短編小説『アメーバ』

  by sattakanovel  Tags :  

 麻衣がすんのりと口を開いた。
 ちなみに“すんのり”とは、彼らがまだ中学生だった頃に流行った造語である。
「私から何かを奪ったとして、君はそれからどうするつもり?」
 能力値からして彼に勝ち目はなかった。しかしまだ下半身を水面下に沈めたまま動かなかない男は、物々と念仏を唱え始めた。まさかとは思ったが、麻衣は結局その言葉に思考を奪われた。流行っているこの遊びは「アメーバ」と呼ばれているが、誰か始めたのか分からない上、犯人が捕まったと同時に別の事件が起こる。
 念仏とは言うものの、はっきりと聞き取れない音だ。この男が本当に発声しているのかも怪しい。耳を塞いだのに地鳴りのような振動が体に伝わる。
 アメーバが流行ったのはおよそ六年前。麻衣と男が中学校に入学した年だった。顔見知りではあったがお互いの名前を知らず、廊下ですれ違えば会釈をするかしないか迷う程度の関係性だ。卒業式までこのままだと思っていた麻衣は今日その考えを改めることとなった。
 「アメーバ」を始めたのはこの男だった。

 秋谷は昨年から住居を無くし寺院を点々としている。無料で泊まらせてもらう代わりに庭木の手入れをする条件は、一番最初に泊まった寺の住職から提案されたものだった。気を付けなさい、ケガだけはしないように――。彼の口癖だった。
 剪定の技術が上がり、近所の業者から声がかかったこともあったが、断った。泊めてもらう代わりのお礼としか考えておらず、誰かの下で働くとお楽しみが出来ないと思ったからである。秋谷は庭木を〇ケモンの形にするのだ。怒られたことは一回もない。ただ三日前に泊まった寺の奥さんは相当呆れていたが……。
「住職、今日また別のところに行きますので。お世話になりました」
「そうか……まあやること無くなったもんなぁ。このままだと根っこから引き抜きかねん」
「ちょうどそうしようかと思っていたところです」
 などと冗談を交えながらお茶を飲む。一週間滞在したのだが、毎晩居酒屋に出かけるところを見ると、かなり自由奔放な人らしかった。
「アメーバがこの先収集つかないのなら、俺が終わらせるしかない――」
 ぼそりと言った。スズメが電線に一羽、また一羽ととまる。数羽が肩を並べて彼のことを見下ろしている。麻衣はどうしているだろうかと、脳裏をよぎる光景は悲惨なものだった。廊下ですれ違うたびに少しずつ少しずつ謎が解け、秋谷を苦しめた。
 彼女の後ろにアメーバの本体が微動だにせず立っていた。物心ついたころに捨てた秋谷の半身だった。ああ、そういうことかと、胸元の違和感をきっかけに腑に落ちた。
「……麻衣。絶対後ろを向くな。そのまま俺のところまで――――」
「あなた、中学の時の?」
 その瞬間、アメーバは一気に膨張し、二人を飲み込み消えた。渦を巻くような動きでありながら、茂みを分け入るような慎重さで。

sattakanovel

無理はしない。

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