伝えました。梅ちゃんは「めんどくさいから、やめてよ~」って言ってましたが。だから、当日何かをするということは、彼は知っていました。

――加賀さんが“やる”と決めたのは、いつのことですか?

やると決めたのは、(梅澤氏から)連絡を受けて、登壇することが決まった時です。その時には、事件化しないと問題提起にならないだろうと思っていました。言葉だけで伝えようとしても、どうにもならないだろう、と。ある意味、炎上させないといけないとは思っていました。

――暴力的ですし、支持されない可能性もある方法ですよね。その覚悟はあった?

覚悟というほどのものではないですけど、『童貞。をプロデュース』はそれだけ暴力的な作品だと思っているので。殴る蹴るの暴力ではないですが、強要は行われているし、それをコミックリリーフとして消費することも暴力的なことだと思います。もちろん、ぼくが舞台挨拶でやったことは、やっちゃいけないことだということは、よくわかっています。ただ、“それ”がどういうことなのかを、観た人に目に見える形で伝えたかった。今思えばバカバカしい話ですが、「伝えなきゃいけない」という使命感のようなものはありました。

――単なる復讐ではなかった?

松江さんに対する即物的な怒りは、あまりなかったです。復讐劇はあくまで“横軸”であって、ぼくが伝えたい“縦軸”は、ああいう作品を消費するリテラシーというか、感覚です。もちろん、当時ぼくが傷ついたということも、伝えたい、伝えなきゃいけないことでしたが。

――「暴力的な作品を楽しむこと」自体について考えて欲しい、ということですか。

そうです。ぼくは、それを考えることで『童貞。をプロデュース』が本当の意味でのエンターテインメントになると思ったんです。奥行きのある、テーマ性のあるものになるんじゃないかと。ただ暴力的で、弱いものが七転八倒するのを笑う、そういうポルノ的で即物的な快楽ではなくて、テーマを持った作品になるんじゃないかな、と。

――加賀さんが「AVへの出演強要」と比較して話を始めたときに、客席から少なくない笑い声が聞こえたのが、とてもショックでした。あのとき、加賀さんの主張は観客にとって「笑っていいもの」だった。

それは、12年前もそうでした。ぼくは真面目なことを言っているつもりなんですが、舞台上では笑いとして消費されてしまう。その状況を変えたいと思って、やったことです。例えば、戦争プロパガンダとして作られた映画は、戦時中はそのままプロパガンダとして存在していました。でも、今は学校などで平和教育の教材として使われているわけじゃないですか。戦後に「戦争はよくないもの」という認識が共有されて、ぼくらの意識が変わったから、作品そのものの意味も変化したんだと思います。だから、『童貞。をプロデュース』も、同じように変えることが出来るんじゃないか、と。

――なるほど。

ぼくは、『童貞。をプロデュース』を上映中止にしてほしいと思ってはいませんでした。むしろ、あの舞台挨拶でエクスキューズをつけたことで、その後の1週間でお客さんが作品をどう観るのか?そういう部分に期待していました。ただ笑いとして消費されていたものが、痛みを知って観てもらうことで、意味が変わるんじゃないか、と。ほとんどの人には伝わらなかったかもしれませんが、あの事件の後、ぼく自身は、これまで見えていなかった枝葉が出来たと思っています。何をどこに言ってもひっかからない状態だったのが、ものを考えるきっかけになった。自分を知るきっかけになったんです。それまでは、自分が正しかったのか、間違っているのかも独りで考えるしかなかった。自分からの景色しか見えなかったんです。

――舞台挨拶後のことも聞かせてください。

舞台挨拶後に壇上から降りたら、当時(2007年前後)のロサの支配人だった勝村さんが追いかけてきて、「加賀くん。10年間ためてきた思いを全部言えたね。おめでとう!」と、声を掛けられました。

――他人事みたいですね。

ぼくは「ちょっとずれてるけど、熱い人なんだな」と、素直に受け取りました。その後、ロサの責任者らしき方も来て、「ちょっと、楽屋で話をしましょう」と言われました。松江さんの手口は知っているので、壇上と同じように「いままでそうやって話して、ダメだったじゃないですか。裏では絶対に話しません」とお断りしましたが。それから、楽屋にカバンを置いてきてしまっていたので、梅ちゃんに取りに行ってもらいました。劇場を出たところで待っていたんですが、そこにたむろしていたお客さん何人かに話しかけられました。反応は概ね好意的だったと思います。そこで、舞台挨拶の一部始終を動画に撮っていた佐藤さんという方にお会いしました。「今日撮った動画を(YouTubeに)アップロードしていいですか?」と聞かれたので、「ぼくはいいですよ。その代わり、自己責任でお願いします」と伝えました。

――その後は?

劇場前にいた人たちの中にドキュメンタリーを勉強している学生や友人もいたので、彼らとコンビニでビールを買って、一緒に池袋西口公園で呑みながら話をしました。みんなは「とんでもないことになった」みたいな話をしていんたんですが、スマホを見ていたひとりが「(『童貞。をプロデュース』が)上映中止になったらしいよ」と言い出して、するとなぜか自然に「おめでとう!」みたいな拍手が沸き起こりました。ぼくは上映中止になって欲しかったわけではないんですけどね。それから何人かと公園の噴水に飛び込んで泳いだりして、といって高揚感といえるほど爽やかなものでもなく、色々と疲れて「破れかぶれ」に近い心情だったと思います。対照的に周りは結構盛り上がっていました。もう終電は過ぎていたので、みんなでタクシーに分乗して新宿の知り合いのバーに行って……その頃にはもうSNSが静かにですがざわつきはじめていました。早くもアップロードされていたYouTubeの動画を誰かが見つけて、店のテレビにキャストしてみんなで見たのを覚えています。恥ずかしかったです。同時に胸のつかえがようやく取れたような、そんな安心感もありました。その日は、そんな感じで帰りました。

加賀氏が見た、松江監督と直井氏の“嘘”

▲SPOTTED PRODUCTIONS 公式サイトより引用

――舞台挨拶事件の後、松江監督と直井さんは、連名で性行為強要を否定する声明を発表しました。松江・直井両氏の主張について確認させてください。「加賀氏は、本作品の趣旨について松江監督から説明を受けた上で、出演に同意しました。さらに本作における映像の多くは加賀氏自身による撮影素材によって構成されています。加賀氏が強要を受けたと主張するシーンについても、加賀氏は一貫して撮影に協力的でした。松江監督は何ら強要行為などしていません。このことについては、撮影現場にいた複数の人物の証言もあります」という部分は?

「趣旨について説明を受けた上で、出演に同意しました」だと、“性行為強要”のシーンも説明していたことになりますよね。それは嘘です。もし、仮にそういう意図がないとしたら、もっとちゃんと明記しないといけない。これは卑怯だと思います。あと、「撮影現場にいた複数の人物の証言もあります」という部分の“複数の人物”って、加害者の人たちですよね。加害者本人の言葉を“証言”と表現するって、メチャクチャですよ。

――“協力的だった”理由として「同作が上映された2006年1月の第1回ガンダーラ映画祭に参加し、2007年3月の第2回ガンダーラ映画祭に向けて作られた本作品の続編に主演した梅澤氏を松江監督に紹介した上、加賀氏自身も出演、音楽担当としても山口美甘子という別名で参加しています。また加賀氏が作詞作曲した「穴奴隷」をミュージシャンが歌うシーンでも現場に立ち会っています。そして『童貞。をプロデュース』以外の松江監督の作品にもスタッフ、または出演者として参加していた事実があります」とも主張しています。

「音楽担当としても山口美甘子という別名で参加しています」というのは、ギターを弾いてくれと言われたので、公園で演奏しただけです。「山口美甘子」というクレジットは、松江さんがぼくの許可をとらずに、勝手に名前を変えてクレジットしたものです。一番やってはいけないことだと思います。

――続編(梅澤氏が主演した第二部「ビューティフル・ドリーマー」)への出演はどんな経緯で決まったんでしょう?

2の時は、「関わりたくない」と言っていたんですけど……ある日、松江さんが知らない女性を連れてぼくの家に来たんです。「いやです」と言っても、松江さんは聞かず、「じゃあ、インタビューするから」と強引に進めました。松江さんはぼくの隣にその女性を座らせて、カメラを回しはじめ、「隣の女の人はだれなんですか?」と聞かれたので、ぼくは「知らない人です」と答えました。

――そりゃそうですよね。

それから、「前の彼女はどうしたの?」と聞かれました。当時、彼女(『童貞。をプロデュ―ス』で加賀氏が思いを寄せていた女性)とはまだ付きあっていたんですが、これ以上関わらせたくなかったので、そこでは「別れました」と言いました。その後に、「隣の人は誰なんですか?」「知らない人です」というやりとりがあって、本編の映像は切られています。これで本編を観た人は、「加賀は彼女と別れて、別の女性と付き合っている。それを『知らない人』と言う遊び人になった」と思うわけじゃないですか。そういうやり方で、作られたシーンです。

――「梅澤氏を松江監督に紹介した」というのは?

これは、松江さんが撮った『ほんとにあった!呪いのビデオ―儀式の村―』のロケハンで梅ちゃんの家に行ったときのことでしょう。梅ちゃんは当時実家に住んでいて、そこが山奥だったんです。松江さんがそういう画を撮りたいというので、一緒に彼の家に行きました。ただ、梅ちゃんは別に用事があったので、家にはいなかったんですけど。梅ちゃんの部屋には色んなものがあって、松江さんは彼が書いた脚本とかを見つけて、面白いと思ったみたいです。「梅澤くんで『童貞。をプロデュース2』を撮ろう」みたいなことを言い出しました。

――積極的に梅澤さんを紹介したわけじゃなく、流れで松江さんが興味をもったということですか。

そうです。上手く説明できないんですけど、「梅ちゃんには酷いことはしないだろう」と思っていました。なぜそう思ったかは上手く説明できないんですけど。あとは、梅ちゃん自身が嫌じゃなければ、出演は本人の意思で決めればいいと思っていました。

――「『童貞。をプロデュース』以外の松江監督の作品にもスタッフ、または出演者として参加していた事実があります」というのは、1年目の上映時と同じく“消極的な協力”ですか?

そうですね。これは、ロケハンで梅ちゃんの家に行った『ほんとにあった!呪いのビデオ―儀式の村―』のことだと思います。たぶん、『童貞。をプロデュース』と同じような体制の作品だったら、関わりませんでした。ほかにも、知り合いが何人も参加していたので。はっきりと「嫌です」と言えない、ある意味で松江さんのいいなりだった時期のことです。これも、ノーギャラでやっています。

――「シネマ・ロサで公開すると決まってからも、2007年8月の公開直前イベント(Naked Loft/『童貞。をプロデュース』をプロデュース)や、東京(8月/シネマ・ロサ)、大阪(10月/PLANET+1/公開記念オールナイト『童貞・ばんざい!』に於いて加賀氏の監督作品『ムゲントイスペス』も上映)、新潟(11月/シネ・ウインド)などでの舞台挨拶等に1年10ヶ月にも渡って登壇し、劇場公開向けに撮影された予告編にも登場しています」も同じく、“消極的協力”の時期ですか。ロサの後の、1年目のイベント上映ですよね。

そうです。この期間中も裏ではずっと話し合いはしていましたし、大阪や新潟での登壇は、ロサでの口論の後で話し合いがこじれて、連絡が途絶えていたタイミングなので、松江さんとは現地でしか話が出来ない状態でした。だから、大阪には別々に現地入りしています。確か、ぼくと梅ちゃんと直井さんで行ったと思います。

――イベントでは、お客さんに説明はされたのでしょうか?「一部に演出がある」とか。

覚えている限りだと、大阪のイベントでは説明したと思います。「あれはヤラセだ」「言わされている」とか。松江さんは、「お前、よくそんなこと言えるね」と言って、ごまかしていたと思います。ぼくは、「この人はこんな風に平気で嘘をつける人なんだ」と思っていました。その頃、松江さんには「お前も何か言いたいことあるんだったら、舞台上で言えばいいじゃん」と言われていたので、そこがお客さんに対して何か伝えられる唯一のチャンネルだったんです。

――「本作品は、先にも挙げた通り、加賀氏自身の手によって数十時間にもわたり記録された映像素材を、松江監督が構成・編集するという共同作業によって作成されたものです。このような共同作業には加賀氏も能動的に関わっており、本作品の中には、松江監督と加賀氏が共にアイデアを出し合って撮影されたシーンもあります。本作品の撮影現場は、暴力的な演技指導や、実際の暴力が行使される現場では決してありませんでした」という主張には、納得できますか?

全体的に、卑怯な文章だと思います。「共同作業には加賀氏も能動的に関わっており、本作品の中には、松江監督と加賀氏が共にアイデアを出し合って撮影されたシーンもあります」というのは、それはそうでしょう。ただ、「本作品の撮影現場は、暴力的な演技指導や、実際の暴力が行使される現場では決してありませんでした」というのは、嘘です。演技指導はしていないので、「暴力的な演技指導」ではないでしょう。でも、羽交い絞めにして性行為を強要するという“暴力”自体はありました。

――なるほど。演出や編集のあった部分と、なかった部分を混同させる意図があるとすれば、問題ですね。10周年記念上映が中止になった後、松江さん側からコンタクトはありましたか?

後日、T監督経由で、松江さん側から連絡がありました。T監督はぼくがお世話になっている方で、松江さんとも仲がよかったので、連絡係にされたんでしょう。T監督とお会いして、お店に入って「松江さん側には“謝る意向”がある」というようなことを聞きました。ぼくは、「じゃあ、ロフトプラスワンかどこかを抑えて、イベントをやりましょう。公開の場で謝ってください」とお伝えしましたが、その後、松江さん側からは返事はありませんでした。

――なぜ公の場での話し合いを提案されたのでしょう?

松江さんが自分の過ちを認めるなら、公の場でないと意味がないんです。ぼくは、ずっと公の場で名誉を毀損されてきたわけですから、公の場で言ってくださいよ、と。ぼくは、松江さんと気持ちのやりとりをしたいわけじゃない。松江さんに「ごめんなさい」と言われて、ぼくが「松江さんの気持ちはわかりました」と言って終わる話ではないんです。松江さんも「謝りたい」ということは、自分が悪いということは理解しているんだと思います。「あの時は同意があったと思っていた」とか、「嫌がっているとは思わなかった」とか、自分の立場や意見・解釈があるなら言えばいい。それを公の場でやりたくないのは、コンプライアスの問題とか、色々あるんでしょう。でも、それは保身でしかないですよね。わかっているのに嘘を吐いてる。それはちょっと、都合がよすぎる話だと思います。

――なるほど。

ぼくは、この12年間は自分すら疑い続けていました。松江さんは「お前、頭おかしいんじゃねえか?」とか、「お前が悪い」とか、そういうことを平気で言う人です。周りの人にもこの件は相談していたんですが、「もっと大人になりなよ」みたいなことを言われました。ぼくは自分の素直な気持ちを話しているのに、「わかるけど、男がやられても大したことはないでしょう」という感じの言葉が返ってくる。理解されないから、ぼく自身も「間違ってるんじゃないか?」と思うようになって。松江さんを疑うのはもちろん、自分も信じられなくなりました。「空気を読む」という意味では自分が間違っているという結論に達してしまうし、手触りで言うと、「もしかして、自分が違うのかもしれない」。でも、理屈では、どう考えても自分は間違っていないはずなんです。

――第三者の反応が知りたかったということですか。

そうです。2年前の舞台挨拶では、それも知りたかったんです。もし、「加賀、お前はおかしい」とお客さん全員が言うのなら、それは受け入れようと思っていました。ある程度わかってくれる人もいたので、状況は違いましたが。

――ただ、松江監督と直井氏の「性行為強要を否定する声明」はネットニュースになりましたが、その後に加賀さんが公開したブログなど、『童貞。をプロデュース』の詳細についてはメディアはほとんど取り上げられていません。松江監督に近しい映画監督や俳優、評論家やライター、配給・宣伝会社も、ほとんどこの話題には触れていません。言わば、映画業界から“黙殺”され続けているこの状況ですが……。

あの舞台挨拶までの10年が、すでにその状態だったんですよ。誰も味方がいないし、腹を割って相談しても肩透かしを食らってしまう。そんな状態がずっと続いていたんですが、今は少なくとも理解したり、共感してくれる人がいます。だから、2年前よりは上向いている気がしています。言ってしまえば、ぼくは配られたカードを全部知っている状態なんです。松江さんも直井さんもこんな嘘を吐くんだな、とか。こんな方法がまかり通ってしまうんだ、とか。誰がどういう振る舞いをするのかを、観察している。そして、彼らがなぜそんな行動をとるのかも、なんとなくわかります。世の中、悪い人は松江さんだけじゃない。限りなく黒に近いグレーも白とされてしまうし、とんでもない嘘がまかり通ってしまう。そういうことを、『童貞。をプロデュース』で改めて知りました。

■『童貞。をプロデュース』上映時系列
○2005年『童貞。をプロデュースvo.1(俺は、君のためにこそ、死にに行く)』撮影
・2006年1月26日『第1回ガンダーラ映画祭』下北沢LA CAMERA『童貞。をプロデュースvol.1(俺は、君のためにこそ、死にに行く)』上映
○2006年『ほんとにあった!呪いのビデオ―儀式の村―』撮影※松江監督、加賀氏が参加
○2006年~2007年『童貞。をプロデュースvol.2(ビューティフル・ドリーマー)』撮影
・2007年3月15日(木)~3月25日(日)『第2回ガンダーラ映画祭』下北沢LA CAMERA『童貞。をプロデュースvol.2(ビューティフル・ドリーマー)』上映
・2007年7月21日 新宿ロフトプラスワン『童貞。をプロデュース』公開前イベント ※松江監督、加賀氏、梅澤氏、北村ヂン氏、長澤つぐみ登壇

『童貞。をプロデュース』1年目の上映
・2007年8月25日(土)池袋シネマ・ロサ レイトショー上映(3週間)
・2007年9月22日(土)~大阪プラネット+1 上映
・2007年10月6日~19日渋谷ユーロスペース 上映 ※16日松江監督×森達也監督登壇
・2007年10月20日(土)大阪プラネット+1 追加レイトショー(2週間)※オールナイト上映(10月27日)に松江監督、加賀氏、梅澤氏登壇
○2007年10月31日加賀氏、告発ブログを公開
・2007年11月23日(金) 新潟シネウインド 上映 ※松江監督、加賀氏、梅澤氏初日登壇
・2007年11月24日(土)~11月26日(月) 名古屋シネマスコーレ 上映 ※11月24日松江監督登壇
・2007年11月24日(土)~12月7日(金)広島・横川シネマ 上映 ※11月25日松江監督登壇
・2007年11月 ~2008年5月ごろまで各地で上映

『童貞。をプロデュース』2年目の上映
○2008年7月2日 加賀氏、電話で松江監督に無許可上映中止を求める
・2008年8月23日 公開1周年記念上映 池袋シネマ・ロサ※松江監督、梅澤氏、前野健太(ミュージシャン)登壇
・10月29日(水)、30日(木)、11月2日(日)KAWASAKI しんゆり映画祭 ※11月2日松江監督登壇
・11月24日(月・祝)多摩シネマフォーラムなど各地で上映

『童貞。をプロデュース』3年目以降の上映
・2009年9月5日 公開3周年記念上映 ※松江監督、岡宗秀吾氏、藤原章氏、梅澤氏登壇
・2010年9月4日(土)~10日(金)公開3周年記念上映
・2011年9月3日(土)~9日(金)公開4周年記念上映
・2012年9月8日~14日 公開5周年上映
・2013年8月24日~30日 公開6周年上映
・2014年9月6日~12日 公開7周年上映
・2015年9月5日~10日 公開8周年上映
・2016年8月20日 公開9周年上映
○2017年8月25日 公開10周年上映※松江監督、加賀氏、梅澤氏登壇/上映中止

取材後記

私、ライター・藤本洋輔が『童貞。をプロデュース』の性行為強要問題に関心を持ったのは、同作の10周年記念上映イベント(2017年8月25日開催)の様子をYouTubeで見たのがきっかけだ。舞台上で下半身をさらし、自身がされたという“性行為の強要”の再現を松江監督に迫る加賀氏の姿に驚き、いたたまれない気持ちになった……というのが当時の感想だが、それ以上に松江監督が「この場でお前の言い分だけを言うのはズルい」「奥で話そう」と公の場での議論を徹底的に避ける姿に違和感を覚えた。

イベントの約1週間後、8月31日に発表された松江監督と直井氏による声明を読み、違和感はさらに大きくなった。そこには、性行為強要を否定する旨だけでなく、「本作品の上映を継続すれば観客の安全を担保できないおそれがあります。そこで、劇場と配給会社が協議した結果、残念ながら翌日以後に予定されていた本作品の上映は中止することとしました」と、加賀氏が観客に加害しようとしたかのような主張が展開されていたからである。動画を見る限り、加賀氏は上映中止を求めていないし、観客を加害する素振りも皆無だった。むしろ「面白いですか?」と落ち着いた様子で声を掛け、客席を気遣ってさえいたはずだ。私は声明から、松江監督側が指摘された問題点ではなく、別の過失で相手を攻撃することで立場を逆転させようとする意図を感じたのである。翌日9月1日には、加賀氏が「性行為強要シーン」や上映の裏側を事細かにつづったブログを公開。SNSで拡散されたこのブログで、『童貞。をプロデュース』の問題を知った方もいるだろう。

松江監督と直井氏の声明には「今後も加賀氏との和解を目指し、話し合いの努力をしていく予定です」との宣言もあったため、私は成り行きを見守っていた。しかし、その後何ヶ月経っても松江監督側と加賀氏の話し合いが進んでいる様子は確認できなかった。松江監督は一時SNSの更新をストップしたが、しばらくすると何事もなかったかのように自身の宣伝や日常を投稿し始めるようになっていた。さらに不可解だったのが、映画業界の反応である。折しも、米映画業界ではハーヴェイ・ワインスタインの性的暴行・ハラスメントに対する告発を発端に、「#me too」運動が盛り上がり始めていた時期。世界中に波及したこの運動は日本にも影響を与え、映画雑誌やWEBメディアはワインスタインらを批判する記事も多数掲載された。ところが、同時期に持ち上がった『童貞。をプロデュース』の問題に対し、評論家・ライター・編集者・あるいは映画製作者らのほとんどは、不可解なほどに沈黙したのである。一部の書き手がブログやコラムで取り上げることはあったが、その数は片手で足りる程度だった。ワインスタインやケヴィン・スペイシーについて、疑惑の段階ですら「見て見ぬふりをするべきではない」と声をあげた人々は、なぜ『童貞。をプロデュース』には触れようともしなかったのか? 

そんな中で、松江監督の友人でもある映画評論家・町山智浩氏は、Twitterで『童貞。をプロデュース』の問題について見解を求められ、次のように回答している。

「事実関係はいろいろ聞いているが、被害者とされている人物の主張はかなり一方的なので事実関係を把握しようとしています。」「あの後、自分の意見をまとめて、松江監督に伝えました。調べた結果、これは監督と抗議者の間の問題だと確信したので、僕の意見の内容については公表すべきではないと考えます。すみません。」(2017年9月4日投稿)

「成人した子供が不祥事を起こしても親は世間に謝罪する義務はない。友人ならなおさらだ。世間から自分を守るために、不祥事を起こした友人に石を投げて見せることなどしたくない。彼自身がどうしたら本当に責任が取れるか、その方法を助言するのが、友人である自分のやり方だ。」「ドキュメンタリー映画作家としてけじめをつける方法を既に彼には助言したが、その内容について自分が世間に言う必要はまるでない。」(2018年2月8日の投稿)

2019年12月12日のヒアリングで、町山氏は松江監督に助言したという「責任の取り方」の詳細も明かしている。町山氏は、電話で松江監督に「二人とも映画作家なのだから、今度は加賀さんにカメラを持たせて、君を追及する映画を撮らせてはどうか。そこで君自身がしたことを自問して、業界の風土まで見つめ直せば、単に謝罪するよりもっと有意義なものになるだろう。それが、映画作家としてのけじめのつけ方ではないか?」と伝えたという。つまり、松江監督自身を被写体として、加賀氏によるドキュメンタリーを共同制作することを勧めたというのだ。その上で、「この件を放ったままドキュメンタリーを撮り続けても、嘘になってしまう。映画を続けたいなら、映画でけじめをつけてくれ」とも助言。ただ、2019年12月現在まで松江監督はこの提案を実行している様子はない。町山氏は、松江監督が責任をとるまで断交することを決めているため、現在も連絡を絶っているという。

『童貞。をプロデュース』公開時にバックアップしたライターや編集者、影響を与えた映画制作者らも、町山氏同様にTwitterなどで意見を求められることがあった。しかし、彼らは貝のように黙り込むものばかりで、公に見解を明かすことはなかった。松江監督は映画制作者としてだけでなく、プロデューサー、ライターや評論家としても活動しており、業界での顔も広いため、公私で繋がりを持つ評論家・ライター・編集者や、恩義を受けた俳優や制作者も多い。そうした関係者が、友人・知人がハラスメントを行った可能性に触れたくない気持ちもわからなくはないが、あたかも問題が存在しないかのようにふるまうのは、他人事すぎやしないか。加賀氏のブログを読んだだけでも、カンパニー松尾氏ら撮影に関わった人々、配給・宣伝を担当した直井氏、興行会社など「監督と抗議者」以外の関係者も多数登場していることがわかるはず。「当事者が被害を名乗り出ている」「業界の構造が絡んだ」「身近な」事件を、議論も検証もせず無視し続けるのは、あまりにも不自然だ。

また、映画配給・宣伝会社の動きも不可解だった。その一例が、広告の一環としてメディアに掲載される「応援コメント」である。応援コメントとは、監督や演出家、俳優、作家、インフレンサーなど、各分野で影響力のある人々に数十文字程度の言葉で映画を褒めてもらうというもの。松江監督は現在「ドキュメンタリー監督」の肩書で、非常に多くの作品に応援コメントを寄せている人物だ。私はある日、松江監督が“出演俳優が性的暴行で告発された映画”に応援コメントを寄せているのを見つけることになる。“性行為強要”の疑惑を抱える監督が“出演俳優が性的暴行で告発された映画”に賞賛の言葉を贈るのは、宣伝としては軽率だろう。同作の映画宣伝マンに「性行為強要問題が解決していないことは、気にならなかったのか?」と質問してみたところ、得られた宣伝チームの見解は、「(松江監督の)週刊文春などでのコラム連載が続いているから」。つまり“騒がれていないから”問題がないというのである。「問題が解決するまで、松江監督の応援コメントは一切使うな」とは言わないし、信念を持ってコメントを掲載しているのならば理解もできる。しかし、「他もやっているから大丈夫」と自らは判断を下さず、問題が存在しないかのようにふるまうのは、あまりに無関心が過ぎるのではないか。こうした“相性の悪い作品”に松江監督がコメントを寄せたのは、1作や2作ではない。

私が恐れているのは、意図しようとしまいと“触れないこと”で、問題自体が黙殺されてしまうこと。そして、加賀氏だけでなく、被害を訴えられずに苦しんでいる人々の声まで封じられてしまうことだ。真偽はさておき、勇気を持って声をあげた人が「どうせ誰も取り合ってくれない」と絶望してしまうことだけは避けなければならない。ワインスタインは過去30年以上にわたってパワハラ・セクハラ・性暴行の疑惑を持たれていたが、彼の権力を恐れ、恩恵にあずかった俳優や制作者たちは声をあげなかった。被害者がこうした黙殺を打ち破り、声をあげるために#me tooやTime’s Upといった運動が生まれたことを、忘れてはならない。 

そして、残念ながら私自身も“黙殺”に加担してまったことは否定できない。「映画本編を観ていない」ことを理由に、長らく取材を行わなかったからだ。当事者の言葉に耳を傾け、撮影や上映の過程で起きた出来事を提示するだけでも、わかることはあるはずなのに。実際に話を聞き、加賀氏が性行為強要シーン以前や上映期間中の松江監督の様々な言動にも苦しんでいたことがわかった。加賀氏が共同制作者・表現者としての意識から「上映に協力しながら、松江監督と直井氏に抗議し続ける」というアンビバレンツな状況に陥ってしまったこと、その延長線上で“無断上映”という権利の侵害を受けた可能性も浮かび上がってきた。そのほかにも、撮影後に加賀氏が勃起していることを嘲笑されたり、被害を訴えても「男だから我慢するべき」と無視されたりしたことは、男性ゆえに受けた二次被害と言えるだろう。明らかに個人間の問題ではないし、検証・議論すべき要素も山積みだ。その上で、私は『童貞。をプロデュース』の撮影中および上映期間中の一連の出来事は、映画業界というコミュニティで起きた、複合的なハラスメントなのではないか、と考えている。

2019年5月29日にハラスメント防止法等が成立し、労働者保護のための措置義務が事業者に課されてから、“事業主側の責任”も考慮されるようになった。しかし、加賀氏のようなフリーランスについては法規定がなく、防止の配慮や措置の責任者があいまいなまま。現状では、相談窓口や支援制度では門前払いになるケースも珍しくないという。フリーランスを救済するため、2019年9月以降の厚生労働省・労働政策審議会雇用環境・均等分科会で「指針等」という形で必要な防止措置が講じられることになった。この分科会に要望書を提出するため、日本俳優連合など3団体が合同でフリーランスを対象にアンケート調査を実施。1,218名からハラスメントの実態について得た有効回答のうち、「パワーハラスメントを受けたことがある」のは61.6%、「セクシュアルハラスメントを受けたことがある」のは36.6%、「その他のハラスメントを受けたことがある」のは18.1%にものぼっている。さらに、自由記述形式のアンケートでは、以下のような訴えも記入されている。

「10代の女優の卵(フリーでまだ学生だった)が出演していたのだが、下着姿で舞台に上がることを強要し、泣き出したその娘に対して主宰が『女優ならこれくらいやれなければダメだ』という旨の発言を怒気のこもったような口調でしていた。結果、彼女は赤いレースのガータとブラジャーで舞台に上がった。」(女性40代 女優)

性別や細かな状況こそ異なるものの、加賀氏の訴えと非常に似通った事件がほかにも存在しているのである。このアンケートからは、直接的な暴力行為だけでなく、様々な状況で非常に多様なハラスメント行為が現在進行形で行われていることもわかる。『童貞。をプロデュース』のようなケースは10年前の特殊な事例というわけではなく、現在進行形だ。

厚生労働省による指針の最終案は、年内にも発表されるという。しかし、11月20日の厚生労働省審議会でのフリーランスについての指針は「注意を払うよう配慮する」という実効性の薄い表現にとどまっている状況。もし、法律では十分にハラスメントを取り締まることができず、相談窓口も設けられなかったら、被害を訴える人々は何を頼ればいいのか?「声をあげたら誰かが耳を傾けてくれる」という空気を作り上げるためにも、『童貞。をプロデュース』のようなケースを“個人間の問題”として黙殺せず、検証や議論を行うべきではないだろうか。

当然ながら、加賀氏側の言葉だけを事実として取り上げるのはフェアではない。だからこそ、誤解や行き違いがあるというのであれば、松江監督側も詳細を明らかにすべきではないか。私は加賀氏への取材を行った数日後の2019年7月末日、面識のあった直井氏あてに取材申し込みのメールを送った。残念ながら直井氏からの返信はなかったが、松江監督からは電話で連絡があった。ただし、松江監督は「現時点ではインタビューに応じられない」と取材を拒否している。また、加賀氏によれば、2019月8月下旬ごろ、松江監督から「第三者を交えた非公開の場での話し合い」の提案があったという。しかし、あくまで加賀氏は「公の場での話し合い」を条件としており、2019年11月現在も議論は平行線のままだ。

『童貞。をプロデュース』の問題については、映画業界内にも疑問を持ち、行動を起こす人々が現れはじめている。カメラマン・満若勇咲氏が編集長を務める雑誌『f/22』(2019年1月に創刊)では、『童貞。をプロデュース』を取り上げており、第2号では加賀氏へのインタビューも行っている。こちらでは、本記事では触れなかった作り手側からの視点で議論が進められているので、機会があれば手に取ってみてほしい。

最後に、私の病気療養のため記事の公開が大幅に遅れたことを、インタビュイーの加賀氏と、掲載を許可してくれたガジェット通信編集部に対して心から謝罪したい。

※2019年12月12日町山智浩氏のコメントを追記しました。

インタビュー・文=藤本洋輔

引用:

・『童貞。をプロデュース』硬式BLOG:http://virginwildsides.blog111.fc2.com/
・松江哲明監督、よしもと芸人からのラブコールにタジタジ : 映画ニュース – 映画.com:http://web.archive.org/web/20160510110258/http://eiga.com:80/news/20130327/11/
・土下座100時間:『童貞。をプロデュース』について – livedoor Blog(ブログ):http://blog.livedoor.jp/onosendai/archives/52771115.html
・土下座100時間:2007年10月 – livedoor Blog(ブログ):http://blog.livedoor.jp/onosendai/archives/2007-10.html
・8.25(金)「童貞。をプロデュース」 10周年記念上映中止の経緯・ご報告につきまして | SPOTTED PRODUCTIONS:http://spotted.jp/2017/08/25_dtproduce/
・【NEWS】フリーランス・芸能関係者へのハラスメント実態アンケート調査結果 | フリパラ:https://blog.freelance-jp.org/20190910-5309/
・フリーランスへのハラスメント防止対策等に関する要望書:https://blog.freelance-jp.org/wp-content/uploads/2019/09/190910_Freelance-Harassment_Prof-Murao.pdf
・190910_Freelance-Harassment_Prof-Murao.pdf:https://blog.freelance-jp.org/wp-content/uploads/2019/09/190910_Freelance-Harassment_Prof-Murao.pdf
・190910_Freelance-Harassment_Survey-Free-Answer.pdf:https://blog.freelance-jp.org/wp-content/uploads/2019/09/190910_Freelance-Harassment_Survey-Free-Answer.pdf

WEB編集・ライター・記者。アクション映画が専門分野。趣味はボルダリングとパルクール(休止中)。執筆・などのご依頼は [email protected]

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