迷ったままを悟る

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(写真素材:足成)

 坐禅というのは気を抜くと、一度悟りを開いても元に戻ってしまう宗教であるということはご説明させていただきました。
 その、元に戻ってしまった「迷いの自分」というものを直ちに「悟りの世界」へ取り戻すための方便として「迷ったままでいい」と開き直って生きるというやり方があります。
 迷ったまま生きるというのも、なんとも風情がある。そのように考えるのです。
 これは「百丈野狐」という公案(禅問答)に収録されている考え方です。
 およそ悟りというものは、一度自分で完全に開いたと思っても「嫌なこと」というのは残るものです。
 例えば、食べ物の好き嫌いがなくなるとか、そういうことはないんです。
 変わるものと、変わらないものがあります。
 その変わらないものにフォーカスしてしまうばかりに「悟りを得て変わり得るもの」さえ犠牲にしてしまってはもったいないです。
 思うに、いわゆる法を説く立場のお坊さんというのは大変だなあと思います。
 特に臨済宗では、管長とか呼ばれる最高の格のお坊さんは「お釈迦様の正しい法を受け継がれた方」と言われるのでミスは許されません。
 でも、ミスしない人間なんていないんです。
 お釈迦様は仏様ですが、同時に人間でもありました。
 その証拠に毒キノコへ当たって死んでいます。
 私のような、お坊さんでない立場のまま仏道を行じるメリットは、適当なことを言ったり、やったり出来ることです。
 肩書がないので誰も攻撃したりはしないでしょうしね。
 それに、迷わなければ私はいちいちブログに記事を投稿したりはしません。
 「心のIPO」でいうところの読者(株主)の皆さんに配当(仏様のお話)をお出しするのも、自分が迷っている方が情熱を持って出来るので都合がいいんです。
 兎に角、じたばたしないことです。
 春になれば花が咲きます、夏はひぐらし、秋は紅葉。
 道元は「冬雪冴えて涼しかりけり」と言いましたが、冬は一番人間が憂鬱になりやすい時期だと思います。
 弘法も筆の誤り、間違いをおそれず「迷うことを受け入れた自分」こそが「悟りを得た自分」と心得て、日々を共に過ごして参りましょう。

tamuzo

坐禅歴22年。お坊さんではありません。お悩み事などはお気軽にTwitterへご連絡下さい。

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