短編小説『アイスモロー』

 

 雪の下に仮死状態で保存されていた人間が正常に機能を回復させるのは珍しくない。登山家が遭難し寒さで仮死状態となり、救助隊に発見された時点では瀕死状態だったのが驚異的な回復力で以前と同じように生きているといった事例は数件ある。それが動物の冬眠と同じシステムだということはすでに発見されていた。

「しかしここまで変化してしまうとは……」

 谷川東二はそういった人々の保護施設で未だ目を覚まさない人物に触れながら不甲斐なさに苛まれていた。
 救助隊の記録用ビデオのカメラマンとして、南アルプスまで同行していた谷川は寒さの中一心不乱にカメラを回し続けたが、救助隊員の様子をただ傍観することしたできないのが悔しかった。カメラマンはカメラマンとしての仕事に専念すればいいのだが、雪上に倒れていた被救護者、牧尾フジカの姿を見つけると両手が震えだした。

 フジカが発見された時点では心肺停止、手足は凍傷でただれており命の保証はないと見られていた。隊員三人係りで彼女の身体を持ち上げた時、氷を全身に張り付けたかのようで死後硬直が始まっているのかと疑ったが、呼びかけを繰り返すうち僅かに口を動かしたため胸元に耳を当てると心臓の鼓動が聞こえてきた。
 何がきっかけかわからないがフジカは命を取り留め、現在保護施設で覚醒を待っている。リハビリの予定が組まれているがいつ意識が完全に戻るのか分からないため、常駐のスタッフは施設長の堀田だけだ。コストカット。悲しい響きに思える。
 谷川は奇跡の復活劇の一部始終を記録すべく、すでに数週間ろくな睡眠もとらないまま小型カメラ片手にフジカのベッド脇に居座っていた。
 谷川は専業カメラマンではない。元々この保護施設のスタッフだった。公的機関ではないこの施設で働く中、数々の“回復の見込みがない”人々を見てきた。ある時は交通事故で昏睡状態の患者の点滴を交換し、またある時は生まれてからすぐに脳死状態となった赤子の保育器の管理をしていた。何も喋らない人間を見続けるのは精神的苦痛を伴ったが、おそらくではあるが谷川は心中で楽しんでいたのだろう。未完成のプラモデルを完成途中で棚に飾り、未完成の不完全さをずっと眺めているのと同じで、人の命が消えるか消えないかぎりぎりの状態に何かを感じていたのは言うまでもない。
 バンジージャンプと同じで危険さを楽しむ。谷川の場合は他人が危機に陥っているのを眺め、それを自分の事のように感じていたのかもしれない。
 ただ谷川はそこで自分の生きがいを見つけた。どうせ何も出来ないのなら、この患者たちの姿を記録し続けよう――。最初は携帯カメラで録画していたが、本格的なカメラマンに転身すべく、外部委託と言う形で保護施設の記者になったのを機に高額なカメラを購入した。
 
 現在フジカは脈拍四十以下の徐脈を示しており、一応生きている。人形のような白い肌に数か所凍傷の名残があるが、腐敗はしなかった。
「谷川君、そろそろ休憩して。私が代わりに見ておくから」
 堀田がつまようじを加えながら部屋に入ってきた。谷川はカメラをサイドテーブルに置き、振り返る。
「すみません施設長。すぐ戻ってきますから」
「ゆっくり飯を食ってきな。どうせ私と君しかいないんだから」
 皺のある顔が笑顔になる。堀田は御年七十八歳だがしっかりとした足取りで、丸椅子に腰を下ろした。谷川は申し訳なさそうに部屋を後にした。
 川のせせらぎが煌びやかに聞こえる郊外に施設は建っている。二階の窓際にマッサージチェアがあり、それに座ってカップラーメンを食べる。
 冷気で面が凍りそうだ。熱湯を注いだはずなのに急激に汁が冷めていく。谷川は急いで面をするが蒸気でむせ、せき込んだ。
 ここに来てからの生活はとても常人では耐えられないものだった。山奥に突如現れたハイテク施設は動物でも近寄らない程に陰険とした空気を纏っている。しかし、動物が外見を見てあそこは危ないなどと言うはずもなく、人の気配と電子機械の電磁波に警戒して逃げていくのだ。
 森が先に会ったのか、施設が先に会ったのか分からない、二つが交じり合った景観はひっそりと佇んでいるというよりじっとりと隠れていると言った方がいい。その建物の中で谷川は一人寂しく昼食を取っていたが、どうにも様子がおかしい。体調が普段から優れているとは言えない不健康な生活を送る彼は気づかぬふりをしようとして、ふと自分の腕を見やる。
「筋肉が落ちてきたな。運動しなきゃ骸骨になってしまうかもしれない」
 しばらくの間ここに籠りきりで自然散策など思いつかなかった。目の前に広がる風景を当たり前に思い、それ以外の事に目を向けている。あの患者だ。
 思索しながら空き容器をゴミ箱に入れ、病室に戻ろうとしたが足は違う方向にすすんでいた。北側にある小さな図書館だ。
 調べ者をするといった目的もなく館内をうろつく。皆ただの紙が重なって出来た塊に見え手に取ろうとも思わない。しかし谷川は分厚い技術解説本を棚から引き出し、適当にページを開いた。
 医療器具の仕組み。彼がふと思い浮かんだのは人工呼吸器だったが、次のページは人工透析機器の説明だった。
「こういうことを必要とする人もいるんだよな」
「そうだよなぁ」
 後ろから声が聞こえ振り返ると、堀田が目を瞑って立っていた。
「あの、部屋に居なくてもいいんですか?」
「すぐに目を覚ますことはない。どうせあのままだ」
 諦観しきった表情を浮かべるが、彼がどこか本音を言っていないように思えた谷川は眉をひそめた。

「これを外すんだ! お前がいくら抵抗しても無駄だ!」
「なんでそう言い切れるんです? この人はすぐに目を覚まします! 必ず、百パーセントの確立で!」
 堀田は谷川の体を突き飛ばし、フジカの前に立つ。所長としての責任だとか、人類と動物が共通しているなど高度な話をしながら人工呼吸器に手を伸ばした。
 巨大な角を持ったオス鹿。それが堀田の本当の姿だった。前足を器用に動かし、酸素ボンベから伸びたシリコンパイプを引き抜こうとする。
「やめてください所長! 人殺しになりたいんですか!」
「君こそ生物の本来辿るべき道を邪魔している。私はね、死なせてあげたいんだよ」
 角を一振りし、谷川を遠ざける。剛毛な体と鋭い目つきは野生の王者そのものだった。
 そして人工呼吸器は動きを止めた。
「君には世話になった。私ひとりではここを管理できなかっただろう。運営資金は余っている、それを持ってすぐに出て行きなさい」
 足を折り畳み床に座る堀田は頭を下げた。
「所長……本気で言っているのなら僕はあなたを一生許さない。人の命を何だと思っているんだ!」
 声を荒げた谷川を無視し、堀田は目を瞑った。
 施設を離れ池のほとりにやってきた。さっきは興奮していて所長が鹿の姿になったことをスルーしていたが、今になって不思議に思う。
 人だと思っていた存在は実は森に住む野生動物だった。堀田以外にもそういった動物が居るとすれば、何の目的で人に紛れているのか。どうしても知りたいと思った。足の疲労が回復したところで来た道を戻ることにした。
 森の中進み、施設がある場所に着いた。しかしそこには何もなかった。
「なんで……僕は今までなにを見ていたんだ」
「それは私たちの心だよ」
 振り返ると堀田が立っていた。彼の後ろには多種多様な動物たちが控えている。その中に牧尾フジカの姿もあった。
「君の寿命はあと数分で尽きる。雪山で遭難した君をね」
「僕が? 遭難したのはフジカさんでしょう?」
 堀田は首を横に振った。谷川は状況を理解できず、焦りからか手が震えだした。
「そろそろお迎えが来るだろう。私たちは最後まで見届けるつもりだから、安心してあの世に行きなさい」
 動物たちは谷川の周りに集まった。子熊は寂しそうに彼の身体にすり寄っている。別れを惜しむ動物たちを眺めながら、谷川は息を吐いた。命の儚さを記録しようとしていたのに、本当は自分がその立場だったことをようやく理解したようだ。
「今までありがとう。こんなにも仲間が居るのならもっと一緒に居たかった」
「私たちもすぐに行く。動物は命が短いからな」
 それは堀田の本心だった。
 そしてお迎えがやって来た。谷川はよく見る死神の姿を想像していたが、やって来たのはどこにでも居る人間だった。
 その人物は無表情のまま谷川の手を引く。
「あなたの居場所は本来あちら側です。そんなに悲しまなくていい、故郷に帰るのですから」
 そう言って空に登っていく。飛べるはずのない谷川も空中に浮いていた。
 天国があると信じる人はどこか遠い国の物語を読んでいるように言う。「死んだら苦しみのない世界が広がっている」なんて誰が最初に言い出したのだろう。
「死後を楽しむための案内人はあなたなのですね」

sattakanovel

無理はしない。

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